第66話「月と酒と山菜と」
ランゲリーネへ使者として向かっていたミーナがモルネスに帰還したのは出発から二週間ほど経った頃であった。
彼女の手にはランゲリーネ王・ビサームからの返事があった。
「ふぅ、とりあえずはランゲリーネはこの内乱に首を突っ込む気はないようだな」
その書状を一通り読み終えると、オータスは安堵のため息をついた。
「そう言って我々を安心させて王都へ攻めさせ、その隙に手薄となったカーライム西部を手中に……という筋書きなのでは?」
オータスの後に書状に目を通したユイナが罠である可能性を指摘した。が、ミーナはすぐさま首を横に振った。
「それはないでしょう。ランゲリーネ国内はまだ建国から間もないこともあり、非常に不安定です。現にかつてジョブライから重用されていたバニスタン伯爵、アラデホ伯爵、トーレウス子爵が結託して反乱を起こしたと向こうで聞きました。しばらくはその対応に追われ、こちらに兵を向ける余裕などとてもないものと思われます」
「なるほどわかった。いつもすまないなミーナ。王都への進軍は予定通り行う。それまでしっかりと身体を休めてくれ」
オータスはそう礼を言うとミーナを下がらせた。
続いてユイナに目配せをする。無言であったがユイナにはしっかりと伝わったようで、彼女もまた一礼するとその部屋を後にした。
これよりユイナは味方する各勢力にこのことを伝えなければならないのだ。そしてさらにこうも告げる。
「時は満ち足り」
と。
出陣を前日に控えた夜のこと。
自室で剣の手入れを行っていたオータスの元に意外な人物がやってきた。
「コンドラッド伯爵、少しこれに付き合ってはくれませんか」
金髪の少女・シャイニーヌ=アレンティアはニッと笑みを浮かべてそう言った。
その表情は普段に比べ、ややあどけない。一体どうしたのかと一瞬首を傾げたオータスだったがすぐに合点がいった。
彼女の手には酒があり、彼女の顔は明らかに赤くなっている。
(酒のお誘いか……。どうせ気が高ぶってしばらく寝れないだろうし、少しくらいならいいか)
オータスは剣を鞘へとしまうと腰を上げ、こういった。
「わかりました。では私はとっておきの肴を用意しましょう」
淡い月の光が二人を照らす。
心地の良い穏やかな風が頬を撫でる。やや涼しいが、決して寒すぎるということはない。
夜空の下で酒を酌み交わすのにこれほど適した日はないだろう。
「おお、清酒ですか」
オータスは盃に並々と注がれた透明な液体に、感嘆の声を上げた。
モルネスでは酒は濁酒が基本であった。
「私の故郷で作られたお酒なんです。私の故郷・ナフダはお酒の名産地なんですよ」
「これがカーライム三名酒の一つと名高いナフダの清酒……。いただきます」
本来ならば田舎の小貴族が気安く味わえるような代物ではない。オータスは慎重に口へと運んだ。
「ううむ、美味い……」
無意識に、感想が口から零れ落ちた。それほどまでに美味であった。
辛口ですっきりとした味わい。モルネスの濁酒などとは比べるのも失礼なほどに飲みやすい。
それは一切余計なものなどない洗練された味であった。
「気に入ってもらえたようでなによりです」
「いえ。しかし、私もモルネスではかなり良いほうの肴を用意したつもりでしたが、これでは釣り合いがとれていませんね」
「そんなことありませんよ。この山菜などとてもお酒にあって美味です」
モルネスの山で採れた山菜の天ぷら。今がまさに旬である。
「まあ、山菜だけは無駄に取れますんでね。このへんは。これは私が揚げたものですが、ユイナが揚げたものはさらに格別です。戦が終わったらユイナに言って作らせましょう」
こうして二人はそれからしばらく他愛もない雑談をかわしつつ、酒と肴に舌鼓を打った。
そして、夜が明ける。
ついにその日はやってきた。




