溶けていく私という存在
…………私がまず認識したのは、視界を覆いつくすほどの暗闇だった。右を見ても、左を見ても。上を見ても下を見ても、景色が変わることはない。ただただ、暗闇だけが一帯を支配している。
ここは、どこだ。そして私は、何をしているのか。考え、思い出す。そうだ、確か"彼"に手を向けられたかと思ったら、体が消えはじめて……視界が暗闇に包まれた瞬間、そこに私の存在はなくなった。
そして、次に意識が覚醒したのが、この闇の中だ。
もしも認識が正しいのなら、ここは無間地獄というやつだ。何もない、ただ永遠の無が続く空間。以前ここに飛ばされたあの凄まじい強さを持つ女性教師は、今どうしているのか。まだこの闇の中をさ迷っているのか、何らかの方法で外に出たのか、それとも……
この場所に飛ばした張本人。その仲間は、ここから抜け出す術はないと言っていた。永遠の無の中、孤独に死んでいく、と。もしもそれが真実なら、彼女の生存は絶望的だ。あれから何ヶ月もの時間が経っているのだ。その間ずっとここにいたのだとしたら……
……となると、"私"も悠長にはしていられない。ここから抜け出す方法を見つけなければ。ない、とは言っていたが、その言葉を真実として受け取る必要はどこにもない。ただこちらを絶望に落とすだけの、それだけの言葉だと認識してしまえばいい。
きっと、そうだ。出口のないトンネルはないのだから。だからきっと、どこかに出口はある。そうして気持ちをポジティブに、まずは声を上げることを考える。あまり考えたくはなく、しかし一筋の希望として、"私"以外にも誰かがいるかもしれない。
声を上げることで誰かに気付いてもらえるかもしれないし、最悪、声の反響によってここがどれほどの大きさの空間なのか理解することもできる。
だから、"私"は声を上げるために、口を開け息を吸って……
「---っ!」
……声が、出ない。いや、出ないという表現は間違いかもしれない。そも、『口を開け息を吸って』と表現したが……口は、どこだ。こうして意識がはっきりしているのだから、酸素は、空気は、存在しているはずだ。ならば声を出すための口は? 喉は? 呼吸するための器官は?
意識して、ようやく気付く。"私"の手は、足は、顔は、どこに存在している。暗闇によって見えない、というわけではない。そこに、まるで存在していないかのような。
「--っ」
息を呑む、という表現が今の状況に合っているのか、わからない。だがそれも、この暗闇のせいだ。ここから出れば、この不可解な現象も意味を成さなくなるはず。出口を見つけだすために、"私"は歩き出す。
……足の存在が認識できないのに、歩き出す、という感覚は妙な感じだった。
歩き、出口を、せめて一筋でもいい、光を求めて視線を巡らせる。……だが、歩いているはずの足元からは地面を打つはずの靴音はなく、視線を巡らせてもそこにあるのは暗闇だけ。景色は変わらない、足の存在が認識できない。なのに、歩いているという感覚はある不思議な気持ち。
走る。不安から解放されるために、がむしゃらに。どこに走っているかなどわからない。前か後ろか、そもそも本当に走っているのか。走っているという感覚だけを味わいながら不安を取り除き、走っているのかという不安に蝕まれて……
……どれほど走っただろう。 足を止める。その行為を感覚だけで行いながらふと、体には一切の疲れがないことに気付いた。いかにこれまでの旅路がハードだったとはいえ、走っておいて息切れすら起こさず全く疲れない、なんてことがあるだろうか。
……試しに、再び走りだし盛大に転んでみる。……痛みは、ない。そうして"私"は、この異常性の深刻さにようやく気付く。
光がない。音がない。声が出ない。疲れがない。痛みがない。呼吸するための器官がない。触れるための手がない。走るための足がない。見るための視界がない。時間の流れがわからない。永遠の闇。何もない。何もわからない。生きているのかさえも死んでいるのかさえもわからない。"私"が存在していたのかさえもわからない。
……"私"って誰だっけ。




