私の幸せ
「お父さん!!」
目の前の悲惨な光景。しかし倒れているお父さんの姿を見たとたん、そんなことがどうでもよくなるくらいに頭が真っ白になった。私は、急いで駆け寄った。散乱した食器が足に刺さるのも構わずに。
「お父さん! お父さん!」
近くまで行き屈み込んだ私は、一心不乱に声をかけた。どうやら息はあるみたいだけど……頭から血を流してるし、呼吸も荒い。このままじゃ……時間の問題だ。
悲しいが、それくらいの判断はついた。何もわからない子供のままだったらどれほどよかっただろう。
「何があったの!? 強盗!? いったい……あ、しゃべらないで! 今助けるから……あ、と、とりあえず警察に……いや、救急車……」
目の前のお父さんの姿に、頭が真っ白になっていた私は、ひどく混乱してパニック状態になっていた。何を言っているのか、何を言えばいいのか。……自分でも、あまり要領を得てなかったと思う。
「り、リーシャ……げほっ!」
「お父さん!?」
そんな私に、今にも気を失ってしまいそうなお父さんが話しかける。声を絞り出すように喋るけど、何かに詰まったのか咳き込む。すると赤い液体が……血が、口から飛び散っていた。
「逃げなさい……私のことは、いいから……がふっ、あ……!」
「もういいよ、喋らないで! 今警察に……」
傷口が痛むのか、咳き込むたびに苦しそうな表情を浮かべる。もう誰でもいい、とにかく誰かを呼ばないと……しかし、携帯を持ち出した私の手は震えていた。震えてる場合じゃない、早くしないと……
焦る気持ちは静まるどころか大きくなるばかりで、うまく指が動かない。その震える手首を、掴まれた。それはもちろん、お父さんによるもので……
「いいから……逃げ……」
「嫌だよ! それに、逃げるって何から……」
さっきから逃げろと告げる。でも、そもそも何から逃げればいいのか? これが事故じゃなければ、この惨劇を引き起こした誰か?
考えている間にも、手首を掴むその大きな手は、いつもの温かなそれとは違い冷たくなってきているのが伝わる。それが嫌で、振りほどいてしまいたい。でも、振りほどきたくない。矛盾を感じている私はふと、気のせいかその拳に力が入ったように感じた。
「奴ら……悪魔、が……襲撃してきた……げほっ!」
「いいから!もう喋っちゃ……」
その瞳に、生気がなくなっていくのを感じる。なぜ? そんなこと感じたくもない。天使の血を引いているから? それともそんなこと関係無しに、お父さんの子供だから?
その嫌な予感を振り払うために、お父さんをいかせないために声を張り上げる。けれど、私の言葉を無視してお父さんは話し続けた。
「悪魔め……どうやら、お前のそんざ、いに……きづ、いたらしい……天使の、血を引く、お前を……こ、ろしに……」
一言一句を聞き逃さないために、耳を傾ける。途切れ途切れだったけど……お父さんは、家が、そしてお父さんがこうなった理由を教えてくれた。
悪魔が、天使の血を引く私を殺しに来たこと。……神様や天使という存在がいるんだ、悪魔がいても不思議じゃない。……けど、それなら何でお父さんまで……
「奴ら、お前の居場所を……探す、ためにこんな、ことを。……まだ、近くにいる、かもしれない。だ、から……」
「うん、うん! わかった、わかったから! もう喋らないで! 一緒に逃げよう!」
瀕死の状態で私に伝えてくれた真実。それを受け、お父さんの言う通り逃げる……わけがない。一人では。お父さんを置いていくなんて、できるはずもない。改めて、辺りを見回す。
……私のせいで、こんなことに? ……ううん、そんな自己嫌悪に浸るのは後だ。
「くっ……んっ」
まずは、お父さんを押し潰している食器棚を退けないと。それを持ち上げようとするけど、私一人の力じゃとてもじゃないが重くて持ち上がらない。中に仕舞ってあった食器はほとんど散乱していても、元々が大きく重いのだ。
「リーシャ……もう私は助からない……だから……」
「嫌だ! そんなの……そ、そうだ! 私、神力学園に行けるようになったんだよ! そこではお金掛からないって……だから、これから、お父さんを……楽に……してあげられるから……」
「……そう、か。……頑張ったな……」
この食器棚を退けるのは無理だ。そう判断したお父さんは、私一人で逃げろと言うが……逃げられる、わけがない。このまま一人で逃げるくらいなら……
それに、まだ何もしてない。お父さんに、何も返してない。だから……こんなとこで、終わらせないで。言葉にならない気持ちを、それでも言葉にして伝える。
すると……全身を痛みが襲っているはずなのに、お父さんはいつもの優しい笑顔を浮かべて……私の頭を撫でてくれた。
血にまみれた手だったけど、それでもお父さんの温もりが感じられた。
「なら、これからは……私、じゃなく……自分のために、生きなさい。知っているよ……今まで、私に遠慮して、色々我慢してきただろう。……友達と遊ぶことも、欲しいものも……だから……」
「我慢、なんてしてないよ……」
まさか、お父さんがそんな風に思っていたなんて思わなかった。私の方こそ、知らないうちにお父さんに気を遣わせていたのだ。でも、我慢なんてしてない。私は、わがままで迷惑ばかりかけて……
「今まで……苦労を、かけたな。……これからは、幸せに、生きて……」
「私、幸せだよ? お父さんがいなくちゃ、幸せになんか、なれないよ! だから、だからぁ……」
「……ごめんな、私は、もう助からな、い……」
どんどん、声が小さくなっている。嫌だ、嫌だ! ……嫌だよ、やめてよ、そんな……最期みたいな言い方、やめてよ! 最期みたいな……そんな、諦めたようなこと言わないでよ!
どうすれば、お父さんを助けられる?……そうだ私、神力をを使えるようになったんだ。魔法みたいなその力で、お父さんを……
「あーらら……こんなとこで何してんのかな? お嬢ちゃん」
できるかもわからないけどとにかくやろう……決意した時だった。突然背後から聞こえた声。男の声。……それを聞いた私は、なぜだか直感した。家をこんなにしたのは……お父さんをこんなにしたのはこいつだと。
振り向いたけど、その瞬間近くで爆発が起きて……煙で、顔が見えなかった。けどその声は、はっきりと聞こえてきて。
「子供はいないなんて嘘ついちゃって……最初からホントのことを話してりゃ、苦しむことはなかった。……楽に逝けたのにな」
爆発により、どんどん火の手は上がっていく。このままじゃ、押し潰されたままのお父さんは逃げられない。なのに、棚を持ち上げられないどころか、それが叶っても目の前の男が逃がしてくれるとは思えない。
「な、にをしている……逃げなさい!」
それでも、それでも。諦めるのだけは嫌だった。食器棚を、再び持ち上げる。重いけど、そんなの気にしてられない。持ち上がらない。持ち上がれと、念じてみる。持ち上がらない。
う、熱い……でも、そんなの大した問題じゃない!
「お父さんも……一緒に……」
「ダメだ、お前まで……ぅ、死んでしまう。……逃げ、るんだ、リーシャ!」
「へぇ~、リーシャっていうのか」
いつの間にかその声は、すぐ後ろで聞こえて。すぐ、背後にいることがわかった。このまま、殺される……?
けれど、恐怖からか、それともお父さんを助けるのに必死だったからか……私は振り向くことはなかった。その様子に、男が舌打ちをしたのがわかった。
「美しい親子愛か? たかが人間の分際で……ヘドが出る」
「た、たの、む……娘は、見逃して、くれ……!」
「あーらら、酷いこと言うなよ。一緒にいるって嬉しいこと言ってくれてんだ……一緒に、逝かせてやるよ、お、と、う、さん」
「やめ……」
パチンッ
奴が指を鳴らした音が聞こえた。瞬間……辺りは火の海に包まれた。聞こえたのは、耳が破裂するような爆音と。炎に包まれる瞬間最後に見たのは……私を見つめる、お父さんの必死な顔だった。




