第88話「動き出す闇」
「おいおい、まさかこれ全てに目を通さなくちゃいけないのか……?」
「ええ、もちろん。その後は街の見回りと兵士の調練。そして夜には陛下や諸将を交えた食事会も……」
机の上に積み上げられた報告書の山に辟易としているオータスを、ユイナは笑顔でさらに追い詰めた。
大将軍となったオータスを待ち受けていたもの。それは以前の倍はあろうかというほどの仕事であった。
オータスは諦めたようにため息を尽くと、渋々仕事に取り掛かり始める。
「なんかこうやってユイナに見張られながら仕事やっていると、俺がモルネスの領主になってばかりの頃を思い出すな。俺、出世しているんだよな一応? やってることあまり変わっていない気がするんだが……」
「変わってないってことはないんじゃない? 仕事の量も、背負うべき責任も増えてるし」
「もう少し俺を元気づけようとか、そういう慈悲の心はないのか……」
会話をしながら書類に目を通し、判を押していく。
機械的な単純作業である。会話も自然と弾んでいく。
「なぁ、前任の大将軍ってオウガ=バルディアスだよな……。あの筋肉ダルマも本当にこんなことやってたのか? まったく想像つかんのだが……」
「ぷっ……」
黙々と机仕事をこなすオウガの姿を想像し、思わず吹き出すユイナ。
言った張本人も彼女につられて笑ってしまった。
そんな和やかな雰囲気漂うなか、それでも机の上の書類は順調にその数を減らしていき。やがて。
「終わった……!」
オータスはそう言うと、椅子から立ち上がり、思いっきり身体を伸ばした。
予定よりいささか早く、仕事が片付いた。次の政務まで少し時間がある。
その空いた時間でなにをしようか。あれこれ思案をめぐらせるオータス。
執務室に一人の女官が慌てた様子で飛び込んできたのは丁度その時であった。
「オータス様! ミーナ様が、ミーナ様がお目覚めになられました!」
戦いが終わった後、ミーナ=ハリアッドは直ちに宮城の医務室へと運ばれた。
疲労の色は濃いものの、命に別状はない。それが薬師の診断であったが、しかしなかなか目を覚まさぬ彼女の姿は、オータスの不安を煽るには十分であった。
大将軍という立場上、人前では気丈に振る舞っていたオータスだったが、心の内では常に彼女の容体を気にかけていた。
そして今、待ちに待ったその報がもたらされた。じっとしていられるはずがなかった。
「行ってきていいよなユイナ?」
「ダメと言ってもどうせ行くんでしょう? まあ仕事が早く片付いたおかげで時間に少し余裕もあるし、いいんじゃない? ミーナもきっと喜ぶと思うし」
「すまないな」
オータスはユイナに感謝を述べると、ミーナの元へと全速力で駆けて行った。
「わざわざ来てくれたんですね。ありがとうございます」
ベッドから半身を起こして、ミーナはオータスを出迎えた。
彼女はさらに臣下として頭を深く下げようとしたが、流石にこれはオータスが止めた。
「もう、大丈夫なのか? 身体は? 記憶は……どうだ」
「身体はなんともありません。頭も少しぼやっとしますがこれは寝起きだからかと……。だから心配ありません、我が主・オータス=コンドラッド伯爵閣下」
そう言ってにっこりと微笑んだ彼女の姿にオータスはほっと胸をなでおろす。
その後もいくつか言葉を交わしたがミーナの記憶は完全に戻っているようだった。マインの言った通り、ミーナの洗脳は完全に解けていたのである。
ならば。
オータスは彼女に言わなければならないことがある。いや、もし記憶が完全に戻っていなかったとしてもこれだけは言うつもりであった。
「本当にすまない! 俺のせいでミーナは傷つき、そしてトレグルは……死んだ! 全て自分の責任だ。本当にすまない!」
オータスは頭を下げる。深々と、誠心誠意。
静寂が訪れる。それは10数えるにも満たないわずかな間であったが、オータスにはひどく長く感じられた。
息を呑む。やがてミーナは口を開いた。
「どうか顔をお上げください。オータス様の気持ち、しかと胸に届きました。そこまで想っていただけて我が父もきっと喜んでいることでしょう」
どんな厳しい言葉でもオータスは受け入れる覚悟であったが、しかし彼女の口から出たのは予想とはまるで逆のものであった。
思わずオータスは問いかける。
「恨んでは……いないのか?」
「父は昔から言っていました。強者と矛を交えるは武人の誉れ、そして主のため戦場で死ねるならばそれは武人の本望だと。オウガと戦っているとき、私は恐怖で震えが止まらなかったのに、あの人笑っていたんです。散る時も、満足げに逝きました。だから恨むはずなどありません。父に立派な死に場所を与えて下さり、ありがとうございました」
答えるミーナの目には大粒の涙が浮かんでいた。
そして、オータスは気づく。彼女がずっとベッドの端をぎゅっと掴んでいることに。
(そう自分に言い聞かせているのか……。俺は馬鹿か。父を殺されて恨まぬ娘などいないだろうに)
激しい自己嫌悪に陥る。彼女のその態度は直接非難されるよりもよほどこたえた。
オータスは再び頭を下げると、そのまま無言で立ち去った。
最後にもう一度謝罪の言葉を言うべきだったかもしれない。だが、それで自分の心が少しでも軽くなるのがどうしても許せなかった。
深夜。カーライムの隣国・ランゲリーナ王国のはずれにある錆びれた神殿。
月の光に照らされ、暗闇から二人の男の姿が現れる。
「久しいなストーレイ。何やらカーライムの内乱に一枚噛んでいたようだが、その様子だと負けたようだな」
「フン、白々しい。全て知っているくせに。貴様のことだ。どうせ使い魔に探らせていたのだろう」
「まあな。それで用件は何だ。わざわざ世間話をしに来たわけではあるまい」
男のうち一人はストーレイ=ホッジソンである。灰色の長髪に細い目と、その姿はすでにグロワーズのものではない。
一方、相手のほうは白い仮面を身に着けており、その素顔はまったく見えない。だが、ストーレイは彼の正体を古くより知っているようであった。
「こんなかび臭い神殿に貴様を呼んだのはほかでもない。私と手を組まないか。目的は一致しているはずだ」
「なにかと思えばそんなことか。断る。いまの私には広大な領土も十万を超える軍勢もある。貴様と組む必要性がない」
その言葉にストーレイは笑う。
「この俺が人間以下の扱いとは舐められたものだ。ランゲリーナ王国といったか? 人間と戯れるのもいいが、あまり遊びが過ぎると痛い目を見るぞ?」
「流石国の乗っ取りに失敗した男が言うと説得力が違うな」
今度は仮面の男が笑った。
このあからさまな挑発にストーレイは若干眉を吊り上げたが、しかし声を荒げるようなことはなかった。
「ではなビサーム。手を組まぬというならそれも良し。私は一人で計画を進めよう。貴様はせいぜい束の間の王様ごっこを楽しんでいるといい」
そう捨て台詞を吐くと、ストーレイは闇夜へと消えていった。
残された仮面の男、ビサームはそれを見送ると冷笑した。
「一人で進められるものならば私に話など持ちかけぬだろうに……。何を企んでいるかは知らないがしばらくは奴は捨て置いて良いか。さて、情勢は変わった。私はどう動くか」
そう言って、ビサームもまた闇夜に姿を消した。
こうして真夜中の不気味な会談は終わりを告げ、神殿にはもとの静寂さだけが残った。
オータスの知らぬところで、いま静かに闇が動き始めようとしていた。
これにて第2章終了です!
次回より新章! お楽しみに!




