第64話「英雄へ」
ジェルメンテ王国改めランゲリーネ王国の王宮地下深く。
ここの牢の一つに一人の若き将が幽閉されていた。
男の名はシャイビット=グレオン。ジェルメンテ王国に古くから仕える名家・グレオン家の嫡男である。
もっともグレオン家もジェルメンテ王国も既にこの世にはなく、いまや彼はただの囚人の一人に過ぎない。
そもそも何故貴族であったはずの彼がこのような状態となっているのか。それを説明するには少々時をさかのぼる必要がある。
かつて、カーライム王国において内乱が起こる前のこと。ジェルメンテ王国はカーライム王国に対し突如大軍を持って攻め入った。
それまでの両国の仲は決して悪くなく、むしろ良好ともいえた。それ故にジェルメンテ王・ジョブライ=ボーガリウス=ジェルメンテがそのことを宣言した時は誰もが驚いたものである。
「陛下! どうかお考え直しを!」
当然、家臣たちの中からは反対の意見が多く上がった。
たしかにジェルメンテは大陸において一・二を争う強国である。両国の兵力差を考えれば、カーライム侵攻はそれほど無理な話ではない。十分勝算はあるだろう。
しかし、強国故にジェルメンテには敵も多かった。北のランゲ族をはじめ、東や南の諸国家とは近年でも度々衝突している。そのような状況で数少ない友好国を自ら手放すのは明らかに得策ではない。
だが、そんな家臣らの必死の説得もむなしく。最終的に決定は覆らなかった。
そして、その侵攻軍の総大将を務めていたのが他でもないシャイビット=グレオンであった。
結局、このカーライム侵攻は失敗に終わる。『フェービスの戦い』にてカーライム軍はスタンドリッジ伯爵率いる貴族諸侯軍に敗北、またそれを好機とみて北のランゲ族がジェルメンテ領内に侵攻を開始したのである。
こうなると強国・ジェルメンテも流石に厳しくなってきた。ジョブライはカーライムとの関係修復を模索した。
「カーライムへの侵攻は決して我の本意ではなく、一部の家臣たちが勝手に起こしたことである。その筆頭こそが軍を率いていたグレオン家なり」
ジョブライはあろうことかグレオン家をカーライムとの関係修復の贄とした。
こうしてグレオン家は改易となり、シャイビットは父と共に罪人として王宮地下の牢へと入れられたのだった。
シャイビットは虚ろな目でただ目の前の暗闇を見つめていた。
牢に入れられた直後は王への怒りが収まらず、四六時中喚き散らしていたものだが、流石にこれほど長期間拘束されているともはやそんな気力は湧いてこない。
共に牢に入れられた父は既に死んだ。自分も同じように失意のうちにこの暗闇で死んでいくのだろう。
そんなことを考えていると、コツンコツンという乾いた音が聞こえてきた。その音は徐々に大きくなっていく。
何者かの靴音である。
「誰……だ……」
小さく擦れた声で暗闇に問いかける。
すると、すぐさま答えが返ってきた。
「私はビサーム。貴様を解放しに来た」
暗闇から姿を現したのは顔に白い仮面を着けた不気味な男であった。
ビサームは話す。ジェルメンテ王国はすでに滅亡したことを。
代わりにランゲリーナ王国というランゲ族による新たな国が樹立したことを。
そして、その王こそが自分なのだと。
「私に仕えよ。さすれば家名の復活を許す」
そして最後にそう囁いた。
シャイビットに断る理由などあるはずがなく、彼は新たな主に向け深く頭を垂れた。
ジェルメンテ王国の滅亡とランゲリーネ王国の誕生は当然モルネスの地にも届いていた。
シアンとオータスはすぐさま今後の方針を決めるべく、主だった者たちを一つの部屋に集めた。
その中にはシャイニーヌとケルビン、スペンダー公爵の姿もあった。ケルビンはシャイニーヌより2日遅れて、スペンダー公爵はケルビンよりさらに4日遅れてモルネスに到着していた。
「ジェルメンテの滅亡は既に皆さまも聞いているかと思います。ランゲリーネがこちらの内乱にどう首を突っ込んでくるかはわかりませんが、なんとか敵対だけは避けねばなりません」
オータスの言葉に諸将頷く。
どうやら皆考えは同じらしい。オータスは思わず胸をなでおろす。そして、ミーナを呼んだ。
ランゲリーネ王へ書状を届けさせるためである。
赤髪の少女は書状を懐にしまうと、一礼してすぐさま部屋を出ていった。
と、それを見ていたスペンダー公爵が思い出したように口を開いた。
「そう言えば我らを説き伏せたのも彼女だったな」
今、こうしてシアン陣営に六将の半分がいる。これは紛れもない彼女の功績であった。
もっともその時の彼女のさまは説き伏せたというよりは泣き落としたといった感じであったが。
ともあれ、これでオータスは強力な味方を得ることが出来た。これまでは数でも質でも不利な戦いが続いていたが、これからはようやく互角に渡り合うことが出来るだろう。
しかし、オータスには一つ気がかりなことがあった。
「あの、しかし本当によろしかったのですか。私が総大将のままで」
実は新たに名将たちが加わった今も、シアン軍の総大将はいまだオータスが務めていた。その証拠に今回の話し合いでも恐縮しっぱなしとはいえ、オータスが仕切っている。
実績や家格を考えれば総大将に最もふさわしいのはスペンダー公爵に違いない。しかし、公爵はそれを固辞し、オータスの指揮下に入ることを望んだ。
「前も言ったが、私は貴殿のことを認めている。能力も、人柄も、陛下への忠誠心も。ならばその下で働くことになんら不満はない。それに、これは貴殿が始めた戦だ。ならば最後まで貴殿が皆を導け。それが筋というものだろう。貴殿はもう英雄への道を歩もうとしているのだ」
公爵の言葉にシャイニーヌとケルビンも頷く。
オータスがこれより歩むは英雄の道。
その道では数多の富と名声が手に入るだろう。だがしかし、それ以上の苦しみと戦うことになる。
多大な責任を負うことになる。
自分の一つの行動が皆の行動となり、そして国の命運を左右する。
きっと英雄の道はいばらの道に違いなかった。
(そうか、無意識のうちに俺は英雄の道から逃げようとしていたのかもしれないな。総大将の座とともにすべてをスペンダー公爵に押し付けてしまおうとしていた)
オータスは深呼吸する。心は決まった。
「これより王都奪還の戦へ向け、軍議を開始する!」
カーライム内乱はいよいよ佳境へ。ついにモルネスより外へ軍を進める。




