第52話「襲撃」
その少女はとても可憐であった。
体格は同年代の少女に比べれば一回り小さく、腕は少し力を加えてしまえば折れてしまうのではないかというくらいに細い。
さらに美しい金色の髪を三つ編みにしていることもあって、かなり幼いように見える。
しかしながら出るべきところはしっかり出ているので、決して体つきに女性らしさが皆無というわけではない。
淡い色のドレスなど着ればさぞ似合うであろう容姿の彼女だが、残念ながら現在着ているのはそんなのとは無縁の、銀色の軽鎧であった。
彼女の名はアリサ。コンドラッド家に仕える兵士の一人である。
年齢は16歳。メルサッピ峠の戦いより後に兵士に志願したためまだ戦の経験はない。
そんな彼女の現在の任務はシアン女王陛下の寝所の警護という、新兵にはいささか荷が重いものであった。
これは女性の護衛はやはり女性のほうがいいだろうというオータスの考えによるもので、もっとも彼女だけでなく年上で武術に長けているユイナもその補佐として共に護衛の任についている。
「やっぱ緊張してる?」
互いに挨拶を交わしてから二人の間にはしばらく沈黙が続いていたが、それを最初に破ったのはやはり年上であるユイナのほうであった。
アリサが小さな声で答える。
「いや、あの……はい。恥ずかしながら……」
彼女の顔は緊張と恥辱で赤く染まっていて、目もいささかうるんでいる。
ユイナはそんな彼女の怯えた小動物のような表情に思わず苦笑し、そして優しく語りかけた。
「そんな恥ずかしがることでもないよ。私だって最初のころは緊張したもの。そうだ、これが慰めになるかはわからないけど、私の初陣の時の話でもしてあげる。あれは私がアリサちゃんと同じく16のころ……」
いまでこそ戦も政務もそつなくこなすユイナだが、そんな彼女にももちろん未熟な時はあった。
その時のことを話すことで少しでも自分に自信を持ってもらおうというのがユイナの考えであった。
アリサはユイナの話を熱心に聞いた。時折うなずき、時折「はえ~」と声を漏らし、ユイナの声は陛下を起こさぬよう小さなものであったが、彼女の一言一言はアリサの胸に大きく刻まれたのであった。
初陣の話以外にもユイナはたくさんの話をした。その中にはオータスが何度も政務から逃げ出した話など愉快なものもあって、あっという間にアリサの緊張はとけ、徐々に二人はその距離を縮めていった。
楽しく笑いあうそんな二人の姿はまるで仲の良い姉妹のようであった。
その日は月が雲に隠れて見えず、辺りはいつもよりいささか暗く感じられた。
二人は今日も変わらず和やかな雰囲気で寝所の護衛に当たっている。
このままいつものようにゆるやかに時間が過ぎ、朝を迎えることになるのだろうと、そう思われた。
だが、この日はそうはならなかった。
丁度陽が沈み切って最も暗くなる時間帯、突然ユイナの顔から笑みが消えた。
「どうしたんですか」と声を発しようとしたアリサの口をユイナは手で遮る。
そこではじめてアリサもただ事ではない事態が起きているのだと気が付いた。
静寂が辺りを包み込む。いくら真夜中とはいえそれはあまりに静かすぎるほどであった。
「隠れてないで出てきなさい。そこにいるんでしょ?」
暗闇に向かって、ユイナが声を投げかける。
刹那、暗闇から2本の小刀が飛んできた。
その狙いはえらく正確で、このまままっすぐにユイナとアリサのそれぞれの喉元を貫くかに思われた。
だが、その2つの刃が届くことはなかった。
「はぁっ!!!」
ユイナは腰の剣を一瞬で抜き去ると、素早い身のこなしで見事その2つの刃を打ち落としてみせたのだった。
そのあまりに人間離れした美技にアリサは思わず目を丸くする。
もしこの場にユイナがいなければ、アリサは先ほどの投剣で為すすべなく命を落としていただろう。
そんな突然のことにただ驚くことしかできないアリサとは対照的に、ユイナは冷静に二撃目に備えて暗闇を睨み続ける。
すると、やがて暗闇の中から一人の男が姿を現した。
「クク、まさか我が一撃で仕留めそこなうとはな……。なかなか面白き小娘よ」
そう言って笑いながら出てきたのは長身の男であった。全身黒ずくめの服に身を包み、肌は浅黒く日焼けしている。
そしてなにより特徴的なのはその顔で、顔の左半分に痛々しいやけどの跡がありただれ、口は大きく裂けていた。
ユイナは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
男はゆっくりゆっくりと不気味な笑みを浮かべながらユイナに近づいていく。アリサのほうは眼中にないらしい。
ユイナの決断は早かった。
「私がこの男の相手をして時間を稼ぐ。だからアリサちゃん、あなたはすぐに女王陛下を連れてここから脱出して。陛下の部屋に緊急用の脱出口があるはずだから」
男に聞こえぬよう、アリサの耳元で小さく囁く。
オータスから隠し通路が実際に存在していたということはすでに聞いていた。
もっとも、まさかこんな形で利用することになるとは夢にも思わなかったが。
アリサが急いでシアンの部屋の中へと入っていったのを目で確認すると、全神経を男のほうに集中させる。
(おそらく、私ではコイツには勝てないんだろうなぁ……)
身に纏う雰囲気でわかる。あれはまともに相手してはいけない存在だと。
隙などまったく見当たらないし、もし逆にこちらが隙を見せようものなら勝敗は一瞬で決してしまうだろう。
「なんか律儀に私の相手をしてくれるみたいだけれど、追わなくていいの? 狙いはシアン陛下なんでしょう」
あくまで冷静に、心の内で動揺していることを悟らせぬようユイナは問いかけた。
もちろんこの問いは時間稼ぎの一つであるが、しかしながら疑問に思っているのもまた事実であった。
実際、男はアリサを追いかけるような素振りは一切見せていない。いくら隠し通路の存在を知らぬとはいえ、標的はなによりも優先して討つのが暗殺の基本だ。
だが、そうはしなかった。そこになにか意図があるのではないか、ユイナはそう思ったのだ。
しかし、返ってきた答えは至極単純なものであった。
「なに、貴様を殺してから、標的も仕留めればいい。ただそれだけだろう」
その言葉からは圧倒的な自信、そして余裕が感じられた。
怖かった。いますぐに逃げ出したい、そう思った。
自分の足が震えているのに気が付く。
こんな状態では戦えるはずがない。このまま時間稼ぎも出来ず散るだけなのか。
そう心が挫けかけたその時。
ふと脳裏にとある男の顔が浮かんだ。
その男はいつも自然体で笑っていて。どんな苦難を前にしても挫けることはない。
彼の顔を見ていると、元気が湧いてくる。どんな苦難も乗り越えられる、そんな気持ちにさせてくれる不思議な男だ。
(なんか元気出た)
足の震えはすでに止まっていた。
大きく深呼吸をし、剣を構える。
そして、やがて刃と刃はぶつかった。




