第91話「地下書庫の二人」
王国南域でオータスらがナダルナル軍と対峙していた丁度その頃、国主たるシアン=ハンセルン=カーライムの姿は宮城の地下書庫にあった。
ここに保管されているのは国にまつわる重要な書物ばかりであり、建国から現在までに至るカーライム王国のすべてがここにあると言っても過言ではない。
そんな地下書庫にシアンが頻繁に足を運ぶようになったのは女王に即位した後からである。王女として宮城に住んでいたころはほとんど足を踏み入れることはなかった。
この日も朝から書庫に籠り、古い書物を読み漁っていたシアンであったが、ふと横からの視線に気が付くと、ページをめくるのを止めた。
「ふふ。この一大事に、女王たる者がこんなところで油を売っていていいのか、とでもいいたそうな顔ですね」
「はひっ!? い、いえ! そのようなことは……」
突如話しかけられ、金髪の女兵士は大いに狼狽えた。
あまりに予想通りすぎるその反応に、シアンは思わず微笑む。
彼女の名はアリサ。幼さの残る顔立ちと細い身体からは想像つかないが、これでも彼女は近衛隊のナンバー2、近衛中将の地位にある。
彼女はもともとコンドラッド家に仕えていた一兵士、すなわちシアンの立場から見れば陪臣であったのだが、数少ない女性の兵士ということもあって内乱の間はずっとシアンの護衛を務めていた。
そして、そのときの真面目な仕事ぶりをシアンは高く評価し、先の論功行賞で彼女を近衛中将に抜擢したのである。
「我が国最強の将軍を援軍に送ったわけですから、ナダルナルのことはなにも心配いりませんよアリサ」
「確かにそうですが……」
どこか不安げな面持ちのアリサに対し、シアンは微塵も勝利を疑っていなかった。
そこにあるのは言うまでもなくオータスへの厚い信頼である。
シアンはさらに言葉を続けた。
「それに宮城にいる私がジタバタしたところで戦況が変わるわけでもありません。であれば、私は私にできることをやるまでです」
「それがこの調べもの……、ということですか」
シアンはこくりと頷く。
「ストーレイ=ホッジソン。先の内乱で暗躍していたと思われる謎の魔術師。その名前を私は昔、この書庫で見ました」
「え!?」
驚きのあまりアリサは思わず声をあげた。
それもそのはず、もしそれが事実であれば魔術師の正体に迫れるかもしれない。
だが、少し考えてアリサは首を傾げた。
「ですが、陛下。陛下が先ほどからご覧になられているのはかなり時代の古いものばかり。もしストーレイという魔術師が以前にも姿を現したことがあるならば、ここ数十年のことでしょう。いくら魔術師でも人の身である以上は寿命があるのですから。であれば、そんな昔の書物ばかり読んでも意味がないのではないでしょうか」
「それが、私の記憶が正しければストーレイについて書かれていた書物はたしか書庫の一番奥の本棚、つまりはこの本棚にあったはずのです。もちろん当時私は幼かったので間違えて覚えた可能性も否めませんが」
一番奥の本棚。そこにあるのは主にカーライム建国直後、すなわち約300年前に書かれたものである。
もしシアンの記憶が正しければストーレイ=ホッジソンという魔術師は300年前の時点で存在が確認されていたということになるのだから、かなり可笑しな話である。
だが、その名が世襲であることも否定できない。あるいは300年前の人物に影響を受けて勝手に名乗っているという可能性もあった。
そう考えれば、仮に300年前の書物に同じ名があったとしても何一つ不思議ではない。
「分かりました。ならば私も手伝わせていただきます。そのように大切なこと、最初から言ってくださればよかったのに」
アリサは少し拗ねたようにそう言うと、同じ本棚にあった別の本を手に取った。
そしてペラペラとページをめくっていく。
「ごめんなさい。私の幼い頃の記憶だけが頼りなので、そんな曖昧な確証であまり人を巻き込むのも、と思い……」
「陛下のお役に立てるならば、何十冊であろうと何百冊であろうと、本を読むくらいどうということはありません」
シアンとアリサ。長い時間を共に過ごしてきた二人の間には、主従の関係でありながら、どこか友情のようなものが芽生えはじめていたのかもしれない。
あまりに気の遠くなるような作業。しかしながら二人で隣り合っているだけで、不思議と辛さや苦しさは感じなかった。
二人が書物よりストーレイ=ホッジソンの名を見つけたのはそれから二日後のことであった。
その本の題名は『白銀の姫騎士』。
カーライム王国の姫が聖剣を手に入れ、その力を使って当時脅威であった魔物の軍勢を打ち倒すという王道的な英雄譚である。
そしてそこにはこう書かれていた。
『姫騎士ロサは悪の魔術師・ストーレイ=ホッジソンと対峙し、勝利するも止めを刺すには至らず。ストーレイはどこかへと消え、以降カーライム王国に姿を現すことはなかった』
と。




