4話 兄妹
三歳になったボクは、兄たちと屋敷内にある庭園で遊んでいた。
とは言っても遊んでいるのは、花々の周りをヒラヒラと舞う蝶を捕まえようと躍起になっている次男のアルトだけだ。
この庭園は母キャトリンの趣向で、専属の庭師によって綺麗に整えられている。植物特有の心地よい匂いが漂い、読書にはもってこいの場所だ。
「ルーカスおにいさま、ここがわかりません……」
「リリアは勉強熱心だね、どれどれ」
八歳になった長男のルーカスは、日頃からボクの知識欲に感心を示していた。そして、この大人びた少年は、本を片手に唸るフリをしているボクに付きっきりだ。
本当は書に記されている内容は全てわかる。
ただ、三歳の子供がこの国の成り立ちや、つい最近まで戦争をしていた相手の国についてすぐに理解できるというのは不自然極まりない。
だからこそ、わからないフリをして質問をしているのだけど。
「あぁ、ここはマスティス戦役と読むんだよ。戦役っていうのは『戦争』って意味さ」
この世の全ての可愛いが集結したような、朗らかな笑みを向けられ、ボクは内心で罪悪感を抱いてしまう。
この優しく美しい兄には悪いのだけど、正直、ルーカスがいると本が読みにくい。
「ありがとうございます、おにいさま」
フローレン家が持つ図書室、その蔵書量は目を見張るものがあった。字を読んでも大丈夫だろうと判断したその日から、ボクはありとあらゆる知識を欲し、その膨大な書物をできる限り網羅しようと思い至ったのだ。
主に、この世界に関することと魔法、精霊についてだ。
そして謎の声主、ゴビニャの正体も早めに解き明かしたかったからな。
「わたしたちの国リルベールと、ほくせいのマスティスという国ではせんそうをしていたのね……」
ボク達フローレン侯爵家はリルベールという、農業が盛んな国の一貴族であり、リルベール王家に忠誠を誓っている。
「そうだよ。そして、そのマスティス戦役で多大な武勲をあげたのが、ボクたちのお祖父さまだ。リルベール王家の方々は、我がフローレン家の働きをほめてくださり、晴れて広い領地と侯爵位をたまわったのさ」
そう、実は我がフローレン家は侯爵家としての歴史が非常に浅い。
まずフローレン家の始まりは八代前の当主、レイズ・フローレンという人物から起こった。彼は平民の出でありながら優秀な魔法騎士になり、はては王家を守る近衛魔法騎士団の副団長にまでのし上がった。騎士とは本来、一代限りの小貴族のような身分である。だけど、彼はその類稀なる実力を認められ、男爵として代々受け継げる、辺境の地ではあるけども小さな領地と爵位を賜ったのだ。そこから三代目当主の時代に、マスティスとの戦争が勃発。所有する領地がマスティスの一部と隣接していたため、我が家は他家と共に果敢に戦った。その戦争の勝利の立役者として功を認めてもらい、マスティスの領地の一部を割譲できたのだ。そこで爵位も子爵へとランクアップ。さらに五代目当主の時に、再びマスティスが戦争を仕掛け、これを返り打ち。もちろん我がフローレン家だけで反撃したわけではないけど、ここでも見事な戦功を称賛され領地の拡大と伯爵位を獲得。
「わたしたちはえらいの?」
「そうさ、純粋に爵位だけでの偉さなら、上から二番目かな」
「ふぅーん?」
伯爵位を下賜できるのは、最上級貴族か王族だけである。
最上級貴族は三種類ある。
まずは王家と親類関係にある公爵。
次に広大な領地を持った領主、侯爵。
そして国境近くの領土を治め、防衛の要を担い、国王に匹敵する権限を与えられた君主、辺境伯の三つだ。
上級貴族から伯爵位を賜った者は中・下位貴族であり、王族から伯爵位を賜った家は上位貴族であるのが一般だ。
そして五代目のフローレン家当主は王自ら伯爵位を下賜したことで、たった五代にして上位貴族の仲間入りを果たしたわけだ。
さらに七代目当主、つまりボクたちのおじい様の代で、性懲りもなくマスティスが宣戦布告。そしてリルベール側を大勝利に導いたのが、おじい様だったと。当時のリルベール王子と仲が良かったおじい様は、そのまま侯爵位と広大な領土を手に入れ、現在では父さまであるリディロアに家督を譲り、今は王都で魔法騎士団の指南役を請け負っているらしい。
はっきり言うと、ボクたちの家は爵位や領地こそ大きいものの、成り上がりの新興貴族であった。
由緒正しい大貴族からしてみれば、煙たがられる存在だ。
ま、ひらたく言ったら若くして部長クラスに就任した生意気な社員ってとこだろうな。
しかも当然のことだが、敵国であるマスティスから領土を手に入れたわけで、フローレン家の領地は半分程がマスティスと隣接した状態にある。
つまり、戦争が起こるとすれば真っ先に矢面に立たされる貴族の一つだ。
だから我が家だけが特別、魔力や武力に執着しているかと言えば、そういうわけでもない。これはフローレン家に限らず、どの国でも魔力は重要視されている。
魔力の高さが、人徳の高さを示す。
なんて、道徳の教本にすら記されているのを目にする程だ。
公に力があれば、全て良しと言っているようなもので、逆に魔力がなければ何の価値もない。
どんだけ、武力至上主義な世界なんだとも思った。
しかも決まって魔力が高いのは貴族に多い。
まず、魔力というのは遺伝性、つまり血統で決まるものであり、魔力の多い者同士が結婚すれば、より強い魔力を持った子が生まれるという通説がある。
貴族に魔力の強い者が多い原因は謎だけど、ある程度の仮説は立てられる。
遠い昔、力の強い者が上位者となり、特権階級の基盤を作ったのが魔力の高い者だったとすれば、自然と魔力の高い者同士を交配させる習慣、伝統を形成していくだろう。
今でもそういったケースはあり、金や権力を使って魔力の高い者を集め、自家の世継ぎを生みだす貴族は珍しくはない。
と、ここまでが本に記されていた、一般的な我が国リルベールの常識と、我がフローレン家にまつわる話だ。
「ルーカスにいさま! リリアなんて放っておいて、蝶を捕まえよう!」
なかなか蝶を捕獲できず、業を煮やしたのか次男であるアルトがルーカスにせっついてきた。
六歳になったばかりのアルトはちょっと不機嫌そうだ。
「アルト、おまえもリリアと一緒に本を読んだらどうだ?」
「ふんっ。本なんかよりも魔法をたぁーっくさん使えた方がいいにきまってる。ルーカスにいさまだって、いつも魔法のくんれんは、たいせつだって言ってるじゃないか!」
最近気付いたのだけど、次兄のアルトは何かと長男であるルーカスを取られまいと、ボクに対抗意識をもっているようだった。
やきもちなんだろうな、と思う。
実はちょこちょこ小さな意地悪を受けたりもしている。
メイドのユナに整えてもらった髪型をくしゃくしゃにされたり、母のキャトリンに見繕ってもらった洋服に水をかけられたり。
どれもボクとしては乙女の心を持たない元男だから、さして気にならない範囲だが。
多少は負の感情を向けられる身として心苦しい面もあるけど、そんなアルトを微笑ましいと感じる自分もいる。
「ルーカスおにいさま。わたしは一人でも本をよめます。ですから、アルトにいさまと蝶をつかまえになって」
子供は嫌いじゃない。というのも前世では25歳だったわけで、同級生の何人かは既に子供を授かった友人もいた。何度か友人の子供たちを紹介されたことがあったけど、ちっちゃくて柔らかく、とても元気で可愛らしかったのを記憶している。
「そうかい? リリアがそう言うなら……」
朗らかに微笑むルーカス。
ごめんね、とアルトには見えない角度でボクに口パクをしてくる。
その甘いマスクは将来有望すぎて、イケメンアレルギーなボクはほんの少しだけ憂鬱になった。
きっと、この優しい兄は三歳児が一人で読むには難しい本を『読める』とウソまで言って、気を利かしてルーカスをアルトに譲ったと思ってくれてるのだろう。ボクとしてはわからないって演技をしなくて済むし、アルトと遊んでもらっていた方がいいというのが本音だったりもするんだがなぁ。
「それなら、僕も久々に『蝶の揺り籠』あそびを楽しもうかな」
「にいさま! おれも! おれもてつだうっ!」
ルーカスの蝶集め参戦を聞いて、アルトは大喜びだ。
それもそのはず。
ルーカスがいれば、蝶を捕獲するなんて容易いのだ。
「アルト、わかってると思うけど。火の魔法は庭園では使うなよ」
「はい、にいさま!」
長兄の注意を素直に聞き入れる次兄。
アルトはキラッキラした目でルーカスを見つめている。
きっと兄に憧れているのだろう。
「よし、アルト。母上に見つかる前に、派手にやらかそう」
「もちろんです、にいさま!」
ルーカスの悪い笑みにアルトが嬉々としてのっかる。
そしてボクはそんな二人の様子を遠目で観察する。
『天地の眼』を発動しながら。
ルーカスは紫と緑の濃いオーラを大量にまとっている。対するアルトは赤色のオーラを、長兄には至らぬとも、その躍動感は凄まじい。
以前見たメイドのユナと、その総量は二人とも比べものにならない程に多い。
つまり、ボクの兄たちの魔力は大きいという事だ。
「アルトはあそこ、『気高き双子花』の花壇をたのむ」
「任せてください、にいさま!」
「じゃあいくぞ……『我こそは風の担い手。汝らの自由さ、一時の間、我に縛られよ』」
「えと、『われこそは風の友。ゆうきゅうのるてんをつかさどる力を、かし与えよ』」
兄弟たちが詠唱の言葉を風と共に乗せ、花々が咲く広い庭園に二人の声がこだます。
すると、辺り一帯に咲き誇る花たちが一斉に揺れた。
それは強風。
植物たちを傷めない程度に抑えられた風力。だけども色とりどりの花弁は舞い踊り、風の流れに沿ってボクたちの目の前に運ばれてくる。
しかし、それらが地に落ちる事はない。
その中にはたくさんの蝶たちも飛んでいる。
「『踊れ、笑え、この手の中に』」
さらに短い詠唱を、断続的にルーカスを唱え続ける。
「『風たちよ、我と共に在れ』」
まるで、大きく透明な揺り籠がそこにあるかのように。
左右に揺らされる大量の花弁と蝶たち。
それは小さな波のよう。
何度も何度も、色彩豊かな波が籠の中でゆったりと行ったり来たり。
美しい光景が無限に続き、揺れるごとに重なり合う花たちのバリエーションは違い、その色を鮮やかに変えていく。
「やっぱり、ルーカスにいさまは天才だ……」
この現象を引き起こしているのは、風を操作する魔法を発動しているルーカスの手腕だ。
繊細かつ高等な魔力コントロールをもって、成せる技らしい。
「アルトも炎に関してはすごい才能を持っているさ」
「にいさまに比べたら、そんなことない……」
横目でアルトの事をチラリと見て、ルーカスは困ったような笑みを浮かべる。
そして、不意にルーカスは魔法を解いたようだ。
おかげで彼らには、花の雨がはらはらと降り注いでいく。
「火ならボクより上だ。フローレン家として……ボクの弟として、自分の才能に誇りを持て」
「にいさま……」
無言で見つめ合う二人は、とても絵になっていた。
花吹雪くなか、蝶たちは舞い、兄弟愛が咲き誇る。
月光もかすむ程、幻想的な輝きを放つ純銀の髪をたなびかせ、弟を慈しむ美少年。その兄に敬愛の眼差しを真っすぐ送るのは、華やかな紅に薄い銀糸が混じった不思議な髪色の美少年。
若さがまぶしいな……。
儚くも情熱的な二人の少年が互いを認め合うさまは、傍目で眺めているボクですら、なんというか呑まれるモノがあった。同時に、未来は父リディロアのようなイケメンになるかと思うと気が滅入った。
「そしていずれは、ボクの右腕になるんだ」
「もちろんです、ルーカスにいさま!」
ルーカスは幼いながらも、フローレン家の跡取りとしての自覚と覚悟、そして才能を兼ね備えているようだった。ちなみに貴族の次男は、相続争いの火種となる可能性があるから独立させるのが普通だ。財産と爵位はすべて長男が受け継ぐので、次男といえば王都勤務付けの文官や武官になる事が多い。一代限りのお貴族さまってやつだ。しかし、ルーカスはアルトを手放さないと言っている。これだけで、どれだけ弟を可愛がっているかわかる言動だ。
「期待しているからな?」
「リリアには絶対に負けません!」
期待していた返事とは違うモノがルーカスに来たようで、彼は小さな溜息をついた。
「はぁ……アルト、いいか? リリアは女の子だ。張り合う必要なんてないんだぞ?」
「でも、にいさまは最近リリアばかりを……」
ふてくされる弟にルーカスは優しく諭していく。
「アルトが三歳のころ、ボクはずっとお前と遊んでいたじゃないか」
「!」
だから、三歳のリリアとも一緒に遊んであげないと。
そんな副音声が聞こえた。
「アルトはボクの弟だ。とても大事だ。でも、リリアもボクたちの大事な妹だろう?」
「は、はい……」
「わかればいいんだ」
そうして二人が仲良さそうに頭にかかった花ビラを、互いに払い合っていると……庭師を伴った母のキャトリンが鬼の形相で現れた。
「まったく! 花を散らしてはいけませんと、あれほど言ったでしょう!」
キャトリンは普段、温厚で穏やかな淑女だ。だが、一端怒ると相当怖かったりする。
母に連行される兄二人に、ご愁傷さまと哀悼を送っておく。
『天地の眼』を通して見なくともわかるけど、あの二人はフローレン家の名に恥じぬ、それ以上に魔法の才に溢れている。
長兄ルーカスは風や土系統に優れ、次兄アルトは炎、そして微弱ながら風を操る適性もあった。
ちなみに父リディロアと母キャトリンの属性は未だにわかっていない。
というのも、あの二人は敏感と言えばいいのだろうか。ボクが『天地の眼』を使う隙がないのだ。同じ室内にいれば、ほぼ目線はボクに注目しっぱなしだし、就寝時を見計らうにも、既に別室でボクは寝ているので二人を『天地の眼』で見通す機会がなかったのだ。
いずれは二人の属性も知っておきたい。
そんな事をぼんやりと考えながら、春の日差しに照らされた静かな庭園で本を読む。あらかたリルベール国の歴史や、周辺国家についての情勢を理解したところでパタンと本を閉じた。
「ん?」
そこで気付いた。
どうしたのだろうか、一人の少年がこちらを遠慮がちに見ながら突っ立ていた。
「おい、リリア。本は読み終わったのか」
次兄のアルトだ。
心なしか顔が赤いようだけど、母キャトリンに頬でも殴打されたのだろうか?
「はい、読みおわりました」
「なら、ほら。これやるよ」
無造作に投げられたのは、花と茎で織り込まれた輪、花の冠だった。
「これは?」
視線をボクに合わせず、明後日の方を見続ける六歳児の姿は見ていて笑ってしまいそうになった。素直になれない子供って感じだ。
ただ、ここで彼を笑ったら、何だか全てがダメになってしまう予感がしたので、必死で平静を装う。
「ル、ルーカスにいさまが……おまえが、俺のためにがまんしたって言うから……それに母様が、ちらした植物をむだにするなって」
要するに、ボクのために花の冠を編んでくれたのか。
「まぁ。うれしい! アルトにいさま、ありがとう」
にっこりとこちらが微笑むと、アルトは一層顔を赤らめた。
「俺だって……おまえのことは……」
「はい?」
「何でもない! いいから、それを頭につけろよ! この俺が、女官みたいな事までして作ったんだからな!」
そう叫んで、ボクの二番目の兄は走り去って行った。
アルトはいい子だと思った。
◇
こんな感じで兄たちと、やんわりとした時間を過ごしつつも。
ボクはひたすら本で、精霊や魔法についての情報収集を進めていった。
その原因は、だんだんとゴビニャがボクの呼びかけに応じてくれなくなったっていうのもある。なかなか出て来てくれないのだ。
そして三歳も半ばになった頃、ついにボクの魔力を鑑定する測定日が訪れた。
お読みいただき、ありがとうございます。