ミラ・アースガルド
――統一国家ロンヴァルディア。
かつては大陸中央に位置する小国に過ぎなかったこの国も先の《世界大戦》での勝利が決定的なものとなり今や大陸随一の超大国と呼ばれるまでに急成長した。
その原動力となったものはただ一つ。おそらくは誰に聞いても同じ答えが返ってくるだろう。そしてその力を使える者達は鼻を高くして得意げに答えるだろう。
――“魔法”と。
それは神に選ばれし者だけが扱うことを許された神秘的な力。
世界的に見ても数少ないその力の学び舎は今や絶大な権力を誇っていた。
中でも別格なのは八百年の歴史を誇る世界最古の魔法学校。
祭りでもないのに町総出でパレードのように賑わう今日はそこの卒業式だった。
「ミラ・アースガルド。前へ」
騒がしい外部とは裏腹に静寂に包まれた聖堂内。
本来ならば一介の生徒ごときが足を踏み入れる事など絶対に許されない聖域だったが、例外ともいわれる日が年に一度だけある。
それは決して公になることはないものの、数百という卒業生の中からたった一人。学業、実技、人格などのあらゆる要素を満たし、なおかつ学長から認められた者のみが選ばれる特別な卒業式を人々はいつしか“受願式”と呼び都市伝説とばかりにまことしやかに噂した。
「今までに数多くの生徒を世に送り出してきたが君ほど優秀な者はそう多くない。我らが初代学長――偉大なオリハルコンはかつてこの場で最も優秀な生徒の願いをなんでも一つ叶えたという。私も歴代学長にあやかり貴公の願い事を一つ叶えようと思う」
騎士のように跪くミラを前に学長ブラームスは誇るように声高々とそう宣言する。
すると巻き起こる拍手の嵐。政財界の大物や国の重鎮、他の魔法学校の学長などその顔触れは錚々たるものだった。
「ありがたきお言葉。私のような者には勿体ない」
本心からではなく、所謂“お約束”の言葉を口にするミラ。
貴族の嗜みと言い換えれば少しは聞こえが良くなるかもしれないが、ミラはそういった誤魔化すような表現を内心では嫌っており、このような茶番は毎度のことながら億劫に感じていた。
「その謙虚さや良し、何でも申してみよ。オリハルコンの贈り物はそなたの未来を照らす大いなる光となるだろう」
目に見えて得意げな表情を浮かべるブラームス学長。
貴族主義のブラームスにとって、ミラとのやり取りはまさに理想的なものだった。
「では――……」
願望の成就。それを確信したことでミラの口元が緩んだ。
体内に流れる血液がマグマに変わったかのような熱気を帯びた昂揚感。
その為に主席を取った。その為だけに六年間の学生生活を最優秀であり続けた。
まさに今、その努力が形として認められようとしていた。
「四条要の釈放を所望します」
その言葉を皮切りに時が止まったかのように静まり返る聖堂。
――その言葉が何を意味するもの。
ミラはそのすべてを理解した上で臆することなくそれを口にした。
「……今なんと?」
青白い肌に血管を浮かび上がらせて信じられないとばかりに体を震わす学長。
周囲から飛び交う困惑の声。静寂な場は一変し、収拾がつかなくなるぐらい無様な様相を呈した。
「四条要の釈放を所望します……と申し上げました」
場が落ち着きを取り戻し始めた頃にミラは再び同じ言葉を口にする。
すると、学長の震える手からは古木の杖がカラリと転がり落ちた。
「ミラ・アースガルド。自分が何を言ってるのか分かっているのか……?」
「はい」
「どうゆうつもりかは知らんが、あの男は死んだ。十年も前にだ!」
「記録上ではそうなっているようですね」
「何を言っている……?」
「実は生きてるんでしょう? それもあなたの監視下で」
「…………ッ」
ブラームスにとってはまさに刺客に胸を刺されたような気分だった。
魔法使いとしては知らぬ者がいないぐらい名家の出とはいえ、完全に闇に葬ったはずの男が生きていることを何の繋がりもない小娘がなぜ知っているのか。
それを問い詰めたいという衝動こそあれど、実行に移すにはあまりにも場が悪い。焦る気持ちを抑えながら周囲に気取られぬようにあくまで平静を装い、浮足立つ場の収拾を第一にブラームスは考え始める。
「アースガルド家の娘よ。その話は本当かね?」
「これは大臣。このミラ・アースガルド、このような場で嘘は申し上げません」
「つまり証拠があるということだな?」
「そう捉えて頂いて差し支えありません」
「ふむ……」
ミラにとってここまでの事態になるのはすべて想定の範囲内。
だからこそ敢えてこの場で“件の男”の名を口にした。
すべては正攻法では絶対に首を縦に振らないであろう学長を屈服させる為。
賽が投げられた以上は何が何でも成功させる必要があった。
「デタラメだ! 大臣、小娘の戯言など聞く必要がない!」
「ブラームス学長、貴殿はさきほどから何を取り乱している?」
「別に取り乱してなどおらん!」
「ならば堂々としていればよかろう」
犬猿の仲であることを周知するように言い争う二人の老人。それは二人が因縁深い政敵であることを事前に知っていたミラの策略でもあった。
――すべてが計画通り。
ミラは最後の仕上げとなる“必殺”のタイミングを虎視眈々と窺っていた。
「だいたいあのような化物を閉じ込められる牢などこの世に存在しない!」
学長は声を荒げてそう叫んだが、それこそがミラの待ち望んだ言葉だった。
狩人が獲物の急所目掛けて矢を射る一瞬。 タイミングを見計らっていたミラはここぞとばかりに口をを挟む。
「この世とは異なる世界にあるとされる牢獄。その名を“時空牢”」
「なっ……」
「四条要はそこに幽閉されています」
学園地下の最深部にある厳重な結界が施されている開かずの間――。
初代学長オリハルコンから連なる歴代の学長だけがその詳細を知るとされるそこは嘘か真か調べた者が謎の失踪を遂げるという所謂“いわく付き”の場所として学生の間では有名だった。
具体的な確証こそなかったが、だからこそミラは確信していた。
「……してそれはどこにある?」
「オリハルコンの地下にございます」
「ならん! あそこは貴様らごときが足を踏み入れてよい場所ではない!」
「口が過ぎるぞ学長。それを決めるのは国の守護者たる“聖騎士団”の長である私だ」
国防大臣にして誉れ高い聖騎士団の長を長年務める男。
バートミックス・アウロはこの時すでに学長を疑っていた。
生来の気質に立場というものが加わり大抵の物事に関して慎重、もしくは保守的な考えで知られるアウロだったが長年の勘から今回の件は即決で答えを出す必要がある。
――後手に回れば真相が闇に葬られるだろう。
その根底に政敵である学長を失脚させたいという気持ちがなかったわけじゃない。だがそれを差し引いたとしてもアウロの視界に映る自身の孫娘ほどの少女の言葉には何とも言えない“真実味”が滲み出ておりそれを無視できなかったのだ。
「アースガルドの娘よ、名を何と言った?」
「ミラです。ミラ・アースガルド」
「ミラよ。貴公のいう証拠とやらを今この場で提示することはできるか?」
「残念ながらそれはできません」
「なぜだ?」
「この場において“知るべきではない人”があまりにも多いからです」
「なるほど……」
短いやり取りの中でアウロはミラを利口だと判断した。
――言い知れぬ敵の存在。
直感でそれを感じ取ったアウロは自分にできる権限の行使を厭わなかった。
「ブラームス学長を捕えろ」
「血迷ったか大臣!」
「国防最高責任者としての判断を下したまでだ。もしも私の判断にミスがあれば私が責任をとるだけの話。やましいことがなければ文句はあるまい」
「後悔するぞ……」
「それは脅しかね?」
アウロの四方を警護する四人の聖騎士のうちの二人がブラームス拘束に動いた。
無言で睨み合うアウロとブラームス。その重苦しい場の空気に呑まれてか、周囲の者は誰もが口を噤み固唾を呑んでその様子を静かに見守っていた。
「すぐにオリハルコンの地下に向かうぞ。事実確認はそれで事足りる」
「馬鹿な真似はよせ!」
「国防において私の言葉は国王の言葉に等しい。もしもこれ以上非協力的な言動を繰り返すというのならば私の一存で処分してやってもよいのだぞ?」
「なんと傲慢な……」
「貴殿に言われる筋合いはない」
その一連のやり取りはミラにとって少々予想外なものだった。
事実確認よりも先に確証を得たがると予想したアウロが即決するとは……。
しかし、それはミラにとって追い風。流れとしてはむしろ良い方向だった。
ミラの計画の不安要素を挙げるならば、確証に時間をかける事によって小賢しくもその隙をついて学長の仲間が妨害する可能性だったが、その可能性は大臣の判断により潰えた。
「さあ、学長。件の場所に案内してもらおうか」
「愚か者どもめ……」
「聖騎士を一人この場に残す。不穏な動きをする者が現れないとは限らないからな」
十年前かつての大戦で英雄の一人に数えられただけのことはある。
ミラは即座に自身の認識を改めた。
彼女が知る限り、アウロという人物は何かしら突出したものがあったわけではなく、勝てる戦いを順当に勝ち進んだだけの“凡将”というイメージが強い。
ゆえに良くも悪くも常識的で臨機応変さには欠けるといった印象だったが、実際は強引であっても的確な判断を曇ることなく下せるだけの眼を持つ“賢将”だったのだ。
老若男女問わず出会った者の多くから一様に聡明だと評されるミラだったが、その内心では自身の未熟さに苛立つ場面も多く今回もそういった意味での一例となった。
「私もご一緒してよろしいでしょうか?」
「もちろんそのつもりだ。そもそも君が言い出したことだろう」
「ありがとうございます」
結果としてはミラの目論見通り。ミラとアウロ、護衛の聖騎士三人に学長を合わせた六人は学校の地下にあるとされる時空牢を目指して足を進めた。