第95話「ロサ平原の戦い ~後編~」
ナダルナル軍本陣。
総大将・アレク=ゲブランコ=ナダルナルは、伝令兵からの報告を聞いて静かにほくそ笑んでいた。
(脆いな……。カーライム軍は精強と聞いたことがあったが、所詮はこの程度か)
勝利を確信し、家臣の一人に手元の杯に酒を注がせる。これを一気に呷って、勝利の前祝とするつもりであった。
すると酒を注ぎ終わった家臣が上機嫌そうに言った。
「いやはや、殿下の読みは見事的中しましたなぁ! 流石でございます! 策を見抜かれ、今頃敵大将は慌てふためいていることでしょうな!」
「フン、私を誰だと思っているのだ。これまで数多の敵と戦い、その数だけ策を見てきた。河を用いてくると気がついた時点で、敵の企みなど容易に想像がついたわ」
アレクもまた上機嫌に言葉を返す。そして杯を口につけたその瞬間であった。
「伝令! 渡河に成功した先鋒部隊、苦戦中とのこと! 水門を奪われてもなお、敵の士気は高いようです!」
それは百戦錬磨の将たる彼でさえ耳を疑う報告であった。
何かの間違いではないのか。思わずそう口にしようとしたが、それを阻むように次の伝令兵が入ってきた。
「伝令! 東方より本陣に迫る敵影を確認! その数およそ1万!」
「奇襲だと!? 馬鹿な、一体どういう……! いや、まて! そうか、そういうことか! クソ、まんまとしてやられたわ!」
アレクはすぐに現在の状況を理解すると、怒りのあまり手に持っていた杯を地面に投げつけた。
杯の破片と酒が飛沫する中、アレクは大声で指示を出す。
「全軍後退! 急ぎ本陣の守りを固めよ!」
聞こえてくるは兵士の怒号と馬蹄の轟き。それはもはや敵軍がすぐそこまで迫っていることを意味していた。
一方、その頃。
「いやっ! やめて! ああっ!」
水門での戦いで敗れたユイナは、いままさに敵から辱めを受けんとしていた。
男たちによって拘束された彼女は何とか抜け出そうとしきりに身体を動かすが、それは叶わず。むしろ、その動きが余計に男たちを扇情した。
鎧は外され、服はひん剥かれ、女性らしい肢体がついに露わとなる。
もはやこれまでか。ユイナの目に諦めの色が浮かんだ丁度その時であった。
一人の伝令兵が駆け込んでくると、指揮官らしき男の顔が一変した。
「何!? 後退だと!? おいおい、これからいいところだってのによぉ!」
「どうなってんだ、俺たちが優勢だったんじゃねえのかよ!」
動揺は兵たちの間に瞬く間に広がった。そしてこの隙をユイナは逃さなかった。
「いつまでも調子に……乗らないで!」
緩くなった男の拘束を振りほどくと、ユイナはその顔面にまわし蹴りを食らわせた。
完全に油断していた男は倒れて気を失う。
「この女、ふざけんなよ!」
今度は三人の男が一斉にユイナに襲い掛かったが、ユイナは素早くそれを避けると、落ちていた剣を拾い、彼らを斬り裂いた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
彼女の体力はすでに限界を超えていた。拘束を抜けたとはいえ、多勢に無勢。勝ち目などないだろう。
だが、敵を睨み付ける彼女の目には完全に戦意が戻っていた。
「おのれ……! さっさとこいつを捕らえて、本陣へと戻るぞ!」
指揮官の男が叫ぶと、今度は十人の男が一斉にユイナへと迫った。
だが、彼らがユイナを再び捕縛することは叶わなかった。なぜなら。
「ユイナさん、こっち!」
聞き覚えのある女性の声が聞こえたかと思うと、突如辺り一面が霧に覆われた。
何も見えない中、ユイナは手を引っ張られる。
そして霧を抜けると、そこは戦場の外であった。
「助かったの……?」
「はい。戦況が変わって、敵も女性一人にいつまでも構っていられるほどの余裕はないはずですからね。きっと追っ手は来ないと思いますよ」
「あの……マインさん本当にありがとう。あの霧もあなたの魔術でしょう? 貴方がいなければ今頃私は……」
「ま、あまり気にしないでください。私も以前の戦いで貴方に一度命を救われてますから。そのお礼ってことで」
ユイナを救出した人物、それはマインだった。
今回の戦いにノーネス魔術師団は参加していなかったが、彼女だけはオータスの補助として参戦していた。
そしてユイナの部隊が奇襲を受けたと聞いたオータスが、急ぎ彼女を救援に向かわせたというわけである。
「さあ、戻りましょう。きっとその頃にはこの戦い、終わっていますよ」
果たして、彼女の言葉通り程なくしてナダルナル軍本陣は陥落した。
ナダルナル軍総大将・アレク=ゲブランコ=ナダルナルは生き延びたものの、多くの将兵が命を落とし、こうしてロサ平原の戦いはカーライム軍の勝利という形で幕を閉じたのだった。




