猪口齢糖かぶぶ漬か1
猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが、猫が下駄履いて杖ついて、絞りの浴衣で来るものか。
薄闇は閉じた目に心地よい、と蛇はソファに身を沈める。
この会社のビルは、床も壁も天井も白系統でまとめられていて目にまぶしい。特に始業前のこの時間は朝日と電灯の相乗効果でいよいよ明るく、不健康な面々を仮眠室に駆け込ませるだけの威力は十分だ。
蛇の正面にある東向きの窓からは、低い位置にある冬の太陽が白い光を射込んでいる。その光は厚手のカーテンに阻まれ、蛇の元まで届くことはない。したがって蛇も定位置となっているソファに落ち着く。
背もたれで部屋との仕切りをつくるかのように壁に向いたソファもあるが、蛇はわざわざ狭苦しい場所を選ぶほど偏屈ではない。
がら、と乱雑に引き戸が開けられる音がした。足音は荒いというか、ばたばたと忙しない。
引き戸の奥には、暖簾のように上辺を固定されたカーテンが視界を遮っている。そこで一瞬呼吸を整えるように足音のリズムが崩れた。
カーテンがめくられるとともに埃が動く気配がして、人が入ってきたのがわかる。
蛇の左手にある給湯室との境の曇りガラスの向こう側にもカーテンが掛かり、仮眠室は壁を残し三方をカーテンで囲まれていることになる。
そのカーテンはちょうどピアノを覆う布のような、表は黒で縫い目の出ている側は深紅という色遣いで、手にすればずしりと重い。入口と窓のものは深紅、給湯室との境は黒を部屋の中に向けている。
深紅のカーテンはどうも蛇に緞帳を思い出させる。
目の前で寸劇のひとつも演じられれば、興味がないにしても片目を開くくらいはしてみたくなるものだ。
「おはようございます」
給湯室から届く猫の声は、いつもどことなく生真面目というよりは折り目正しい。
「あ、おはようございます。よかった、時間ぎりぎりかと思ったんですけど、まだ給湯室の方には電気が点いてたから」
こちらはこのごろよく宿酔で訪れる青年の声だ。蛇の位置からは肘掛けに遮られて肩より上しか目に入らない。
「ココアとほうじ茶、どちらがいいで——」
「ホットチョコレートで!」
宿酔は単純な注文と不似合いに緊張している。
ミスタ・ブルーマウンテンと呼ばれた青山氏がおそらくそうするであろうように、猫はしばしの沈黙を挟んでから「ココアでいいですか」と淡々と確認した。