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忍び寄る者に振り向いてはならない

 僕が改めて「あいつ」の正体を尋ねると、和泉は「ブラックドッグ」と答えた。

 一旦答えると、和泉は立て板に水を流すような勢いで喋り始めた。

「聞いたことないかな、ブラックドッグって。もともとはイギリス辺りの都市伝説なんだけどさ、この辺でも聞くようになったかな。人気のない道を歩いてると、小さい犬がとことこついてくるの。そんなの気にしないで歩き続けると、どこまでもついてくるの」

 僕はあの黒い小犬のことを思い出した。まさか、あれが?

 少女は続ける。

「振り向くと、ちょっと大きくなってるの。振り向く度に大きくなってる。気味悪くなって走り出すと、走って追って来るの。そのうち力尽きてくると、間が縮まってくるわ。そこで振り向くと、虎かライオンぐらい大きくなってる。しまいには、火まで噴くようになってね」

 硫黄の臭いはそれか。

 和泉は僕の顔をじーっとみて、両腕を高く振り上げる。精一杯低い声で、一言。

「小山くらいの大きさになったヤツに、ひと呑み」

 怖くもなんともない。僕は軽くスルーして、次の質問をぶつけた。

「どうして路地を曲がるの?」

 スルーされたことを気にする様子もなく、和泉は再びまくしたてた。

「あいつはね、獲物が逃げる方向変えても、自分は簡単に向きを変えられない。だから、あいつがもたついているうちに、とにかく路地を曲がり倒すのよ。ただし、同じ道は二度と使えないし、いずれはカン付かれちゃうけど、時間は稼げるわ」

 そこで和泉は、僕の顔をじっと睨みつけていった。

「本当は危なかったんだからね、校庭で。あなたまっすぐ校門出ようとしたでしょう。広いところで見つかって逃げるときは、ジグザグに走るしかないのよ」

 と、いうことは……

「路地を歩いて逃げ回るほうが有利」

 和泉は膝に片肘ついた姿勢で、頬杖をついた。

 しかし、逃げ回るといっても限度がある。

「いつまで?」

 僕の問いに、和泉は空を見上げて答えた。

「夜が明けるまで」

 空は深い藍色にぼんやりと光っていた。古ぼけた外灯がぼんやりと点いた。蛾が飛び回り始めた。

 僕はふと思いついたことがあって聞いた。

「ここでじっとしているわけには行かないの?」

 この空き地で随分と長いこと話しているが、ブラックドッグが追ってくる様子はない。あの硫黄の臭いさえしないのだ。

 和泉は溜息ひとつ吐いて答えた。

「夜が来るまでは大丈夫。ゆっくり休憩」

 もう随分と暗いのだが、和泉にとってはまだ夜ではないらしい。

 時分じゃどうにもならない、という諦めの口調で和泉は続けた。

「夜にならないうちは、こういう祠とか神社とかお寺に、あいつは近寄ってこないの。でも、あいつにとっての夜になったら、そんなの関係ないわ」

 だったら、下手に動いて体力を消耗しないほうがいい。

 僕は和泉の話を聞いているうちに、似た話を思い出していた。

 黙って座っているのも気詰まりなので、僕は和泉が聞いているのかどうかも構わずに話し出した。

 まずは、「千本木」。

 千本木という侍が、夜道を帰ろうとする。提灯を持った小坊主がぴったりと尾けてきて尋ねる。「一本木さんはどちらでしょうか」。

 侍は答える。「知らん」。

 すると小坊主は尋ねる。「二本木さんはどちらでしょうか」。侍はまた答える。「知らん」。

 こんな具合に、小坊主の尋ねる相手の名は三本木、四本木と増えていく。そのたびごとに、小坊主の影はどんどん大きくなっていく。

 とうとう尋ねる名は「九百九十九本木さん」。

 侍が「知らん」と答えると、ついに大入道と化した小坊主は尋ねる。

 「千本木さんはどちらでしょうか」。

 「俺だ」、と侍は反転して大入道を斬る。逃げた大入道を追いかけていくと、朝になって古狸が腹を切られて死んでいるのが見つかる。

 また、こんな話。

 見上げ入道という妖怪がいる。見上げるほど大きいのでこの名がついたが、出くわしても「見上げ入道、見越した」といってやると追い払える。

 さらに僕は、こんな異説を知っていた。

 言葉だけでは、「見上げ入道」が追い払えないこともある。そんなときは、夜明けまで逃げずに踏ん張り、昇る太陽を背にして立つ。

 そうすると自分の影が無限に長く伸びるので、「見上げ入道」は背比べに負けたと思って逃げ出す、という話。

 話が終わって、退屈させてしまったかと和泉を見やると、「それでおしまい?」と聞いてきた。

 目を丸く見開いて真剣に聞き入っていたようである。やっぱりコドモだ。

「ねえ、それでおしまい?」

 僕は「おしまい」の一言だけを返して、素朴な質問をしてみた。

「僕が退屈しているの、そんなにいけないことか?」

 和泉は話が終わったのが不満なのか、僕の愚問が気に入らないのか、ぷいと顔をそらして言った。

「あなたはあいつの術中にはまったの。退屈だから刺激が欲しい、と思った時点で」

「刺激と言っても君と手をつないで歩き回ってるだけで」

 和泉の叱責が返ってくる。

「そういうこと言わないの」

 僕は思わずすくみ上がった。和泉は更に追い討ちをかける。

「そんなに退屈?」

 僕の生活は決して楽ではない。

 親からの仕送り。コンビニのバイト。貸与制奨学金。それでなんとか生活費と授業料をひねくり出している。

 奨学金も、卒業したら勤めて返すしかない。

 ゼイタク言っちゃいけないけど、なんとか卒業してなんとか就職してなんとか生きていくしかないのだ。

 でも、それと退屈は別問題だ。

 先の見通しのない、同じことの繰り返し。こういう退屈もある。

 だが、それを子供に言っても仕方がない。

「子どもが説教かよ」

 毒づいたところで和泉が立ち上がった。

「そろそろ行かなくちゃ。夜が来るから」

 そう言われてみれば、夜の気配がする。空は真っ暗だ。夏の夜なら満天の星空でもいいはずなのに。

 和泉の言うとおり、僕は「あいつの術中」にはまっているのだろう、たぶん。

「どうすればいい?」

 つまらない問いだった。答えは一つしかないのに。

「次の路地へ」

 思いつきで聞いてみた。

「人の家に助けを求められないの?」

 和泉は情けなさそうに肩をすくめ、首を横に振って言った。

「誰もいないわ。あいつの罠にはまった時点で、ここは別の世界になっているの」

 別の世界ねえ。

 和泉は僕を真っ直ぐに見つめながら言った。

「あなたと私と、あいつだけの街」

 どこからか、あの息遣いが聞こえた。硫黄の臭いが漂ってくる。

 僕たちは、空き地を通り抜けて、手近な路地に駆け込んだ。

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