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袋小路を越える

 逃げ込む路地を間違えた。

 ちょっと曲がったら行き止まりである。

 誰が何を考えてこんな路地を作ったのか知らないが、無計画にも程がある。

 突き当たりの石壁を見つめながら、

 僕はすぐ隣で立ち尽くしている和泉に聞いてみた。

「こういう場合はどうするんだ?」

 一言しか返ってこなかった。全く論理的な、一分の隙もない回答だった。

「戻るしかないわ」

 僕らが踵を返すと、さっきの空き地の方角からひたひたと歩み寄る音がある。

 やがて、ドーベルマンくらいの犬がやってきて、つきあたりの壁に頭をぶつけるのが見えた。

 それがゆっくり方向転換しようと、不器用にじたばたする。

 僕たちはそろそろとあとじさった。

 背中にひんやりとした石壁の感触があった。

 暑い夏の夜にはありがたい……って違う!

 幸い、目の前のドーベルマンもどきはパニックに陥っている。これは神様(この時ばかりは信じようと思っていた)が僕たちにくれたチャンスだ。

 僕は混乱の中で考えた。

 行き止まり。塞がれた退路。狭い路地に二人。背中の壁。僕たち以外、誰もいない世界……。

 僕の頭に、全く論理的な、一分の隙もない解答が閃いた。

「カベ越えよう」

 きょとんとする和泉の背後に回り、細い両足を引っつかんで大きく開く。

「え?」

 開いた脚の間に頭を突っ込み、肩車をする。

「ちょっとヤダ! やめて!」

 足首が細いので掴みやすい。身体も小さいので、軽くていい。

 問題は、羞恥にじたばたする和泉だ。暑いのに首を締め付けてくる太腿が熱い。こっちが汗ばんでくる。

 くるっと回れ右をして、和泉をけしかける。

「ほら、塀に手かけて!」

 僕の言わんとしていたことがようやく呑みこめたのか、和泉の姿は塀の向こうに消えた。

 どさりという音と共に和泉が叫ぶ。

「痛ったあい!」

 女の子にこう言われると、僕も弱い。

「大丈夫?」

 和泉の叱責が飛ぶ。

「ちょっと転んだだけよ!急いで!」

 そう言われても、石壁には手がかりも何もない。てっぺんに手をかけようとしても、微妙に高すぎて手に力が入らない。

 壁に突っ張った脚が滑り、僕はもんどり打って路地に転がった。

 逆さまになった世界に、ぎらりと光る二つの目。唸り声。硫黄の臭い。

 もがきながら立ち上がって、再びあとじさる。背中に冷たい壁がぴったり張り付く。

 じりじりと迫ってくるドーベルマンもどきは、心なしかさっきより一回り大きくなったような気がする。

 助けて、と叫ぼうと思ったが声が出ない。誰に叫んでいいのかもわからない。

 泣き出したくなったとき。

 目の前に家庭用ビニールホースが降ってきた。庭の水撒きなんかに使うヤツである。

 慌てて掴んで引っ張ると、手応えがある。

 塀の向こうから和泉の呻き声が聞こえた。

「早くう」

 ばたばたと、慌てて壁を這い上がる。

 塀の上に上がってホースを離す。ホースはずるずると、塀の向こうの庭へと消える。

 その庭には、和泉がぜーはー言いながら芝生の上にぐったりと横たわっていた。

 苦しい息の下から叫ぶ。

「早く、来て!」

 慌てて飛び降りて、和泉を抱き起こした。

 僕の腕に身体を預けながら、なおも和泉は急かす。

「急いで、飛び越えてくる!」

 言ってる傍から何かが塀を飛び越えてきた。

 着地!

 和泉を抱きしめ、影を転がってよける。芝生に横たわる僕たちの体の真横で、影はもたもたと直角に方向変換する。

 僕は和泉を抱えたまま急いで立ち上がった。全力でダッシュする。

 走れば影も同様に走り出すことは分かっていた。

 だけど、方向変換した影は、僕たちが転がっていたところにまず一歩踏み出してから、再び方向変換しなければならない。

 その隙を衝けば、この家のそんなに広くない敷地からは充分に逃げられる。

 案の定、この家の建物の角を二つ曲がったとき、影は最初の角でもたもたと足を踏み替えていた。

 僕は難なく、この家の面した表通りに出ることができたのだった。

 再び別の路地に逃げ込み、片手で和泉の身体を抱えながら歩く。

 やがて、和泉は「もういいわよ」といいながら僕の手を引き剥がした。

 次の瞬間、至近距離から見上げる角度で強烈な平手打ち。

「どこ触ってんのよ」

 そういえば、大きいとはいえないけど確かにあると分かる柔らかい感触が、掌の中に残っている。

 ずかずかと前を歩く和泉に、僕は素直に謝った。

 和泉は振り向きもしない。

「知らない。のしかかられて重かったんだから」

 僕たちはそのまま、黙って歩いた。

 路地はやはり、入り組んでいた。僕は再び、和泉について歩いた。

 しばらくして、月が昇った。

 ぼそりと和泉の声が聞こえた。

「ありがと」

 振り向いた和泉の長い黒髪がはらりと揺れた。白い肌が月の光に輝いていた。

 細い腕がすっと伸びて、僕の手を取る。

「隣、歩いて」

 僕は無言で和泉に並んだ。

 路地を塞ぐようにして歩き続ける。

 和泉は囁くように言った。

「家の敷地に逃げると、追い込まれるだけなのよ」

 ひたひたと、あの足音が迫ってくる。硫黄の臭い。

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