第51話「女王の憂鬱」
シアンがモルネスの地を訪れてからひと月近く経ち、ようやくここでの生活に順応し始めた頃、ついに彼女の拠点となる仮の御所が完成した。
もっとも、一から新しく建てるというのは金銭面的に厳しかったので、この御所は元からあった使っていない屋敷を改修したものに過ぎない。
しかしながら、コンドラッド屋敷の客間よりははるかにマシである。王国の正統な後継者を名乗る者がいつまで経っても一伯爵の客分として身を寄せているわけにはいかない。
(まあ、私個人としてはもうちょっとオータスさんと同じ屋根の下で暮らしたかった……かな)
ふとそんなことを考えてしまい、シアンは思わず赤面して新しいベッドに顔をうずめる。
御所での暮らしが始まれば、当然オータスと会う機会は格段に減ってしまう。
もちろん、ほぼ毎日オータスはシアンに会いに来るだろう。しかしながらそこでの関係はあくまで主君と臣下に過ぎない。
主君だから会いに行くのであって、シアンという一人の少女に会いたいから会いに行くのではない。
一緒の屋敷で過ごしていた時期ですら、ほとんど政務の上でしか会話を交わしていないのに、この上物理的距離まで離れては、益々オータスとの繋がりがなくなってしまう。
そんな不安な気持ちで胸がいっぱいになっていく中、脳裏に浮かぶのはかつてオータスとともにバッハの町を巡ったときのこと。あの時のような関係を望むことはもう出来ないのだろうか。
(しょうがないよね……。もうあの時とはお互い立場が違うんだから……)
そう自分に言い聞かせる。無理やり納得する。
いまはそんな私情にとらわれている場合ではないのだ。
「よし!」
声に出して気合を入れなおす。
そして、ベッドから起き上がったその瞬間であった。
ガタッという物音が部屋の中に響いた。
足でなにかを蹴とばしてしまったのだろうか。そう思って足元を覗いてみる。
「ふぇ?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
それほどまでに、目に映り込んできたものは衝撃的であった。
「オータス……さん?」
ベッドの下から這い出てきたその男の名を呼ぶ。
すると、呼ばれた男は気まずそうにシアンのほうを向いてこう呟いた。
「ご、ご機嫌麗しゅう女王陛下。いやはや……まさか本当に繋がっているとは……」
なぜこのような事態になったのか。
時は少々遡る。
発端は何気ないユイナとの会話であった。
「そういえばあの御屋敷、隠し通路はどうしたの?」
それまでお互い黙々と政務に励んでいたのだが、突如ユイナがそんな質問を投げかけてきた。
オータスがなんのこっちゃと首をかしげて見せると、ユイナは言葉をさらに続けた。
「いや、私もさっき思い出したんだけどね。確かあの御屋敷にはいざという時のための隠し通路があって、町のはずれの洞窟に繋がっているんだって。って昔、誰かが言ってた……ような気がする。たぶん」
「えらく曖昧だなぁ……。しかし、そんなものがあるなら便利でいいじゃないか」
「いや、流石にあの御屋敷しばらく誰も使っていなかったし、仮にあったとしてももう使えなくなっているんじゃない?」
「それもそうか……」
そこで会話は途切れ、やがて別の話題へと移っていった。
この時点では所詮は他愛もない雑談の一つに過ぎなかった。
だがその後、仕事を終えてトレグルと久しぶりに二人で酒を飲んでいるときに再びこの話題が上がった。
「ああ、俺もその話は昔聞いたことがありますな。えっと……誰から聞いたんだったかなぁ……」
「なんだお前も曖昧なのか。ならばよぉし!今からちょっと実際に行ってみっか!」
「そいつは良いですな!このトレグル、どこまでもお供致します!なんつって!ガハハハハ!」
「よっ!さすがは我が忠臣!そう言ってくれると思っとったわ!!ガハハハハ!」
酔っぱらっている人というのは何をしでかすのかわからないもので、こうしてこの時完全に泥酔状態だった二人はテンション高めの千鳥足でその洞窟の入口へと向かっていったのであった。
「それで隠し通路を辿って行ったらこの部屋の丁度ベッドの真下に出た……というわけです。はい。トレグルは確か途中で酔いつぶれて……」
すっかり酔いがさめ、自身のしでかしたことの重大さに気が付いたオータスは青ざめた顔で淡々と経緯を説明していった。
だが事情はどうあれ、女王の寝室に忍び込んだのだ。シアンの裁量次第では打ち首も十分にあり得る。これはそれほどまでに深刻な出来事であった。
だが、話を聞いたシアンはまったく怒ることはなく、それどころかオータスの行動のあまりのばかばかしさに笑い出した。
そしてひとしきり笑い終えると、オータスの耳元で優しくこう囁いた。
「今回のことは誰にも言いません。ですが、これからはお酒はほどほどにしてくださいね。あと……普通の扉から来てくだされば私はいつでもオータスさんを歓迎しますよ」
予想外の反応にキョトンとするオータス。一方、言いたいことを言えたそのシアンの顔は先ほどまでとは打って変わってとても晴れやかなものであった。




