第5話 喫茶店小話
親方旋風で始まった『昭和の喫茶店・はるぶすと』だが。
いつものランチやディナーがないので、優秀な店員が3人もいるとかなり手持ち無沙汰になる。なので、自然とその日はシュウが1人で店をまわすことになった。
え? あとの2人、特に夏樹は文句タラタラじゃないかって?
大丈夫。実は冬里と夏樹はその日を利用して、以前チラッと話していた日本全国の美味いものや、その土地ならではの食を求めて、北は北海道から南は沖縄まで、なんと日帰りで駆け回っているのだ。
「いらっしゃいませ」
カラン、と言ういつものドアベルとともに入ってきたのは。
「こんにちは」
少し照れたように微笑んでいる椿だ。
実は椿、1度訪れてからこのレトロな雰囲気にはまってしまい、日にちが告知されるとわざわざ有給休暇を取ってやって来ては、日がな一日店でくつろぐようになってしまった。
「また来ちゃいました。まるで実家? ですね」
「よろしいですよ。椿くんは家族みたいなものですから」
ふんわりと微笑みながら言うシュウに、軽く頭を下げる。
「ありがとうございます。じゃあ、今日は珈琲で」
「かしこまりました」
こちらも指定席になった、坂之下の真向かいにあたるカウンターのすみっこに座る椿。
今日は、と言う言葉どおり、いつも決まったものを頼むのではなく、その日の気分や体調に合わせてオーダーも変えている。静かに本を開いて読み始めた頃に、カラン、とまたドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
「……」
無言でしかめ面のおじさんがソファ席に座る。しばらくすると、シュウは香り高いブレックファーストティーを運んでいった。
「ようこそ」
「ん。……うーん、いい香りだ」
ディカップを持ち上げて香りを楽しむと、しかめ面が途端に可愛らしい笑顔に変わる。彼もまた、この雰囲気に魅せられた常連さんの1人だ。
そのあとも、ひとり、またひとりと、おっさん(失礼)や若者が訪れてくる。だいたいは男性だ。
いつもはかしましいマダムたちは、この古めかしーい雰囲気はどうやらお気に召さない模様。ほとんどいらっしゃらないため、この日ばかりは満席でも騒がしさを感じられない(話し声がいつもより1オクターブ以上低いため? )
やがてやって来た爺さん(またまた失礼)2人が簡易将棋盤を広げると、自然とそれを取り囲む観客が現れる。日によって、それが囲碁になったりチェスになったり、ときたまオセロになったりする。
こうして一日限定レトロ『はるぶすと』は、まったりとのんびりと時間が過ぎていく。
「お! また来てるのかね、椿くん」
「そういう親方も」
ちょうど時間は昼休みに入ったところだ。ふらっと坂之下が入ってくる。この日ばかりは彼も1人でやって来ることが多い。
カウンターの椿の向かい側に座ると、嬉しそうにナポリタンを注文した。
「わしは昔懐かしいナポリタンを堪能するために来たんだ」
「そう言えば、もう昼なんですね。じゃあ、俺もナポリタンお願いします」
「かしこまりました」
今日一日は、日替わりランチもお休み。2人が注文したナポリタンをはじめ、サンドイッチ、カレー、エビフライなど、昔から喫茶店で出される定番メニューに変わる。
たまに、「おにぎりとか、ないかね」などとワガママ? を言う客もいるが、そこはシュウのことだ、「かしこまりました」と嫌な顔ひとつせず、大概のリクエストに答えている。
こうして和やかに一日が過ぎ。
夕刻が迫った頃、椿がウーンと伸びをして立ち上がった。
「今日はどうされます?」
シュウが聞く。
「はい。今日の晩飯は俺が作ります。ちょうど夏樹に教わった鶏肉のバジルソテーを試してみたかったんで。鶏肉は疲労回復にも良いみたいですし」
「椿くん、お疲れですか?」
「あー、いや。由利香が今週は忙しそうにしてたんで」
ふっと微笑んでシュウが頷く。
「わかりました。それではお願いします」
最初に椿が来たとき、なんとシュウが夕飯の用意までしてくれていた。恐縮した椿が、次回からは帰って食べると言ったのだが、「ついでですから」と、いつものごとくシュウにはぐらかされ、それなら自分が夕食を担当すると提案したのだ。だいたいは1人だが、時には由利香と2人で作ることもある。
また、デパートで各地の美味いもの市が開催されているときは、由利香が会社帰りに色々見繕ってきたりもする。
さっきどうするかとシュウが聞いたのは、そんな経緯があるからだ。
「で、ちょっと確かめたい手順があったんで、さっき夏樹に聞いたんだけど、まだ返事がなくて。……あ、きた」
ブルブルと携帯が震えて、椿が画面を確認している。
「……あれ」
苦笑した椿に、シュウが言葉なく顔をかしげて先を促す。
「いや、今日はさすがに遠出なんで、当然、夕飯済ませてくるんだろうなと思ってたんですが、どうしても出来映えが気になるって。で、2人の分も作っておけって。あーあ、俺ってそんなに信用ないかな」
すると、シュウも少し苦笑顔になりながら答える。
「夏樹は研究熱心だからね。自分の考えたレシピが椿くんの手にかかるとどうなるか、興味津々なんだろうね」
「いや、アレンジなんてできるほどの腕はありませんよ」
そう言いつつ、
「うおっし! 仕方ない、頑張るかー」
と、頭や肩をぐるぐる回しながら裏階段へと向かうのだった。
その日のお昼頃、夏樹と冬里は。
「うわっ! なんすかこのイクラ! ぜんっぜん生臭さがない。うー、美味いっす!」
「あたりまえっしょー、あたしが特製醤油でつけ込んだんだからさー」
「ふうん。僕、あんまりイクラは得意じゃないんだけど、これはスイスイいけるね」
「そうですよね! 冬里もそう思うっすよね! えっと、おばさ……おねえさん! 作り方教えて下さい!」
「だーめだー」
「ケチー」
「ははは」
なんと、北海道にいた。
フランクな北海道人とフランクな夏樹は、あっという間にお友達になり、「今日できあがったところさー、まあ食べていきな」という言葉とともに出てきたイクラの醤油漬けに舌鼓を打っているところだ。
「だったら、味を覚えて、帰ってから再現してやるっすよ」
「おにーさん、言うねー」
「まあ、夏樹とは年期が違うから無理かもね」
「なーんも、誰にでもできるって」
「できるって」
「ははは」
夏樹はその味を再現できるか?
とにかく、また和風ランチに新たな一品が加わることになるかもしれない。
こうして『はるぶすと』のランチは、日々進化を続けていく。
色んな事がありますが、『はるぶすと』は、明日は通常スタイルで営業させていただきます。