猪口齢糖かぶぶ漬か4
「ここ、開けていいですか」
こんこんこん、と猫は給湯室と仮眠室をつなぐドアをノックする。
給湯室と呼び習わしてはいても、あるのは小さな流しと同じく小さなコンロだけで、冷蔵庫や電子レンジなどは置かれていない。部署ごとに設置されている正式な「給湯室」とは違い、簡素なものだ。
「え? 開けるって、開くんですか?」
宿酔は驚きの声を上げ、折りたたみ式の長机に塞がれたドアに目を向ける。
「開きますよ。給湯室にはここからしか入れないですし」
蛇の説明にも、宿酔は半信半疑といった様子だ。
「去年の社内総シャッフルのときに仮眠室が手つかずで残ったのも、開かずの扉が開かなかったせいだとか」
部署改編と不採算部門の切り捨て、それに伴うビル内オフィスの大規模な入れ替えと旧式設備のリフォームが、通称「総シャッフル」である。
「誰に聞いたんですか、そんなの。『開かずの扉』なんて随分と仰々しい呼び方ですね」
「仮眠室の常連さんに聞きました。開かずの扉を開けると、祟られるとか鬼が出るとか、あとはそう、白マントの怪人が現れるとか」
「鬼は出るかもしれないですよ」
蛇の言葉に、空気をくすぐるような笑い声を立てつつ、猫はドアを給湯室の側に引き開けると、慣れた様子で長机をずらし、壁との間をすり抜けるように出てきた。
腰までの短さの黒いダウンジャケットを羽織っていたので、宿酔はまたも驚いたようだ。
「向こうは暖房の効きが今ひとつなので」
言い訳のようにそう言って、猫は脱いだジャケットを簡単に畳んで長机の上に置く。たいして厚いわけでもなかったが、脱ぐと体の線が際立つ。
仮眠室はカーテンに遮られているので、電気が点いた給湯室から照らされる。髪は耳より少し長い程度だ。背は高めだが、目立つほどではない。黒いストッキングに膝までの灰色のスカート、白いブラウスの上の淡い藤色のカーディガンは袖が少し余っている。
その格好が地味というよりは清楚に感じられる容貌は、猫というよりはもっと従順な動物の印象だが、くつろいだ雰囲気を纏えばぐんと猫らしくなるのを蛇は知っている。
「初めまして、というのは少しおかしい気がしますね。あなたが、その——」
宿酔に向き直り、猫は少し言い淀んだ。
「宿酔の方ですか」