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第4話 親方旋風ふたたび

 本日のランチもあと1食となった、とある日の午後。


「いらっしゃいませ」

「おう」

 カラン、と軽快なドアベルとともに入ってきたのは、この店ともなじみが深い、坂之下さかのした 泰造たいぞう氏、またの名を親方と呼ばれているその人だった。

 彼は、ちょうどあいていたシュウの前の席に、どっかと座り込む。

「お一人ですか? 」

 シュウが聞く。

 と言うのには訳があって、坂之下がここへ来るときは、たいてい会社の若い衆を連れているか、取引先の人間と一緒だったりするからだ。

「ああ、今日はちょっと出遅れてな。ところで、まだランチ残ってるか? 」

「そうでしたか。はい、ちょうどあと1食です。ついておられますね」

「そりゃあいい。やっぱりわしは持ってる男ってな。頼むよ」

「かしこまりました」


 午後も少し過ぎていたので空腹だったのだろう、坂之下は「うーむ、相変わらず美味い!」を連発しながら、あっという間にランチを平らげてしまった。その様子を微笑みながら見ていたシュウが、頃合いでプレートを下げながら聞く。

「食後は珈琲でよろしいですか? 」

「ああ、頼むよ」

「それではお持ちしますので、お好きな席でお待ちください」

 シュウは坂之下の後方に広がるソファ席を示しながら言う。だが、彼はなぜか席を立とうとしない。

「ああ。いや、今日はここでもらうよ」

「お急ぎですか? 」

「いや、たまには鞍馬くんとゆっくり話をしながら珈琲を楽しみたいと思ってね」

「? 」

 怪訝そうな顔で見返すシュウに、坂之下は笑いながら言う。

「なんだー? そんなに警戒しなくても良いじゃないか。あ、そうか、ずいぶん前に言ったあやねの許嫁の件でも蒸し返されると思ったか? 」

「いえ」

 思いがけないことを言われて、少し苦笑気味にシュウが言う。

「そーんなもん、言わないさ。いや、だがまだ完全にあきらめた訳じゃないんだがな」

「…」

 今度はあきれたような表情のシュウ。

「ハハハ、まあ良いじゃないか。もうお客さんも少ないことだし。それにうちがここを改装したあと、きちんと感想を聞いてなかったと思ってな。使い勝手だとかも含めて」

「そうでしたか。それでしたら以前と同じく、とても満足していますよ」

 あきらかにホッとした様子で言うシュウに、今度は坂之下が苦笑気味に言う。

「なんだ、そんなにあからさまにしなくても。あやねはいい子だぞ」

「いえ、それは十分承知していますが…、やはりご本人の意思が」

「わかってるよ」

 坂之下は楽しそうに言って、あらためて改装の感想に話を移して行く。



 そこへ、ソファ席の片付けをしていた夏樹が帰ってきて話に加わった。

「いらっしゃいませ、親方。なんすかー、二人でなんだかやけに楽しそうじゃないっすか。俺も仲間に入れて下さいよ」

 さきほどソファ席にいた客が帰り、今、店内には坂の下一人だけである。そのため夏樹も安心して? 無駄話に加わることが出来るのだ。

 そしてもう1人。

「なに? シュウ。とうとうあやねちゃんと将来を約束する気になったの? 」

 言わずと知れた冬里である。

「ええ?! それはちょっとまずい…、あ! いや、変な意味じゃなくってですね」

 冬里の話を真に受けた夏樹が、正直に言ってしまってアワアワしている。

「冬里…」

 シュウはまた深いため息をついて冬里に厳重注意し、夏樹には誤解だと説明する。

 坂之下はそんなやり取りを聞いて少し残念そうだったが、気を取り直して、あとの2人にも店の内装や使い勝手を聞きはじめた。


「僕はいっぱいわがままを聞いてもらったからね。今のところは充分満足だよ」

「俺もです。あ、ただ…」

 と、ソファのひとつを指さして言う。

「あのソファ、見た目はすごく良いし、座り心地も良くて人気なんすけど、ただ、重いのが難点で。この間お客様が力任せに引きずって、床が少し…」

「お、キズかね? それはいかん」

 と、坂之下はプロの顔になって、キズの具合を検分している。

「ああ、これならなんとかなるな。またうちの若いもんを来させるよ」

「ありがとうございます! よろしくおねがいしまっす」

 夏樹は大丈夫だとわかると、嬉しそうに頭を下げた。


 そんなこんなの間に、ランチの片付けを終えたシュウが、入り口にCLOSEの札をかけに行き、カウンターに座り直して珈琲を楽しむ坂之下の前に立った。

「私も最初に言ったとおり、レイアウト以外はすべて信頼してお任せしましたので」

「満足かね? 」

「はい」


「けど、親方さんの方に、ちょっと不満があるんじゃないか? 」

 すると、ちょうど頃合いを見計らって2階から降りて来たのだろう。樫村が裏ドアを開けて入ってきながらそんな風に言った。

「ハル? 」

 シュウが不思議そうにたずねたあと坂之下の方を見やると、彼は一瞬ポカンとしたものの、そのあと豪快に笑い出した。

「いやいや、樫村くん。さすが」

 と言ったあと、シュウに向き直る。

「そうなんだよ、鞍馬くん。実は前々から疑問に思っていた事があってな」

「疑問、ですか」

「ああ。鞍馬くんはここを喫茶店だと言っているが、それにしてはどうも、しゃれすぎている気がしてな。わしにしてみればどう考えてもここは正統レストラン、という感じなんだよ」

「そう、ですか? 」

 ちょっと首をかしげるシュウに重ねて言う。

「ああ、そうだな。ランチはまだわかるが、ディナーなんてのは喫茶店にはないぞ。それに、ケチャップ味のナポリタンだとか、クリームソーダだとか、こう、野暮ったいんだが喫茶店ならこれ! と言うメニューがない。それにだな、…、…、…」

 坂之下が語る喫茶店像をおとなしく聞いていたシュウが、しばらくして話が途切れると、少し納得したように言う。

「そうですか。私はほとんど外国で生活していたので、日本の喫茶店というカテゴリーを少し勘違いしていたようですね」

「うむ」


 満足そうに頷く坂之下に、冬里が可笑しそうに言う。

「でも親方~。親方の言う喫茶店像ってさ、なーんか古くて懐かしい昭和の喫茶店って感じだね」

「うぐ」

 どうやら痛いところを突かれたらしい。いったんグッと言葉に詰まった坂之下だったが、すぐに立ち直る。

「まあ、なんだ。それはやはりわしらの年代が考える喫茶店とは、だな。そういうもんだ」

「そうかもね」

 珍しく素直に同意する冬里に肩すかしを食らったような坂之下は、だがまたすぐに立ち直って言う。

「あー、だが、言ってしまってすっきりしたよ。これも樫村くんの誘導尋問? のおかげだ、ありがとうな。でもまあそんなに気にせず、ただのおっさんのたわごとだと聞き流してくれ。ここだって、いまさらこのスタイルを変える訳にはいかんだろうしな」

 本当にすっきりした様子で坂之下は、

「ごちそうさん。長居してしまってすまん。また寄せてもらうよ」

 と、風のように帰っていった。



 坂之下が使ったコーヒーカップをみつめて、シュウがしばし考え込んでいる。

「親方の話、そんなにショックだった? 」

 すると、いつの間にか座席の方に回っていた冬里がカップを片付けながら、含んだような微笑みを向けて言う。

「あ、いや」

 ふと我に返ったようにシュウは顔を上げる。

「冬里は、昭和の日本も知ってるよね」

「もちろん」

「喫茶店は」

「昔のは親方の言う感じ。で、最近のはどうかなー、探していちど行ってみる? 」

 首をかしげて言う冬里に、シュウはかぶりを振った。

「いや、それはいいよ。けれど、こんなに綺麗にここを改装してくれた人が、あんな風に言うのなら」

「ええー? シュウ。ここを親方の言うような喫茶店にしちゃうの? 」

 すると、また夏樹が聞きとがめて言う。

「ええっ?! 親方の言ってた喫茶店って、その、ケチャップ味のナポリタンとか? ばっか出すんですよね? 時々ならいいっすけど、いっつもそれじゃあ、俺、なんつーか欲求不満に陥りそうですよお」

 シュン、と肩を落とした夏樹に、可笑しそうにシュウが答える。

「大丈夫だよ、夏樹。私はここをそんな風にするつもりはないよ」

「ほんとっすか! 」

「ああ、だけど」

「? 」

「月に1度くらい、昭和の喫茶店というのかな、そういう日を設けてみたら面白いかな、とか考えたんだけどね」

 今度は珍しくいたずらっぽい顔で言うシュウがいた。


「俺は賛成だぜ。あとで写真でも送ってくれればありがたいな」

 ニヤニヤしながら、樫村が手を上げて言う。

「僕もさんせい」

 冬里もひょいと手を上げる。

「はいはい! 月に1回くらいなら、大賛成っす! 」

 夏樹も言わずもがな、元気よく宣誓したのだった。




 そんな経緯があって。


「よお、また来たぜー」

「いらっしゃいませ」

「おわ、親方皆勤ですねー、さすが言い出しっぺ」


 月に1度か2度、『はるぶすと』は、〈昭和の喫茶店〉になる。

 ネットなどで調べた雰囲気を参考に、もちろん生き字引? の冬里の意見も取り入れて、工夫を凝らした店内は、いつもとはガラリと雰囲気が変わる。

 曜日などは決まっておらず、お客様には2ヶ月ほど前から、ポスターやパンフレットや口コミで周知をし始める。

 最初は驚いていた常連さんだったが、そこはやはり『はるぶすと』のお客様。すぐにこの空間を楽しむようになっていた。

 この日はディナーもお休み。閉店までひたすらレトロな喫茶店なのだ。


 そして。

 シュウにとっては想定外だったのが、坂之下の年代はもちろん、少し下の年代も上の年代も、女性より男性客が多く訪れることだ。


「なんか、落ち着くんですよね」

 仕事の途中で昼休憩を取りに来るサラリーマン。

「お、いい手だな」

 いつもなら絶対に持ち込まれることのない、将棋や囲碁の簡易版を持ち込んで対局するおじさんたち。

「クリイムソーダ? 」

「そうそう。これがそうだよー」

「わー! みどりいろー。わー! こぼれてるー」

「おお、はやくソーダを飲まねば! 」

 孫を連れて、楽しそうにクリームソーダを注文するおじいさん。


「坂之下さんのおかげで、楽しみが増えました」

 喫茶店の日は指定席となったカウンターの隅っこで、今日も美味しそうに珈琲を飲む坂之下に、シュウが声を掛けた。

「いやいやこっちだって、まさかこんな無茶を叶えてくれるとは、思ってもみなかったよ」

「それにしても、勉強になります」

「なんだ? 」

「男の方がこんなに来てくれるとは、思っていませんでした」

「そうだなー、今時はおしゃれで綺麗でってのが良くて、女、いや、レディにばっかり照準をあわせてやがるからな。男は肩身が狭いんだろ」

「…」

 言い返す言葉もなく苦笑するシュウだったが、また、カラン、と入り口が開いたのをきっかけに、軽く会釈してその場を離れて行った。




「鞍馬くん! また思いついたぞ! 」

 ある日勢いよく入り口が開き、坂の下が飛び込んでくる。

「いらっしゃいませ、坂之下さん。どうされました」

「今度はだな! 大衆食堂を始めて見たらどうだ? ついでに立ち飲みなんかもいいかもな。おっさんたちが大喜びだ! 」

「…」

 さすがにそれは、と言うシュウのつぶやきを聞いて、ガックリする坂之下。

 だが、それであきらめるような坂之下ではない。次に顔を上げたときは、何やらムフフ、と一筋縄ではいかない笑みを浮かべていた。


 親方旋風はとどまることを知らないのだ。




ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

久しぶりにお茶目な親方に登場して頂きました。腕はいいけれど、どっかずれてる坂之下さん。けれどみんなそんな親方が大好きなんです。

さて、親方と同じく、筆者もなぜ鞍馬くんが喫茶店にこだわるのか、不思議だったんですよね。まあなんのことはない、だだの認識不足ってだけでした。鞍馬くんらしい?(笑)

お話しはまだ続きますので、どうぞほっこりしにいらして下さい。


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