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夏休みの校庭に日は暮れて

 橋を渡りきると、少女の姿はなかった。

 そこは川沿いの道で、家々の屋根の向こうに、琥珀色に光る西の空が見えるばかりだった。

 僕は西大路へ出る路地を探した。家と家との間にはいくつか細い道の入り口が見えたが、どれがいちばん通りやすい道かは測りかねた。

 そのうちに、僕はこの道沿いに小学校の建物があるのに気がついた。

 当然、学校には塀があるが、その塀を目で追っていくと、校庭への裏門と思われる柵が開いているのが目に付いた。

 夕暮れ時に小学校の校庭を通って帰るという思い付きが僕の頭をよぎる。

 僕は柵のほうへ歩き出した。

 普通に考えたら「不法侵入」などと言われそうだが、夏休みの学校で夕方まで詰めている教員はそんなにいないだろう。

 校庭を通りぬけるのに大した時間はかからない。裏門から表門へ一直線に、表門が開いていなければ、目立たないように校庭の端をぐるっと回って戻ればいい。

 開いた柵を通り抜けると、そこにはセピア色に染まった懐かしい光景があった。

 僕はゆっくりと、校庭の中央へと歩いていく。

 東からの夜闇に、夏の残照が溶けていく中に、小さい頃の記憶が甦る。

 天まで届けと思い切り揺すり上げたぶらんこ。

 なかなか逆上がりができないで、放課後こっそりと練習した鉄棒。

 雲梯。遊動円木。

 そういったものを懐かしく眺め渡していると、黒い犬がとことこと校庭に入ってきたのが見えた。

 今はどうか知らないが、昔はよく、野良犬が校庭に迷い込んできたものだった。

 こっそりランドセルの中に入れていた給食の残りをやったり、悪ガキたちが捕まえてマジックで眉毛を描いたり……

 そんなことを考えているうちに、黒犬は僕のほうへと向かってきた。

 犬は別に嫌いではないが、この黒犬は可愛がるには少し大きめだった。そもそも、可愛がるタイプの顔つきでもない。

 校庭に青い影が降りて、薄暗くなった。僕は正門のほうを見た。

 開いている。急いでここを出よう。

 僕が歩き出すと、熱い風がざっと吹いて砂塵が舞い上がった。

 青い影の向こうに見える正門から、さっきの女の子が歩いてきた。

 夕闇の中にも、白いシャツの袖と短いジーンズから伸びた白く細い手足が眩しい。

 前髪をさっとかき上げると、幼い顔立ちの可愛らしい少女である。

 だが、その口元には不敵な笑みが浮かんでいる。

 小さな唇が微かにつぶやいた。

「振り向くなって言ったじゃない」

 そう言ったように聞こえたその時。

 少女は地面を蹴っ突進してきた。

 速い!

 あっという間に彼女は僕の眼前に迫る。

 しなやかな腕が僕の身体を抱きしめる。

 柔らかい身体の感触。(ただし、当然といえば当然だが胸はない)

 身体がくるっと回ったかと思うと、宙を舞った。

 ……え、え、ええ! 何だア?

 残照の消えた藍色の空が僕の視界でくるりと回った。

 ずいぶん長い時間、滞空していたような気がして、少女に抱かれたままふわりと舞い降りる。

 気がつくと、僕と黒犬の位置が入れ替わっていた。黒犬がもたもたと向きを変えるのが見える。

 少女が、僕の手をぐいと引かれて横へ走った。

 え、とつぶやくと少女は一言だけ答える。

「そのまま走って」

 言われるまま、僕は手を引かれて迫る夜闇から逃げるように走った。

 しばらく走ると、背後に何者かの気配が迫る。

 少女が叫んだ。

「こっち!」

 凄まじい勢いで砂塵を巻き上げ、彼女は直角に向きを変えて疾走した。僕の手がすっぽ抜ける。可愛らしい声が僕を叱り飛ばした。

「自力で走って! 追いつかれる!」

 振り向こうとすると、またドヤされた。

「振り向かないで! 大きくなる!」

 振り向きはしなかったが、何かがまた追いついてくるのが感じられた。

 校門が開いているのが斜め向こうに見えた。もうすぐだ。

 だが、少女は見当違いの方向へと直進する。

 ……どうする気だ、いったい?

 すると少女は軽いステップで足を踏み替え、校門へと走った。

「あなたも!」

 僕も真似して急角度で曲がり、大急ぎで校門を抜けた。

 こっちへ、の声を残して、少女は学校前を走る道を薄闇の中へと駆け込んでいく。

 何がなんだか分からなかったが、とにかく後を追った。

 背後で、ふう、という吐息の音が聞こえた。

 硫黄の臭いがする。

 少女が手近な路地に飛び込んだので、僕も後に続いた。

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