第75話「記憶の断片」
風が吹くたび揺れる焚火の炎。
向かい側に座る女性の顔が赤く照らされる。
「大丈夫か。傷、まだ痛むか?」
優しく言葉を投げかけると、その女性は首を横に振った。
「ううん。私は大丈夫。それよりも心配なのは貴方のほうよ。私を助けようとして無茶して……」
「なに、これくらいかすり傷だ。心配ない」
そう言いながら、心配させぬよう笑って見せる。
だが、彼女はその言葉では納得してくれなかったようで、じっとこちらを睨んでいた。
「すまん。実はめちゃくちゃ痛い」
根負けして、ようやく本当のことを口にする。
すると彼女は満足げに笑った。
「ふふ、やっと素直になった。変に気なんて使わないでよ。私たち仲間でしょ?」
彼女はそう言うと、おもむろに立ち上がった。
そして隣にやってきてボソッと耳元でこう囁いたのだった。
「でも、これだけは言っておかないとね。助けてくれてありがとう。とても嬉しかった」
息の温かさを耳に感じ、思わず胸の鼓動が早くなる。
平静さを保って言葉を返そうと試みたが、それは無理だった。
「赤くなってる。ふふふ」
「う、うるせえ。焚火のせいでそう見えるだけだ」
からかってきた彼女にそんな苦し紛れの言い訳をするのが精いっぱいだった。
と、その時。近くの茂みが動いた。
魔物や山賊の類いかと、思わず身構えたが、その心配は杞憂に終わる。
「おいおい、人が懸命に周囲を探ってたっていうのに、自分らは痴戯の真っ最中とか、舐めてんのか」
そう言って茂みから姿を現したのは、あまりによく見知った人物であった。
安堵のため息をつき、その者の名を口にする。
「なんだラードか」
「なんだとはなんだ。まったく、傷だらけのお前らのために、薬草を採ってきてやったっていうのによ」
ラードはそう言うと、腰を下ろし、採取した薬草を煎じ始めた。
「お前、顔に似合わずそういうの得意だよな」
「顔は余計だ。それを言うならお前だって普段は温厚な癖に、戦いで誰かが傷つきそうになると冷静さを失うだろう。まったく、そのたびに薬をつくらされるこっちの身にもなれってんだ」
「すまん、それに関しては返す言葉がない。自分はいい。だが、どうしても自分以外の誰かが目の前で傷つくのだけは我慢ならないんだ……」
寝ころび、夜空を見上げる。
ゴリゴリと、薬草を混ぜる音が妙に心地が良くて。
大きなあくびを一つ。
そうして気が付けば、眠りの世界へと誘われていた。
オータス=コンドラッドが目を覚ますと、まず視界に飛び込んできたのは幕舎の天井であった。
動かぬ脳をなんとか動かし、思考してみる。
(今のはなんだ……。夢か? ラードって誰だ? あの綺麗な女性は? あの娘、誰かにすごく似ている気が……)
そこまで考えたところでハッとなり、身体を起こす。
脳にかかった霞を払うように顔をぶんぶんと横に振り、状況を整理した。
(そうだ。確か俺はオウガに挑んで敗れて……)
オータスはすぐさま幕舎を飛び出した。
いったいどれほどの時間寝ていたのだろうか。もしかしたらとっくに戦いは終わっているかもしれない。
不安が胸を埋め尽くし、あまりの焦燥に前をよく確認していなかった。
ごつん、という鈍い音が響き渡る。オータスは何かにぶつかった。
「いたたたた……。きちんと前を見て……ってオータス!?」
「その声は……ユイナ!?」
オータスはその後、ユイナより戦の顛末を聞く。
ケルビンの術は見事完成、堅牢なコーロの関は瞬く間に吹き飛んだ。
さすがのオウガ軍もこれには動揺を隠しきれず、そしてこの機を逃すまいとすかさずシアンが攻勢を命じたことで、流れは再びシアン軍へと傾いた。
勢いを失ったオウガ軍は瓦解、敗走。
オウガ=バルディアス自身はなおも奮戦していたが、もはや勝機なしと判断するとやがて撤退していった。
こうしてコーロの関をめぐる攻防は、膨大な犠牲を払いつつもシアン軍の勝利という結果に終わったのだった。
そしてさらに、このときオータスは初めてその膨大な犠牲の中にトレグルがいることを知ったのだった。




