第99話「宿酔」
あたたかな日差しが机上を明るく照らす。
その眩しさに目を細めながら、シアン=ハンセルン=カーライムは手元の書類に判を押した。
「はぁ……」
思わずため息がこぼれる。
すでに彼女は20を超える数の書類に目を通し、判を押してきた。だが、彼女の机の上にはまだまだ多くの書類が山積みになっている。
ざっと数えて残りの書類は50枚ほど。この量を午前のうちに終わらせなければいけないのだから、憂鬱な気分になるのも無理はない。
少し身体をほぐそうと大きく伸びをしてみる。この時、視線を書類から離したシアンはあることに気が付いた。
「大丈夫ですかアリサ。体調があまり優れないようですが……」
そう語り掛けると、アリサの身体がビクッと跳ねた。
アリサとは、はじめて知り合ったその日からほぼ毎日のように顔を合わせているのである。彼女の体調の異変にシアンが気付かぬはずがない。
「大丈夫です。あまり心配なさらず……」
アリサはそう言うが、しかしその顔色は明らかにいつもに比べて悪い。
「こんな時まで遠慮しなくていいんですよ。少し横になりますか? あ、薬師もお呼びしたほうが……」
「本当に大丈夫なんです。じ、実は……」
「なんだ、ただの二日酔いですか。ふふ、慌てて損しました」
事情を聞いたシアンは安堵しつつも思わず笑ってしまった。
この日はアリサがユイナらと共に夜遅くまで酒場で飲んだ日の翌日であった。もともとあまりお酒に強くないにも関わらず、周りに合わせて飲み過ぎてしまった彼女は、こうして無事二日酔いになってしまったというわけである。
「近衛たる者、何時いかなる時も敵襲に備え、陛下の身を護らなければいけないというのに……誠に申し訳ありません」
アリサはそう言って謝罪したが、シアンは笑って許した。
だが、彼女にはひとつ不満に思うことがあった。
「今回のことは不問にします。ですが、代わりに一つだけ。今度からそう言うことを行うときは必ず私も誘うこと。皆さんだけで酒宴なんてずるいです」
「いや、でも陛下が市井に出たら流石に問題に……」
「変装するから大丈夫です!」
口調こそ冗談ぽいが、しかし彼女は本気で言っていた。
彼が剣を振るう度、森の木々は大きく揺れた。
並みの男の倍はあろうかという屈強な身体。そしてその手にあるは漆黒の剣。
ただ黙々と剣を振るうその偉丈夫の名はオウガ=バルディアス。鬼神と呼ばれし、最強の男である。
「何用だ……」
突如オウガは剣を止めると、ある一点を睨み付けた。
何者かの気配を察知したのである。
「ひ、ひぃ! わ、私です! 怪しい者ではありません!」
茂みからでてきたのは一人の兵士。何やらオウガに急ぎの報告があるとのことであった。
無言でオウガがその続きを促すと、兵士は恐る恐るといった感じで口を開いた。
「か、閣下。軍師殿がお呼びです。策をいよいよ実行に移すとのこと」
「ほう……。わかった」
短くそう答え、オウガはその黒き得物を納刀する。そして脱いでいたマントを羽織ると、静かに動きだした。
鬼神は再び戦場へと向かう。さらに研ぎ澄まされた武と新たに得た得物を携えて。




