第70話「武を極めし者」
その巨漢は表情一つ変えず、ただひたすらに目の前に立ちはだかる者たちを屠っていた。
人を殺すことに躊躇いはない。弱い者が強い者に討たれる、それが戦場における常識だ。
斬る、斬る、斬る。無心に、淡々と斬る。
とある敵兵を斬ったところで、得物の穂先が折れた。だが、男は動じない。
好機とばかりに襲い掛かってきた敵兵を拳で軽く粉砕すると、その者が持っていた槍を奪った。
そして再び先ほどと同じように槍を振るう。
敵兵たちの血しぶきが視界を覆った。
刹那。
「覚悟!!!」
若い女の声が聞こえたかと思うと、衝撃が顔面を襲った。
男は悟る。何者かが己が顔に一太刀浴びせたのだと。
突然のことではあったが、男はいたって冷静であった。すぐさま体勢を立て直す。
だがこのとき、男の左目は潰されていた。
「これ以上兵を損ねるわけにはいきません! オウガ=バルディアス、貴方の相手は私が務めましょう」
ぼんやりとした視界に映ったのは戦場に似つかわしくない細腕の少女。
だがその細腕は不意を突いたとはいえ、紛れもなく男の左目を奪った腕である。
「聖騎士・シャイニーヌ=アレンティア、か。面白い」
それはオウガ=バルディアスがこの戦ではじめて笑みを浮かべた瞬間であった。
その一刀が風を切り裂く。その一刀が大地を穿つ。
シャイニーヌ=アレンティアとオウガ=バルディアス。王国を代表する両雄の激突は熾烈を極めた。
こうなってしまってはもはや何人たりとも二人の間に入ることは叶わない。巻き込まれぬように、主の邪魔とならぬように、次第に二人の周りには空間が出来ていた。
(ああ、やっぱ駄目みたいですね)
シャイニーヌは何合めかの撃ち合いで確信した。勝てない、と。
それほどまでに力量差は圧倒的であった。片目を失ってもなお、オウガの武はいささかも衰えていない。
必死の思いで物にした剣技がいとも簡単にいなされる。
全ての力を込めた渾身の一撃が防がれる。
不意を突いたはじめの一撃以外、彼女の刃が男に届くことはなく、一方で彼女の身体には小さな傷が徐々に増えて言った。
小さな傷の上に小さな傷が重なり、やがて大きな傷となる。
そして二人の激突から60を数えた頃には、もうすでに彼女の鎧は壊れ、その下の服も破れていた。そこから見える素肌は酷く傷つき、血に塗れている。
だが、彼女は倒れなかった。どんなに痛くても、苦しくても、シャイニーヌ=アレンティアは諦めなかった。
「まだまだ……勝負はこれから……です」
もうとっくに息は上がっている。言葉を発すればよけいに体力を失うことはわかっていたが、それでも強気な言葉を口にしなければ挫けてしまいそうだった。
それほどまでに彼女の心と身体はボロボロであった。
最後の力を振り絞り、剣を振るう。
倒せなくてもいい。少しでも時間さえ稼げればいい。
決死の想いを乗せた刃がオウガを襲う。
だが。
「う、そ……」
嫌な金属音が響く。
その刃はオウガの槍と衝突したその瞬間、半ばから折れた。
そしてそれと同時に彼女の心もまた折れたのだった。




