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あれから何日かたった。俺たちは部屋にこもり、じっと、何もせず、ただ無為に時間を過ごしていた。その日の夕方のことだった。
「新川、これから…どうする?」
美琴が呟く。俺たちはこの世界にとらわれ、帰ることはできない。でも、1つだけ、帰れる方法はあるかもしれない。それを美琴に告げる。
「…お前は勇者になれよ。んでもって魔王を倒せよ」
「なんで?」
「市場で聞いたんだけどな…、勇者のその後を見たやつはいないらしい」
「じゃあ、勇者は元の世界に帰ったってことか?」
「かもしれない。それに、俺たちの聞いた噂、幽霊話、勇者の格好をしてるって言ったろ。もしかすると、それもこの世界と関係あるのかもしれないだろ。」
美琴は希望が見えたからか、少しだけ元気になった。
「ならよ、俺たちで倒そうぜ、魔王を!」
俺たち、か…。無理だろう、俺の魔力は少なすぎる。ギルドで聞いて見たところ冒険者の平均魔力は2500程度、それに、魔力の量は成長しないと聞いた。なら俺は行くべきではない。足手まといは嫌だ。
「俺は、やめとくよ…」
「な、なんでだよ!元の世界に帰りたくないのか?」
「帰りたいよ!でも…、俺には魔力がない。行っても足手まといになるだけだ」
「足手まといでいいだろ。俺が守ってやるからよ!」
「…」
美琴はどうしても俺と行きたいようだ。もし、魔王を倒し帰れる時、俺がいなかったら、と考えたのだろう。でも…、俺は行けない。行きなくない。なぜなら…。
「美琴…、お前といると、思い出すんだよ」
「!…」
「ごめん…」
「いや…、いいよ。魔王倒したらよ、必ず迎えに来るからな」
「…おう」
俺たちは別れた。その3日後、美琴はギルドでパーティーを組んで町を出た。去り際、あいつは叫んでいた。お前は生きろよ、と。たっちゃんや押井の死で枯れたはずの涙が、ほんの少し頬を伝った。心の中で、寂しさや悲しみ、ほんの少しの期待が混ざっていた。
そして、俺は1人で旅に出ることにした。魔王を倒す、その方法以外で元の世界に帰る方法を探すために。美琴は砂漠を超え次の町へと行った。俺は山を越えで次の町へと向かうことにした。
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迫り来る赤目兎の爪を避ける。体を少し傾けるだけで、目の前を爪が通り過ぎていく。兎が通り過ぎると、体勢を立て直し、魔法を使う。
「肉体強化」
体が軽くなるのを感じる。
俺の固有スキル「肉体強化」は身体能力を上昇させる。上昇の幅は込める魔力量によって異なり、およそ2〜5倍程度となっている。
後ろを向いている赤目兎へ向かって跳躍する。そのままの勢いで剣を振る。グサッ、という音を響かせ、赤目兎の首は落ちた。肉体強化を使う前は傷ひとつつけるのが精一杯だったため、魔法の強さを感じさせられる。
肉体強化はいろいろなところで役に立つ。肉体強化の使用中は五感すべてのよくなるため、情報収集や採取の依頼でも使える時があるだろう。魔力の量が少ないため、常時解放とはいかないが、それでも役に立つスキルだった。
俺は兎の毛皮や肉を剥ぎ取り、歩みを開始する。
アルカスを出て3週間ほどだった。山を越えていくルートは想像以上に厳しく、事故にも巻き込まれたため、未だ次の町へ着くことができない。事故というのも、2週間前吹雪に遭遇し、一時避難した洞窟が、予想以上に広かったため探検していたら、地盤が崩落しより深い洞窟から抜け出せなくなった。そこからは大変だった。幸い強い魔物の出る洞窟ではなかったようで、生きていられるが、太陽の光のない生活は気が滅入りそうになる。まあ、太陽じゃなくてアルスという名前の恒星らしいが。
洞窟ではちらほら生えているヒカリゴケを瓶に詰めあかりの代わりとして用いていた。魔物との戦闘を通して、自身の魔力の使い方のコツは掴めてきた。自分にあった戦闘方というのが少しずつわかり、魔力の低いなりにある程度戦えるようになってきた。
赤目兎を倒してから数分歩いた時、それまでの人1人がようやく通ることのできるような通路から大きな場所へと出た。そしてその場所の中央には台座があり、陽の光が差していた。上を見上げると大きな穴が空いている。高いためそこから出ることはできなさそうだが、少し希望が見え安心した。赤目兎の肉も飽きてきたところだったのでよかった。
視線を戻し、台座を見た。何の変哲も無い台座だか、どうしてこんなところにあるのだろう。この洞窟へ落ちて思ったことがある。人1人がやっと通れる通路、ヒカリゴケは各所に均等に生え、まるで人工で配置されていたかのようだった。もし、人工的に作られた洞窟だとするなら、一体何のためのものなのか、その謎がこの台座に隠されている気がした。まあ、勘だが。
台座を調べること数分、台座の下に隠し階段を発見した。そして、足を踏み入れた。
数分後、この時、何気無しにこの階段へ踏み出したことを俺は後悔することになった。
俺はとっさには目の前の景色を認識できなかった。階段を降り、金属扉を開けた先待っていたものは魔物だった。額に赤い宝石が埋め込まれ、大きさは50センチ四方ぐらいで、それは宙に浮いていた。
俺は剣を構え襲撃に備えた。その時、額の赤い宝石が光ったと思ったその瞬間、俺の左腕には10円大の風穴が空いていた。
「っぐ、いてえええええ!!」
一拍おいて左腕に激痛が走る。左腕がなくなったかのような感覚に襲われる。痛みでまともに動けない。視界の端で魔物の額が二度光る。今度は右足と、右脇腹に穴が空く。
「っあ、あ、…ごふっ」
口から血がにじみ出る。このまま死んでたまるか。ここで死んだら、死んでも死にきれない!
俺は残る力を振り絞り「肉体強化」と唱えた後、魔物に一矢報いるため飛びかかろうとした。しかし、足の痛みによって踏切を失敗して、跳ぶことはできず、俺は部屋の端まで転がった。
ドン、という音を立て俺は部屋の中央にあった丸い岩へとぶつかった。もう腕は上がらない、立つ気力もない。薄れゆく意識の中、近づいてくる魔物だけが見えた。俺は覚悟を決め最後を迎えようとした。残っていたのは少しの後悔だけだった。
その時だった。朦朧とした頭にどこからか声が聞こえる。
ー妾が助けてやろうか?
何だよ、幻聴まで聞こえ始めた。魔物はすぐそこまで迫っており、俺の頭へと狙いを定めているようだ。
ー助けて欲しいならその札を剥がせ
また声が聞こえる。はっ、助けてくれる?なら助けてもらおうじゃねーか。周りを見渡すと、ほんの少し手を伸ばせば届く場所に札は貼ってあった。俺は藁にもすがる思いで手を伸ばす。後少し。
ペリッ、と音を立て札は剥がれた。それと同時に俺は意識を失った。ただ頭元で、崩れゆく岩の音が聞こえたような気がした。
思い出すと長い年が経ったもんじゃ。エリザベスは心のうちでそんなことを思った。この場所に封印されて30年近く経っただろうか。あの時の勇者、名を天元と言ったか。やつに敗れる前は自由だった。魔王というものに縛られることなく、どこへでもいき、何でもすることができた。それを思うとこの30年間ひたすら動けなかったことは何とも辛かった。そんなことを考えながら眼前の敵を見る。
宙に浮くそれは人工魔獣の一種だった。はあ、と溜息が漏れる。人工魔獣の元となるのは普通の魔物。それが人に捕まり改造させられた。見ていて可哀想になる。早く楽にしてやろう。そんな気持ちでいっぱいになる。
しかし、人工魔獣はこちらの気持ちなど御構い無しに襲いかかってきた。額の赤い宝石が光ったかと思った時、エリザベスの頭があった場所を何かが通り過ぎていった。避けるのが遅れていたら死にこそはしないものの少し傷を負っていただろう。
光…か。エリザベスは先ほどの攻撃は光魔法の一種だと予想した。凝縮した光が熱を帯び発射されているのだと。タネさえわかれば怖くはない。次の攻撃が来る前に撃ち落とす。
「魔力具現」
撃ち出したのは単純な魔力の塊。自身の固有スキルの一種である魔力具現を使った単純な攻撃。その一撃は静かに、人工魔獣を一撃で破壊した。そして後に残ったのは小さな宝石だけだった。
人工魔獣を倒した後、倒れている人間の治療をした。人と魔物は対立関係にある。しかし、エリザベス自身は融和派だし、そもそも、そこの人間には封印を解いてもらったという恩がある。魔王としての矜持を保つためにも、この人間は生かさなければならない。
少しするとその人間は目を覚ました。起き上がって周りを見渡した後、自分を見つけ何やら顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。
目を開けるとそこには裸の女がいた。それに、人とは思えないほど美しかった。先ほどまでの魔物の姿は確認できず、多分目の前の人が倒してくれたのだろう。でも、何で裸?
「あの…、助けてくれてありがとうございます。あの…、なんと言うか、どうして服着てないんですか?」
女の人は納得したような顔をして、何やら呟いたと思ったら服を着ていた。あまりに一瞬のことに驚く。今のも魔法の一種なのだろうか。
「お前さんや、助けてくれた恩返しじゃ。なんでも好きなものをやろう」
と女は呟く。助けてくれた?俺が助けてもらったんじゃ…?
「あっと…、助けてもらったのは僕の方ですよ」
女は苦笑しこう告げた。
「お前さんが妾の封印を解いてくれたじゃろ」
確かに、気を失う前に札を取ったような…。って封印されていたということはやばい人ではないのだろうか。
「あっと、あなた…様はどちら様でしょうか?」
「名はエリザベスじゃ。魔王をしとる」
魔王…、って今言った?え、な、魔王だと。どうしてこんなところに…。もしかするとこの洞窟は、魔王を封印するためのものだったのかもしれない。と、すると俺はまんまと魔王を復活させてしまった訳だ。やっちまったーーーー、心の中で叫んだ。やばい、俺殺されてしまうかもしれない。
「して、お前さんは何を望む?」
色々考えているとエリザベスはまた問いかけてきた。
「べ、別に何もいらないです。」
正直に言うと、あんたの命、と答えたかった。魔王が封印された状態で勇者がこちらにきたのなら、勇者のすることは魔王を殺すこと。というのが一番ありえるからだ。なら目の前のこいつを殺せば俺たちは帰れるかもしれない。いや、帰りたいなら言うべきだ。言わなければ帰れないなら…。
「いや、欲しいものはあるよ。あんたの…、魔王の命だ!」
「ふむ、調子にのるなよ小童が。妾の命はこの世界の何よりも重いわ。ふむ、でも、他の魔王の命ならやっても良いぞ。今渡すのは厳しいがのう。」
「え、ちょっ、待って。魔王は何人もいるんですか?」
「そうじゃ、全部で5人じゃな」
魔王は5人いる、なら俺たちの帰る条件はこいつの命である可能性は低い。俺たちがこの世界に来た時、こいつは封印されていたのだから。なら、こいつの命の必要はないな。
「やっぱ、あんたの命はいらないです。他の魔王の命ください?」
「ふむ、賢明じゃ。我は賢しき者がすきじゃ。でも、他の魔王の命はすぐには難しいのう。そうじゃ、なら、妾の命の次に大切なものをやろう。それに魔王の命が欲しいなら役に立つし、お前さんは足りないようだしな」
と言ってエリザベスは納得したようだ。ひとつ言ってもいいか?お前が決めんのかよ。いや、まあね、相手が魔王じゃなかったら言い返してたよ。でも、魔王だし…。怖いし…。それに魔王の命の次に大切なものってなんだよ。訳わかんねえ。
などと考えていると。エリザベスが近づいて来た。反射的に身構える。エリザベスはそのまま俺に近づき、自身の唇を俺の唇に重ね合わしてきた。
「ん、んんんんんんーーー!!」
突然のことに、俺は逃げることもできず為すがままにされた。くそう、俺のファーストキスが…。
その時だった。ドクン、ドクン、心臓が早鐘を打つ。体が熱くなってくる。それに、身体中のあちこちが軋むように痛い。ま、まさか、これは…恋!?な訳ない。痛い、とてつもなく身体中が痛い。
「ぐ、何を?」
「落ち着くのじゃ、すぐに収まる。今やったのは妾の魔力、その一部じゃ。お主が気を失う前に教えといてやろう。固有スキルは魔力具現、それに魔力自動回復、お前さんが使えるのはそのくらいじゃろう。妾の魔力を使いたい時はこう唱えるのじゃ『魔力付与』とな。それと、魔力を使うときは副作用で…」
俺はその先を聞くことはできなかった。魔力をもらった影響は予想以上に大きく気絶してしまった。
起きた時、目の前には草原が広がっていた。記憶が曖昧だ。確か俺は、カブル山脈の洞窟内にいたような…。思い出した。そこで俺は魔王と出会い、力をもらった。なら、あいつが俺をここまで運んでくれたのだろう。義理堅い魔物もいたもんだな。
俺は立ち上がり次の町へ向かおうとした。しかし、ここである1つの問題に行き着いた。それすなわち、自分の今いる場所がわからないということだ。現在、俺の目の前には街道がある。なら、ここを歩いていけばいい訳だか、右か左か、どちらにしようか。
そんなことに悩んでいると、左から荷馬車が来た。馬の手綱を握っていた人は、俺を見かけると、近くへ寄って来て喋りかけて来た。
「ねえ、君、こんなとこでなにしてるの?」
いきなり喋りかけてくる。俺のことを盗賊だとは疑ってないのだろうか?それとも、盗賊だとしても返り討ちにできるくらい強いのか。もしくはこいつ自身が盗賊か。しかし、喋りかけて来たなら好都合。目の前のやつが盗賊でないことを祈ろう。まあ、見た感じ、冒険者風の服を着た、十代半ばの女性なので、盗賊の可能性は低いだろう。
「ああ、迷ってしまって。できれば近くの町への行き方を教えてくれないか?」
「いいよ、私たち今から町に向かっているから、後ろに乗って行きなよ。」
「町の名前は?」
「ビューラ、湖の町よ。」
あたりだ。俺の目指していた町。エリザベスは案外町の近くへ下ろしてくれたのかもしれない。
荷馬車の中には1人の男と、1人の女性がいた。男も女も二十歳にいってそうだ。話を聞くと、3人は冒険者をしているらしい。先ほど声をかけて着たのがサラ、魔法剣士、そんで男がジャック、野伏、で綺麗なお姉さんは魔法使いらしい、名前はユーリア。冒険者ランクは6で、かなりの強者だ。俺はランク10なので、一緒の依頼をするということはなさそうだが、もしかするとギルドで会うことがあるかもしれない。仲良くしといて損はないだろう。
進むこと10分で町へ着いた。ビューラは湖を囲むようにしてできた町で、とても綺麗だった。湖の中心には浮島が1つあった。肉体強化をして遠視すると、宿屋のマークが見えた。どうして、あんなにめんどくさい場所に宿屋が、と思ったが口には出さないでおく。
町についた時、彼らとは別れ俺は1人で市場へ行った。露店で食事をして、ポーションなどの必需品を買い込んだ後その近くの宿屋で休憩することにした。露天商には魔法書があったが、高いため手を出すことができない。まあ、お金はあるんだけどね。俺は計画的に使う派だからね。買うのはやめといた。
宿屋で荷物を置き寝転がる。
ゴリッ
「痛っ!」
寝転がった拍子にポケットの中のものを下敷きにし、それが肉に食い込んできた。ポケットに手を入れて取り出すとそこには赤い玉があった。
「なっ!」
確かこれは俺が半殺しにさせられた魔物の額の宝石。なんでこんなところに!?いや、犯人は分かっている。あの魔王だ。なんでこんなもんを俺にくれたのだろう?深くは考えず、俺はそれをカバンにしまい眠りについた。