第84話「王都侵攻 ~其の漆~」
「陛下!? どうしてここに……」
オータスは思わず己が目を疑った。
それもそのはず、最前線と言えるこの玉座の間に御旗であるシアン=ハンセルン=カーライムが姿を現したからである。
シアンは答える。
「オータス卿、私は兄に会わなければなりません。そして、自らの手で……誅さねばならないでしょう。それが、この国を、民を、あなた方将兵を、戦禍に巻き込んでしまった私の責任。違いますか」
「それは……」
オータスは黙るしかなかった。真剣な彼女の表情を見て、軽はずみな言葉をかけるべきでないと思った。
と、その時。
「姫さん……。いえ、シアン陛下!」
一人の男がシアンの前に出ると跪いた。エステバである。
護衛のスタンドリッジ伯爵が彼を止めようとしたが、シアンが手で制した。
「お久しぶりですねエステバ」
「御無沙汰しておりやす陛下。陛下が宮城を抜け出し、挙兵に及ぶまでの事情は全てコンドラッド伯爵より聞きやした。これよりはこのエステバ=ジャンゴフ、陛下の盾となり矛となる所存。ですが、知らなかったこととはいえ、陛下の軍に弓を引いたこと、これは決して許されることではありやせん。もし陛下がお望みであれば、今ここでこの首を獲っていただいても構いやせん」
エステバはそう言うと、短剣を床に置いた。
シアンがどのような裁定を下すのか。その場にいる誰もが固唾を呑んで見守る中、シアンはゆっくりとエステバに近づいていった。
そして。
「顔を上げてください、エステバ。父の代より尽くしてくれた貴方をどうして斬ることができましょうか。貴方に罪はありません。貴方の無双の武、頼りにしていますよ」
そう言って彼女が握ったのは、短剣ではなく、エステバの手であった。
彼女の笑みはとても暖かく柔和なもので、これにはエステバもこう答えるしかなかった。
「寛大な処置に心から感謝いたしやす。我が武と命、陛下のため捧げやしょう」
その言葉に一切の嘘偽りはない。それは彼の心の奥底から出た言葉であった。
「オータス卿、兄の身柄はまだでしょうか?」
「申し訳ございません陛下。先ほど捕らえた者より居場所を聞き出し、そこへ兵を送り込んだのですが、まだ一人として帰ってきていません。まあ、敵にもはや抵抗する力はないはず。気長に報を待ちましょう」
そう言ったオータスであったが、実はいまだカスティーネ捕縛の報が届かないことに違和感を感じていた。
エステバが降り、近衛兵たちも捕らえられた今、もはやカスティーネの身を守る者はほとんどいないはずである。もちろん、カスティーネ自身も多少の武芸や魔術は心得ているかもしれないが、彼一人の抵抗などたかがしれている。
兵は余裕をもって多めに割いたし、どの者も練度的には申し分ないはずだ。それがこれほどまでに手こずるとは、明らかにおかしかった。
(まだ敵は兵力を温存していたのか……。いや、そんな馬鹿な。あるいは、あのオウガ=バルディアスのようなたった一人で戦況を覆すようなバケモノが敵に残っている……!?)
そんな嫌な予感をオータスが感じた丁度その時であった。
「オータスさん、危ないです!」
マインの叫び声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、オータスに向かってまっすぐ一本の矢が飛んできた。
だがそれはマインの魔術によってギリギリのところで防がれた。真っ二つに折れた矢が地面に落ちる。
「すまないマイン、助かった」
「いいえ、どういたしまして!」
オータスは短く礼を言うと、すぐさま矢が放たれた方角に目を向けた。彼だけではない。その場にいる誰もが同じ方角を向く。
するとそこには一人の少女の姿があった。
「ミーナ!?」
オータスは思わず驚きの声を上げる。
コーロの関での戦い以降、行方のわからなかった彼女とこんなところで再会するとは思わなかった。
一瞬気を緩みかけたオータスだったが、しかしすぐにあることに気が付く。
(待てよ……。位置からして俺を矢に放ったのはミーナしかいない。誤射か……? いや、違う。もしマインが守ってくれなかったら俺は確実に頭を射抜かれていた。あれは確実に狙いすまされた一射だった……)
オータスは次第にミーナに警戒心を抱き始めた。
いま不用意に彼女に近づいてはいけない。そんな予感がした。
そしてその予感はすぐに当たることになる。
「ミーナ、無事でよかった。でも、どうしてこんなところに?」
思わずユイナがミーナに声をかけたその時であった。
ミーナは視線の先をオータスからユイナに変えると、次の瞬間、短剣を抜いて彼女に襲い掛かったのである。
油断していたユイナは対応が遅れた。ユイナはなんとか避けようとしたが、完全に回避することはできなかった。
ミーナの刃はユイナの髪を切り裂いた。彼女の結んでいた髪が一瞬にして解ける。
「くっ……何を……!」
ここでユイナはようやくミーナを敵と認知し、剣を抜いたのだが、先のエステバとの戦いでの疲労と相手がミーナということもあってその動きは鈍かった。
一方でミーナの動きはいつも以上に俊敏であった。次第にユイナは防戦一方になる。
そして勝負はすぐに決した。
「きゃあっ……!」
一瞬の隙を突いたミーナの回し蹴り。それが綺麗にユイナの腹に決まった。
蹴りの威力は凄まじくユイナの身体は軽く吹っ飛ばされ、そして壁に強く打ち付けられた。
その衝撃で彼女の鎧は粉々に砕け散り、剣は手から離れた。
「み……ミーナ……なんで……! かはっ!」
ユイナの口から多量の血が噴き出す。
もはや彼女に抵抗する力など残ってはいないようだった。
やがて眠るように目を瞑ったユイナはぐったりと動かなくなった。
「ユイナ! おい! しっかりしろ!」
オータスはすぐにユイナのもとに駆け付け、声をかける。
だが、ユイナからの返答はなかった。
(まさか……そんなことはないよな……)
もしかしたらもうユイナは目を覚まさないのではないか。そんな強い不安が彼を襲った。
だが、その心配は杞憂に終わった。
「よ、よかった……息もしてるし心臓も動いている……」
ユイナは一時的に気を失っているだけであった。ほっと安堵したオータスだったが、しかし、危険な状況であることに変わりはない。
オータスはユイナの救護を兵に頼むと、自らは剣を抜いてミーナの前に出た。
(ミーナは命がけでオウガから俺を守ってくれた命の恩人……。だが、容赦なく刃を向けてくるのならば、相手をするしかない、か……)
オータスとて決して本意ではない。
だが、ミーナのユイナへの攻撃は決して手加減されたものではなかった。その一撃一撃には確実に殺意が込められていた。
もはや戦うことは避けられない。もし、ここで躊躇をしていては今度こそ死人が出るだろう。
だが、頭ではそう理解していても、どうしても完全に割り切ることはできなかった。どうしても脳裏に、ミーナとの思い出が浮かんでしまう。
そんなオータスの心情に気がついたのだろう。一人の男が見かねてオータスとミーナの間に入った。
そしてその男、エステバ=ジャンゴフはオータスを安心させるようにニッと笑って見せた。
「無理しなさんな。あの赤髪の女、おめえさんにとって大切な人なんだろ? だったらここは俺に任せてくれや。まあ、殺さねえよう気を付けてみるさ」
そう言うとエステバは武器を構え、ミーナと向かい合う。
そして、両者は徐々に間合いを詰め、やがて激突したのだった。




