第58話「援軍」
「なるほど……。用件はわかった」
オータスからの書状に目を通したその男はそう言うと、困ったように目を細めた。
男の名をショーン=スペンダーという。コーリンの地を治める公爵で、「六将」が一人。このジェルメンテ遠征軍においては総大将を務めている。
年齢は21歳と若いのだが、目の下にある大きなクマと口元の無精ひげのせいでとてもそのようには見えない。
なによりその堂々とした態度は、まるで老練な将の如き威厳を醸し出していた。
「ミーナ殿……といったか。ここまでの道のり、さぞ苦労されたことだろう。返答は追っていたす故、まずはごゆるりと休まれよ」
スペンダー公爵は優しくいたわるように使者であるミーナに語り掛けた。
ここはジェルメンテ王国東域の要所・ヌスラーン城砦。
遠征軍は難攻不落と名高きヤンド城砦を落としたのち、順調に西進を続け、このヌスラーン城砦をも落とし、本陣とした。
広大な領土を誇るジェルメンテ王国からすれば、ヌスラーン城砦などまだ東の端に過ぎないものの、それでもカーライムとの国境からはもうかなり離れている。
さらにはジェルメンテの東域は険しい山々が多く、悪路ばかり。馬を駆ってきたとは言え、モルネスからここまで急いでやって来たミーナの苦労は計り知れない。
しかし、彼女は首を横に振った。
「お心遣い有り難く思いますが、そのような余裕などございません。こうしている間にも敵はモルネスへと押し寄せるかもしれないのです。どうかこの場でお決断のほどを」
ミーナは深々と頭を下げる。
その発言はいささか六将相手に強気なものであったが、公爵は怒るわけでもなく、しばらく目を閉じ思案した。
そしてやや間があって、こう述べた。
「では答えよう。結論から言えば……コンドラッド伯爵家に協力することはできぬ」
絶望がミーナを襲った。
もちろんそう簡単に協力してくれるとは思ってはいなかった。だが、ここまでハッキリと断られると心に来るものがあった。
茫然自失となる彼女を前に、公爵はさらに淡々と言葉を続けた。
「理由は至極単純。私はコンドラッド伯爵の人となりをまるで知らぬ。どのような人物かもわからぬ者においそれと協力などできるものではない。お二方はいかがでしょう。コンドラッド伯爵と面識・交流などある方は?」
公爵はそれまで無言で成り行きを見守っていた二人の将に尋ねる。しかし二人の将、すなわちシャイニーヌ=アレンティアとケルビン=メンティはいずれも首を横に振った。
「悪いがそういうことだ。あまり言いたくはないが、コンドラッド伯爵が此度の内乱に乗じ、まだ若くお優しい姫殿下をそそのかし、傀儡とすることで次の玉座を狙っている……。そのような可能性も否定できないわけだ」
刹那、ミーナは身体からすべての力が抜けていくのを感じた。
オータスに野心などないと、そんなこと証明のしようがない。オータスとシアンに実際に会ってでももらわぬ限りは。
(諦めるわけにはいかない……。ここで諦めてはモルネスが……。でもどうすれば……)
ミーナは必死に頭を巡らせる。
そして。
「オータス様は……オータス=コンドラッド様は決して、決して二心あるような御方ではございません!常に民と同じ目線に立ち、私のような者にもいつも優しく声をかけてくださります!戦の際には的確な采配をする一方で、伯爵自ら前線にて剣を振るい、皆を鼓舞してくださります!あの御方は……あの御方は……モルネスにとって太陽のような方!その場にいるだけで皆に元気と笑顔を与えてくださる御方です!シアン陛下もオータス様の前ではいつも朗らかな笑顔をお見せになられ……だから……だからどうか!!!」
大粒の涙が零れ落ち、床を濡らした。
口から出てきたのはとても理知的とは言えぬものであった。それはミーナ自身の想い、感情そのものであった。
クールで表情一つ変えぬ普段のミーナはそこになく、そこにいるのはただ気持ちを真っ直ぐに叫ぶ一人の年相応の少女であった。
「フッ、成るほど。少なくとも臣下にはなかなか慕われているようだな……コンドラッド伯爵は」
公爵はそう呟くと柔和な笑みを浮かべた。そしてミーナに近づくと、優しくハンカチを差し伸べた。
予想外の反応に目を丸くするミーナ。すると、それまで黙っていたケルビンがようやく口を開いた。
「フォッフォ。流石の公爵も、女の涙には勝てんか。しかしまあ良いのではないか。内乱が起きて以降、王都より一切の連絡はなく、それどころか兵糧などの支援物資もまったく届かなくなった。我らがいなくなった後に事を起こしたことから考えても、カスティーネ殿下はわしらを敵とみなし、排除する気……ということじゃろう?」
それにさらにシャイニーヌも賛同する。
「敵の敵は味方とも言いますしね。コンドラッド伯爵に邪な考えがあるかどうかは会ってみてから判断しても遅くはないでしょう」
そんな二人の肯定的な意見に、スペンダー公爵は思わず苦笑しながらこう言った。
「相変わらず御二方は甘いですな。まあ、私も人のことはとても言えませぬが」
それまでの張りつめた空気がまるで嘘のように、部屋全体の雰囲気が明るくなったのをミーナは感じた。
「では……」
恐る恐るミーナは公爵に尋ねる。
すると、公爵は高らかにこう言った。
「これより我らはシアン姫殿下を新たな主とし、コンドラッド伯爵に助太刀いたす!騎兵が中心であるシャイニーヌ殿の隊はいち早くモルネスに向かい救援を!ケルビン殿の隊も準備が出来次第それを追ってください!殿は私にお任せあれ!」
その言葉とともにケルビンとシャイニーヌはすぐさま動き出した。
そしてその日の夜にはシャイニーヌ率いるアルネス騎士団がヌスラーン城砦を出発。
こうして、コンドラッド軍は強力な味方を得ることに成功したのだった。




