第79話「王都侵攻 ~其の弐~」
宮城地下最深部。
ここには罪人たちを入れる牢が無数に並んでいる。
薄暗く、不衛生な劣悪な環境。満足な食料も与えられず、はじめは威勢の良かった者たちも、ここに入れられれば最後、やがて生気を失っていく。
まさにここは地獄という言葉がふさわしい。このような場所に居るくらいならば、いっそのこと斬首にでもなったほうが幾ばくかマシなのかもしれない。
しかし彼女だけは、そんな中でも決して絶望することはなかった。
ミーナ=ハリアッド。それが彼女の名前である。
コーロの関をめぐる攻防で、父・トレグルとともにオータスを救い出した彼女であったが、オウガ=バルディアスの圧倒的な武の前に敗走。なんとか戦場からの離脱には成功したものの、運悪く王都周辺地域を巡回していた兵に捕まってしまった。オウガとの戦いで激しく疲弊していた彼女には抵抗する術はなく、こうして宮城の地下牢に入れられてしまったというわけである。
「はぁ……はぁ……」
思わず喘ぎ声が口から漏れる。
鎖につながれた彼女の姿はあまりにも無惨なものであった。
美しかった赤髪は艶を失い、衣服は破れ、素肌がむき出しになっている。そしてその肌には無数の痣があった。それはムチによる激しい拷問の痕であった。
「まだ、吐かねえか。しぶとい女だねぇ。嬢ちゃんさ、そろそろ吐いて楽になろうぜ?」
拷問官が一旦手を止め、ミーナに語り掛ける。
彼らからすれば、シアン軍について有益な情報を少しでも聞き出したいところであった。が、ミーナは一向に責めに屈する気配はなく。拷問官はどうしたものかと大きくため息をついた。
と、その時であった。
ギーッと牢の扉が開かれたかと思うと、一人の男がミーナに近づいてきた。
「君、いままでご苦労だった。時間がないのでここからは私がやろう」
男がそう言うと、拷問官は礼をして何処かへと消えていった。
ミーナは警戒を強める。只者ではない、と本能的に感じたのだ。
果たして、その予感は正しかった。
「私はこの国の宰相のバイロン=グロワーズだ。そろそろ城の外が騒がしくなってきてね。もう時間がない」
グロワーズ。もっともその正体は魔術師・ストーレイ=ホッジソンであるが、彼はミーナにそう語りかけると、彼女の顔をそっと撫でた。
ミーナが鋭い目つきでストーレイを睨み付ける。
「おー、怖い」
だが、ストーレイはそれを小馬鹿にするように笑うと、次の瞬間。
指をパチンと鳴らした。
すると。
「どういうつもり……あうっ!」
ミーナの身体を突如激痛が襲った。
それまでどんな痛みにも耐えてきたミーナ。が、今回は違った。
「いやああああああああああああああああっ! やめっ! はうっ! あああああああああああああああっ!」
生娘のような、悲痛な叫びがフロア一面にこだまする。
そして、彼女の目からは大量の涙が溢れだした。
「さて、そろそろお話する気になったかね?」
「だ、誰が! 絶対に、何も、言わな……あああああああああああああああああああああああ!」
さらに激しい痛みがミーナの全身を襲う。
ミーナにはどうすることもできず。ただ悶え苦しむことしかできない。
しかし、それでも彼女は絶対に口を割ることはなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。げほっ! げほっ!」
弱り切り、ぐったりとする彼女を前に、ストーレイは思わず感嘆の声を上げた。
「私の術を食らっても吐かないとは。あなたの主への忠誠心、敵ながら見事と言うほかない。が、生憎こちらにはもう時間がない。こうなれば趣向を少し変えてみるとしようか」
彼はそう言うとミーナの額にそっと手を添えた。
「お前の身体、頭脳、そして血の一滴に至るまで……。全て我に捧げよ」
刹那。再び、ミーナの身体を激痛が襲う。
しばらくはその痛みに耐えていたミーナであったが、やがて限界を迎えた。
彼女の目から光が失われると、ストーレイはニヤリと笑みを浮かべた。
「お前の主は誰だ?」
「偉大なる魔術師・ストーレイ=ホッジソン様です……」
その答えに満足するとストーレイはミーナを鎖から解放した。
「良いか。お前はこれより我が尖兵として、働くのだ。私を害そうとする者をことごとく排除せよ」
「はい……。ストーレイ様のため、忠誠をつくします……」
魔術には様々なものがあるが、その中でも高位な術の一つに洗脳術というものがある。
ストーレイがミーナにしたのはまさしくそれであった。
「南門が開いた! 一気になだれ込め!」
王都内部へと一番乗りした部隊は、オータスの部隊であった。
先の戦での汚名を挽回せんとするオータスの活躍は凄まじかった。
オータスはほぼ一人で城外に展開していた敵兵を葬り去ると、さらには城壁の上からの攻撃もことごとく防いでみせた。
こうしてオータスが敵の目を引き付けたおかげで、衝車部隊は無事城門を破壊することに成功したのである。
しかし、カスティーネ軍とて馬鹿ではない。門を抜けたその先には巨大な連弩と無数の弓兵が待ち構えていた。
一斉に放たれた矢がオータス達を襲う。
「マイン! 頼む!」
「はいはーい! 任されました!」
だが、オータスはその対策をきちんと講じていた。
マインが術を唱えると、次の瞬間には半透明な壁が出現した。これにより、矢は一本たりとも届くことはなかった。
第1射目を防いでしまえば、次の斉射までには時間がかかる。その間に、シアン軍は一気に洛内へとなだれ込み、そしてその数を以って連弩部隊を蹂躙したのであった。
「オータスさん! 何か私に言うことがあるんじゃないですか?」
「え? ああ、助かったよ。ありがとう」
「言葉だけじゃなくて、ね?」
マインはいたずらっぽくそう言うと、頭をオータスのほうへと向けた。
それが何を意味しているのか察し、オータスは思わず大きくため息をつく。
「あのなぁ……」
だが、マインがいなければ城門を攻略できなかったのも事実。
門が開いてから矢が放たれるまでわずか十数秒。そのわずかな時間で防御魔術を発動させるのは決して容易ではない。
この策はマインの力があったからこそ成立するものであった。
オータスは若干躊躇しながらも、結局は彼女の要求に従うことにした。
なでなでと、やさしく彼女の頭を撫でる。
「これで満足か」
「はい! そりゃあもちろん!」
そう答える彼女の表情は本当に嬉しそうで、オータスも思わず頬を緩める。
だが、彼は気づいていない。二人の後ろに、ふくれっ面のユイナがいたことを。




