プロローグ
-静かな森に、何かが走り抜け草の根を鳴らす。カサカサッと草むらを揺らすのはその音だけでなく、それを追いかけるようなものもある。
一つの走り抜ける音と、複数の走り抜ける音、まるで、複数の存在が、一つの存在を追いかけているかのように。
「はっ、はっ、はっ……」
辺りは闇、それは比喩ではなく、正真正銘の夜だ。その上月は隠れ、光も差さない真っ暗な闇。
その中に、追いかけてくる存在から逃げるために走る人物の、息切れが聞こえる。闇を照らすはそこらに存在しているホタルの光と、そして……
「いたぞ! 殺せ!」
パン!パン!と、静かな森に響く乾いた音。その正体は、銃声だ。弾丸が放たれる度に放たれる瞬かな光が、一瞬だけ辺りを照らす。
「あっ……くっそ……!」
この暗闇とはいえ、数を撃てば当たる。何発かの放たれた銃弾の一つが、走る人物の肩を貫く。
苦痛に悶える暇もなく、手ごたえを感じた向こう側から次々銃弾が放たれる。
「このままじゃ……」
足を止めるわけにはいかない。岩陰や木々に身を隠しながら逃げる人物のその声は、女のものだ。小柄なシルエットに、甲高い声色である事から、少女であると推測できる。
自分が追われる身だと承知している少女は、肩を貫かれたことによる痛みを意識的に無視して。
何人が自分を追っているのか。狙われている理由には心当たりがあるが、今はとにかく逃げ切ることだけを考えろ。しかし……
「!しまっ……」
暗闇で視界が遮られ、痛みに視界が霞み、一瞬でも気を取られてしまったせいだろう。走っている先が崖だということに気づかず、足を踏み外した。
その先は、まるで全てを呑み込んでしまうのではないかと思えるほどの闇が広がっていて……
「っ……!」
崖下へと、落ちていく。声を圧し殺し、落ちていく体を丸める。ここで叫べば見つかり……殺される事を知っているから。
歯を食いしばり、転がる体をあちこちに打ち付けても、口を開くことはない。
「くそ、どこ行きやがった!」
「どうせ近くに潜んでる! 探せ!」
落ちてきた辺りから、自分を探す荒々しい声が聞こえる。どうやら、落ちたことには気がついてないようだ。そのまま、声はだんだん遠ざかっていくのをしっかり聞き届ける。
「行っ……たかしら……」
声が聞こえなくなり、負傷した体を奮い立たせる。このまま見失ってくれればいいが、そんな甘い考えは期待できない。今のうちに、少しでも遠くへと逃げる必要がある。
……雲が流れ、月が姿を現す。肩からは銃弾に貫かれ、暗い森の中を走り回ったり崖を転げ落ちたことにより少女の体はボロボロだ。
しかしそれでもなお、少女は諦めることはなく、気高く立っている。月光に照らされる銀髪は、ホタルの光が比にならないほどに美しかった。
「……あ……これ、ヤバいか……も……」
歩き出そうとしたとこで……何かに躓いたのか、足がもつれて……体が横に倒れていく。
……何かに躓いたわけでは、ない。もうどれほどか走り回っていた少女の体はすでに限界を迎えていたのだ。決意とは別の所で、体がついてこない。
ここで倒れてしまえば、意識を手放してしまうだろう。そうなれば、見つかるのも時間の問題だ。そうなれば、殺されるだろう。
……そんなわけには、いかない。ここで死んでやるわけには、いかない。こんなところで、終われない。
しかし……倒れる体を踏みとどまらせる力は、もうない。決意虚しく倒れ、保っていた糸が切れてしまったかのように意識が遠のいていく。
ダメだ、このまま眠っては。ここで死んだら、私は何のために……
「ふぁ、る…………ぜ……」
縋るように、絞り出されるように口から出た、その名を、彼女を想いながら……銀髪の少女の意識は、暗闇の中へと吸い込まれていった。




