猪口齢糖かぶぶ漬か6
「……あー、行っちゃいましたね」
「そうですねえ。仕事ですからね」
「仕事じゃしょうがないですよね」
「それはまあ、仕事ですもんねえ」
「正直な話、見た目も好みでした」
「正直それは僕に言われてもねえ」
猫の去っていった戸口を見るともなしに眺めながら、蛇は隣で立ったまま呆けたような宿酔にかなり適当に相槌を打つ。
ふと気付くと、宿酔の目が蛇に焦点を結んでいた。
「誰も、いないと思ってたんです。みんな予定があるみたいだったから」
宿酔は気まずさをごまかすように早口で話し出す。
「みんな、と言いますと」
「入口のカレンダー、今日のところだけ名前でぎっしりだったでしょう。なんかはみ出してるくらい」
「ああ、あれですか」
蛇は入口のカーテンへと目をやる。そのカーテンと引き戸の間のスペース、戸から入ってすぐ右手の壁に、カレンダーが掛かっている。会社の宣伝用に作り得意先に配った余りのもので、オフィスで使われることを想定しているのかかなり大きい。
「海外出張」やら「早朝会議」といった仕事関係のものから、「社食バイキング」「ガサ入れ注意」「花粉!!」など多種多様なメモが日付ごとに書き込まれている。カレンダーは仮眠室利用者の共有のものなので、混乱を引き起こさぬよう個人の予定には名前やらマークやらも付けてある。
仮眠室は、その名の通り仮初にでも眠りに就き、休むための場所である。予定があるということは、仮眠室に「来る」のではなく「来ない」ことを間接的に示していることになる。そこからすると宿酔の推測はまったくの的外れとはいえないが、前提が間違っているのがいささか気の毒だ。
「まあ、仮眠室の気まぐれですし。全員が書いてるってわけじゃないですからね」
「そうなんですか……」
宿酔は気弱な溜息をつく。
蛇はとりあえず先ほどまで横たわっていたソファに戻ることにした。小机の上のマグカップには、冷えてはいるがまだ茶が残っている。
宿酔もつられたように向かいの座面に沈み込む。
「結局、駄目だったんですよね」
「そうですねえ、駄目でしたね」
「次の告白も駄目っぽいですよね」
「まあおそらく、駄目でしょうね」
「……あの、どう思います? どこが駄目だったんでしょうか」
「どこってそりゃ、ねえ」
蛇は顧みるために少し間を置いてから、告げる。
「まあ、初めからですね」