第69話「主従」
「出てきましたね……」
シャイニーヌ=アレンティアは敵が城門から姿を現したのを確認し、小さく呟いた。
彼女のいる場所からはまだ敵の姿は豆粒ほどにしか見えない。しかし、その先頭にひと際大きな影があるのを見逃さなかった。
「大将軍・オウガ=バルディアス……!」
敵部隊を率いているであろう男の名を口にする。
その男と初めて会ったのは3年前。彼女がまだ六将でも騎士団長でもなく、ただの一介の騎士に過ぎなかった時のことだ。
シャイニーヌは当時13歳ながらその剣の腕前を認められ、騎士団を代表して御前試合に出場していた。
御前試合とはその名の通り国王の面前で行う試合のことで、これに出場できるのは国王やその近臣たちから実力を認められた本当の猛者たちだけである。
そしてその時の相手こそが、オウガ=バルディアスであった。
結果は引き分け。といっても制限時間を過ぎたことによる強制終了で、戦いは終始オウガが押していた。
イーバン王は圧倒的な力を魅せたオウガとそれを防ぎ切ったシャイニーヌをともに称賛。褒美としてオウガには当時空位であった『大将軍』の位を、そしてシャイニーヌには古くより剣の腕の優れた者に与えられてきた『聖騎士』の称号を与えた。
しかしながらシャイニーヌは心からそれを喜ぶことは出来なかった。
もし制限時間がなかったら、シャイニーヌは負けていた。もしそれが御前試合などではなく本物の戦であったならば、シャイニーヌは死んでいた。
力でも技でもオウガにはまったく及んでいない。シャイニーヌは己が力のなさを人生で初めて実感した。
それまで負けを知らなかった彼女にとって、それは初めての大きな挫折であった。
「シャイニーヌ様、いかがいたしましたか?」
隣に轡を並べる副団長のウィル=ロッサリオンが彼女の異変に気付き声をかける。
ウィルは30歳。色白で痩せぎすとその外見は一見頼りなさそうに見えるが、剣の実力は騎士団の中でも群を抜いている。真面目で礼儀正しく、シャイニーヌよりはるかに年上だが、尊大な態度をとることは一切ない。彼は、まだ若く経験の浅いシャイニーヌを常に優しく補佐する優秀な副官である。
「すみません、どうやら騎士団長ともあろう者が戦いを前に少し怖気づいてしまっていたようです。でも、もう大丈夫。大丈夫ですから」
シャイニーヌはそう言って、ごまかすように微笑を浮かべる。
しかし、彼女の身体はまだかすかに震えていた。
ずっと傍に仕えてきた身である。ウィルがそのことに気が付かぬはずがない。
彼は馬を近づけると、優しくこう語り掛けた。
「敵はあのオウガ=バルディアス。人中最強と謳われし武人が相手。確かに手ごわいでしょう。いくら貴方様と言えど勝てるかわからない。しかし、左翼にはコンドラッド伯爵がいます。右翼にはスペンダー公爵がいます。そしてお二方と比べれば少し頼りないかもしれませんが貴方の隣には私がいます。気を楽に。なにも貴方様一人であの男を相手する必要はない。それに軍議でコンドラッド伯爵が言ったことを思い出してください。今回我々は奴の足止めさえすればいいのです。どうです? とても簡単なことのように思えてきませんか」
シャイニーヌの震えは止まった。自然と彼女の顔に笑みが浮かぶ。今度はいたって自然な笑み。
これこそ自信と希望に満ちた美しき戦乙女の顔。
「ありがとう、ウィル。いつも頼もしく思います。貴方が支えてくれるから、私はいつも前を向いていられる」
「身に余るお言葉、恐悦至極に存じます。非才な身ではありますが、我が全てを賭して貴方様をお守りいたしましょう」
そして二人は視線を合わせ、頷き合う。
前方に視線を移す。
距離が近づき、敵の姿かたちは先ほどよりもはっきりしていた。しかしもう恐怖心は芽生えない。
剣を鞘から抜き、掲げる。
大きく息を吸い込んで力の限り叫んだ。
「突撃!」
騎士たちが雄たけびを挙げ、一斉に馬の腹を蹴った。
砂塵が舞い、大地が揺れる。
間もなく両軍は激突した。
シャイニーヌ率いる中央部隊と敵中央部隊が交戦を開始した頃、オータス率いる左翼部隊とスペンダー公爵率いる右翼部隊もそれぞれ敵両翼と激突していた。
しかし、こちらの決着はすぐに着いた。
両翼ともにシアン軍が勝利という結果である。
そもそも兵力ではシアン軍が大幅に勝っているのである。よほど優秀な指揮官でなければこれだけの兵力差を覆すことなど難しい。
カスティーネ軍両翼部隊の指揮はオウガの配下の将が行っていた。オウガ自身は中央部隊の指揮を執っているため、当然である。
そして、彼らは所詮凡将に過ぎなかった。
こうして敵右翼と左翼を破ったシアン軍はそのまま残った敵中央部隊の挟撃に移る。
つまり、オウガ=バルディアスは前方をシャイニーヌ率いるアルネス騎士団、両側面には貴族諸侯軍と三方を囲まれた形となった。
兵数で劣り、さらには包囲される。これはもはやオウガの立場からすれば詰みと言って良い。しかし、オウガ率いるカスティーネ軍中央部隊はいつまで経っても崩れることはなかった。
「ひぃぃ……! バケモノだ……! に、逃げろぉぉぉぉ!」
「あんなん勝てるわけねぇよ! どうしろっていうんだ!」
「死にたくねぇ! 誰か助け……!」
その男の周りはまさに、阿鼻叫喚のさまを呈していた。
「雑魚ばかりでは飽きるというもの。反乱軍に武人は一人もいないのか?」
男はつまらなそうにそう吐き捨てると、手に持っていた雑兵の首を地面に投げた。
もはや何人屠ったのかなど覚えていない。彼は100を超えたあたりから数えるのを止めていた。
男の身体は血に塗れ赤く染まっている。しかしそれはいずれも返り血であり、彼自身の血は一滴たりともなかった。
オウガ=バルディアス、いまだ無傷なり。
その事実が残りわずかとなったカスティーネ軍の兵士たちを勇気づける。
彼が生きている限り、カスティーネ軍が瓦解することは決してなかった。




