第98話「女たちの宴 ~後編~」
年の近い女四人。話は大いに弾んだ。
生まれは何処か、趣味は何か。過去にあったこと、最近あったこと。辛かったこと、嬉しかったこと。会話の内容は他愛のないものばかりであったが、しかしこの時間は普段戦場に身を置く彼女たちにとってはなにより貴重なものであった。
酒で顔を赤らめて楽しげに話すその姿は、彼女たちが武人や魔術師である前に、ただの少女であることを思い出させる。
と、そんな中。ふと隣のテーブルからこんな話が聞こえてきた。
「おい聞いたか? エイヴァンス公爵とヘイドリス男爵の話」
「ああ。聞いた聞いた。ヘイドリス男爵が激高してエイヴァンス公爵をぶん殴っちまったっていうあれだろ?」
話しているのはどちらも20代くらいの男である。簡素な鎧を身に着けていることから仕事終わりに飲みに来た兵士、といったところだろうか。
二人とも酒がかなり進んでいるようでその声はユイナたちに十分聞こえるほどに大きかった。
「結局二人とも陛下より罰として蟄居を命じられたっていうが、ありゃどう考えてもエイヴァンス公爵が悪いだろ。先に喧嘩を吹っかけてきたのは公爵のほうだって言うし、そもそも俺は陛下に一度弓引いた奴が、でかい顔して政の中枢にいること自体が気に入らねえ!」
「まあな。いくら王都奪還に功があったとはいえ、土壇場で裏切ってきたやつだ。俺もエイヴァンス公のことは気に食わん」
「だろ! あんなのを重用するなんて陛下も何を考えてるんだか。今回の事件だって奴を粛清する良い機会だったろうに。ま、所詮陛下といっても10代の小娘だからな。まんまと公爵に良いように言いくるめられてるんだろうさ」
「お、おい! よせ! どこで誰が聞いてるかわからんぞ……」
「ふんっ! こんな町はずれの酒場、いるのはせいぜいごろつきばかり。王家に近い人間なぞ来るわけねえだろ!」
彼は知る由もない。隣のテーブルにいる四人の少女は全員陛下に面識がある人物であること。そしてなによりうち1人に至っては陛下直属の護衛であることを。
「な、なんという不敬! 許せません! 今すぐ私がとっ捕まえて……」
「落ち着いて! 落ち着いてアリサ!」
思わず席を立とうとしたアリサを三人は必死に諫める。
もしここでアリサが兵士たちを斬ろうものなら、それは主であるシアンの意志となり、ことは大きくなってしまう。
たしかに兵士2人の発言は不敬であったが、シアン本人が言論統制など望んでない以上、酒席でのことということで聞き流すのが一番であった。
「す、すみません。頭に血が上ってしまいました。少し飲み過ぎたみたいです」
アリサはそう言って水を一杯飲んだ。
彼女がようやく冷静さを取り戻してくれたことに三人はほっと胸をなでおろす。
「でもやっぱり先の闘乱事件の陛下の対応に不満を持つ声はあるみたいですね。そこんところユイちゃんはオータスさんから聞いてます?」
「え、ユイちゃん!? 急に距離詰めてきたね!? いやまあ、別にいいんだけど」
突然呼び方を変えてきたマインに思わずたじろぐユイナ。
しかし別に満更でもないようでこほん、と小さくせき込むと言葉を続けた。
「先の闘乱事件の処罰については、ある程度の不満が出ることは陛下もオータスも覚悟の上だと思う。貴族同士の個人的な諍いに、陛下がもし露骨にどちらかに肩入れすれば、国が再び分裂する危険性があるから。それに比べれば多少の不満は致し方ないって」
「なるほど。まあ確かにその通りですけど、でもそれって根本的な解決にはなっていないですよね。ただ問題を先延ばしにしているだけ。いつかまた再燃しますよ。あの二人。それこそ今度は武力衝突とかで」
「それはそうかもしれないけど……」
マインからの鋭い指摘に思わず黙るユイナ。
しかしそれも無理はなかった。そこから先のことについて考えるのはシアンやオータスといったいわゆる為政者の領分だ。一介の騎士に過ぎないユイナには答えようがない。
そして、そのことにマインも気づいたのだろう。彼女は勢いよく立ち上がると、明るい声色で言った。
「やめやめ! ごめんなさい! 酒宴の最中に仕事の話なんてするもんじゃないですよね! 場を白けさせてしまったお詫びに私のとっておきの芸をお見せします!」
そう言って彼女は店員の一人を呼び止めると、あるものを注文した。
何をする気なのだろう、と首をかしげる三人。
そんな中、しばらくしてソレは姿を現した。
「おまたせしました。当店名物、葡萄酒・大将軍級です!」
どーんという轟音とともにテーブルに置かれたのは巨大な樽である。
大きさは大人の男が入れるかどうかといったほど、そして中には並々と葡萄酒が入っていた。
「それではこれを、なんと、一気飲みしちゃいます!」
彼女はそう言うや否や、ユイナたちが止める間もなく飲み始めた。
しかも、樽があまりにも大きすぎて女性の力ではとても持てないので、なんと魔術の力で浮かせている。
これにはユイナたちもただ笑うしかなかった。
そして飲み始めてからわずか30ほど数えたその時。
「ごちそうさまでした!」
樽の中は空になっていた。
このあまりの飲みっぷりに気が付けば周囲の人たちも釘付けになっていたようで、やがてマインには絶え間ない拍手と称賛の言葉が送られた。
結局、夕方からはじめた酒宴がお開きとなったのはすっかり陽も暮れ、辺りが真っ暗になったころであった。
「あ、マイン。ちょっとこの後いいかな?」
王都のとある広場で四人は解散したのだが、帰ろうとするマインをユイナが呼び止めた。
「いいですよ! もしかしてこの後ユイナさんの部屋で飲みなおす感じですか?」
「飲みなおさないよ……。っていうかあれだけ飲んでまだ飲めるの……?」
大樽を短時間で空にしておきながら、変わらずけろっとしているマインにユイナは思わず笑ってしまう。
ちなみにミーナとアリサはお酒にあまり強くなかったようで、解散した時にはすっかり衰弱しきっていた。
「いや、ちょっと散歩でもどうかなって」
「散歩? 別に構いませんけど」
そう言って二人は夜の王都を歩きはじめた。
昼間は人で溢れている大通りもこの時間は人の姿はなく、静寂に包まれていた。
冷たい風が二人の頬に吹きつける。
しばらく無言で歩いていた二人であったが、ようやくユイナの方が口を開いた。
「今日はありがとね。私がこの前の失敗からずっと元気がなかったから、元気づけてくれようとしたんでしょ」
「あー、バレちゃいましたか。ほら、皆でお酒とか飲むと楽しいし、それに思わず心の内をさらけ出しちゃうじゃないですか? ユイちゃん最近無理してるみたいだったから。心の奥にあるものを少しでも吐き出せば、ちょっとは楽になるんじゃないかな、って。それで元気は出ました?」
「出た出た。たくさん笑ったし、言いたいことも言った。ごめんね、いろいろと気を使わせちゃって。あの葡萄酒一気飲みも私を笑わせようとして無理してやったんでしょ?」
「いや、あれは普通に私の特技です。そもそもあのメニュー自体、私があそこで働いていた時に私自身が店長に提案したものですから」
「えぇ……」
その日の月は霞一つない満月。こうして女たちの宴は静かに幕を閉じた。




