第90話「侵略者の遊興」
ナダルナル軍本陣。
多くの兵たちが見守るなか、二人の男が剣を構えて向かい合う。
片方は黒髪、もう片方は茶髪と見た目は若干異なるが、両者とも年齢や体格は同じくらいであった。
「悪い。俺は覚悟を決めた」
先に言葉を発したのは黒髪のほうであった。
彼はそう言うと、じりじりと間合いを詰めはじめる。
「お、おい! 冗談だよな……? まさか本当に殺り合うってのか? 俺たち親友だろう!」
それに対し、茶髪のほうの戦意は著しく低かった。彼は必死の形相で剣を納めるよう訴えかける。
これには黒髪も一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐさま何かを振り払うように首を横に振ると、再度剣を構えなおした。
「すまない。妻や子のためにも、俺はここで死ぬわけにはいかない」
黒髪はそう言うと跳躍した。一気に相手の懐に入ると、剣を思い切り振るう。
刹那、肉を抉る不快な音とともに、鮮血が飛沫した。
「ふざ……け……ん……」
それが茶髪の最後の言葉になった。
「いやぁ、良いものを見せてもらった」
そう言ってゆっくりと拍手したのは、ナダルナル軍総大将・アレク=ゲブランコ=ナダルナルその人であった。
ナダルナル人特有の褐色の肌。口元を覆う黒くちぢれた髭。目は不気味なほど大きく、唇は分厚い。そして丸い鼻にはいくつもの吹き出ものができていた。
そんな彼は今年で丁度50歳。立場としては現ナダルナル国王の叔父にあたる。
「そのほう、キーファスといったか? なかなかに良い太刀筋をしているな。流石はカーライムの騎士よ」
アレクは黒髪の男・キーファスの戦いぶりを称賛した。
キーファスも、その相手を務めた茶髪の男も、もとはカーライム軍の将。ナダルナル軍に抗い、敗れた者たちである。
アレクは退屈しのぎに捕虜である二人を戦わせて、遊んでいたのである。
「きょ、恐悦至極でございます! あの……それで約束通り、妻と子は……」
キーファスが恐る恐る尋ねる。
戦って勝った方は、妻と子に合わせるという約束であった。それゆえにキーファスも親友を涙を呑んで斬ったのである。
「おお、そうであったな! しばし待っておれ」
アレクは思い出したように手をポンと叩くと、すぐさま部下にキーファスの妻と子を連れてくるよう命じた。
だが、次の瞬間キーファスは絶望することになる。なぜなら。
「シェリー! サリナ! どういうことだ、これは! てめぇら、二人に何をしやがった!」
「どういうこともなにも、戦で捕らえられた女がどうなるかなど、決まっているだろう?」
兵士が運んできたもの。それはキーファスの妻・シェリーと、娘・サリナの首であった。その下はどこにも見当たらない。
「見ての通り二人とももうこの世にはいない。我が軍の将兵らがたっぷりと可愛がってやっていたのだがな、今朝方壊れてしまったので殺したらしい。ハッハッハッ! まあ、戦ではよくある事よな!」
「この外道め……! ならば俺はなんのために……なんのために友を斬ったのかッ!」
キーファスの悲痛な叫びが辺りにこだまする。
だがそれをアレクは嗤った。
「ハッハッハ! いいねぇその顔、最高だ。人が絶望した瞬間、私はそれがたまらなく好きでね。だから戦は止められない。しかしまぁ、屍と対面では気に召さぬか。それならば……」
アレクの手の合図で周囲の弓兵が一斉にキーファスに矢を向ける。
そして。
「あの世で妻と子に会わせてあげるのが情けよな」
放たれた無数の矢は真っ直ぐにキーファスの身体を貫いた。
一方その頃、カーライム軍の本陣にはオータス=コンドラッド率いる援軍が来着していた。
「援軍感謝いたします、コンドラッド伯。貴公の勇名は聞き及んでおります。共に力を合わせ、ナダルナルの蛮族どもを追い出しましょうぞ」
南域貴族諸侯軍の指揮官・ポッスン=ヘイドリス男爵は、そう言ってオータスに深々と頭を下げた。さらには以後の軍の指揮権も快くオータスに譲渡した。
オータスはそんな彼の丁寧な対応に好感を持ちつつ、すぐさま主だった諸将を集めると軍議を開く。
そして国の存亡のかかったこの危機的状況を打開するべく、オータスは思案を巡らせるのであった。




