第42話「謀略」
コンドラッド家の屋敷の一室。大きな机を6人の男女が囲っている。
6人の面子は、此度の戦で総大将を務めるオータス=コンドラッド伯爵とその副官であるユイナ。さらに、いち早くオータス陣営に味方したユーウェル=スタンドリッジ伯爵とその副官、そしてスタンドリッジ伯爵に次いで陣営に加わったトニーボ=タランコス辺境伯とその副官である。
タランコス辺境伯は、艶のない金色の髪を持つやや痩せた壮年の男だ。口の周りには髪と同じ色の髭を蓄えている。その爵位の通り、カーライム王国最西端に領地を持つ彼は、ファービスの戦いの際も先代コンドラッド伯爵やスタンドリッジ伯爵と轡を並べ西域防衛に大きく貢献した。
そして此度、かねてより親交の深かったスタンドリッジ伯爵より要請を受け、こうしてオータス陣営としての参戦を決意したのだ。
このほかにもこの場にはいないが、此度の戦でオータス陣営につくことを表明した貴族諸侯は決して少なくない。兵は出せないが兵糧や武具の支援だけなら、という者たちもいた。
これもすべてはスタンドリッジ伯爵の助力あってこそであった。
さて、机の上にはモルネスとその周辺の地図が置かれおり、赤と青の二種類の色をした駒が所狭しと並べられている。
赤の駒は敵軍、すなわちエイヴァンス軍のことを示しており、青の駒は味方、すなわちコンドラッド軍およびそれに味方する周辺諸侯の軍を示す。
いくらかの周辺貴族諸侯を味方につけたとはいえ、依然として赤の面積のほうが多いことは一目瞭然である。しかしながら彼らの中に誰一人として勝ちを諦めている者などいなかった。
なぜならば、たった今エイヴァンス軍を破る策が出来たからである。
「以上が私の考えた策です。各々いかがでしょうか」
そう言って策を説明し終わったオータスは周りを見渡す。
スタンドリッジ伯爵もタランコス辺境伯も特に不満はないようで、むしろ満足げに大きくうなずいた。
実際、これまで何度も各々意見を出し合い様々な策を考えてきたが、彼の策が現状考えられる中で最善のもののように思えた。
と、その時。一人の少女が風のような速さで部屋に入ってきた。
彼女の名はミーナ。コンドラッド家随一の猛将・トレグルの娘でモルネス一の弓の名手である。今回、彼女はその身軽さを活かして偵察という任を与えられていた。
「報告します。エイヴァンス軍は現在ポピット平原をゆっくり行軍中。この調子でいけば3日後にはモルネス領に入るかと」
ミーナは淡々と見たことをありのまま報告した。
この報告に皆おおむね予想通りといった表情でうなずき返す。むしろ予想より少し遅いくらいだ。敵がもし行軍を急いでいればもうとっくにモルネス領には到着していただろう。
そう考えれば、彼らにとってこのわずかな遅れは幸運ともいえるのだが、しかし、できればもう少し時間がほしいというのが皆の素直な心情であった。
そんな中、タランコス辺境伯が皆の気持ちを代弁するがのごとく口を開く。
「3日後ですか……。いささか厳しいですな。オータス卿の策を必ずや成功させるためにももう少し余裕がほしいところです」
辺境伯はそう言って困ったように頭を掻いた。
なんとか敵軍の足を鈍らせることはできないか。オータスはしばし思考をめぐらせ、そしてあることを考えつく。
だが、それを言うのは少し躊躇われた。なぜならばそれは卑怯と言われても仕方のない、義戦とは程遠いものであったからだ。
しかし、負けては意味がない。オータスは意を決して考えを述べた。
「敵の行軍速度から見るに、おそらく彼らは我々の動きをまだ察知していないのでしょう。ならば、こちらが急いで宣戦布告をする必要もない。しばらくの間、彼らには騙されていていただく。そうすればいくらかの時は稼げるはずです」
その言葉の意図を察知したのかスタンドリッジ伯爵とタランコス辺境伯は思わず苦笑する。
そして辺境伯は言った。
「流石はシューベルとユーウェルが見込んだ男だ。まったく末恐ろしい」
エイヴァンス軍のもとにコンドラッド家からの使者が来たのはもうすでにモルネスを目前に控えた頃であった。
使者の持っていた手紙を要約すると以下のようになる。
『シアン=ハンセルン=カーライムが反逆者にして大罪人ということ、重々承知した。必ずや貴殿に身柄を引き渡すことを約束する。しかしながら、私としては普段見ることない貴殿の猛々しい大軍を目の当たりにして領民たちの間にいらぬ動揺が広がるのではないか、ということだけがいささか心配である。よって身柄を引き渡す場所は中心より離れたシャッカポル平原こそ望ましいと思うのだがいかがだろうか』
シャッカポル平原とはモルネスの東方にある場所の名で、エイヴァンス軍の現在地からそれほど離れてはない。
手紙に書いてある通り、モルネスの中央から離れた場所にあるため、町や村もほとんどないが、それゆえに大規模な陣を構築しやすい。
ここならば姫殿下の身柄の引き渡しを行うのに問題はないだろう。
「うむ、確かにモルネスの田舎者には我が大軍の悠然と進む姿は刺激が強いかもしれぬな!よし!ではこれより我らはシャッカポル平原へと向かうぞ!」
こうしてブッサーナはオータスの要望をあっさりと了承。シャッカポル平原へ向けゆっくり行軍を開始した。
だが、残念ながらオータスたちはシャッカポル平原になど向かってはいない。
時間を稼ぐための真っ赤な嘘であるからだ。
シャッカポル平原でいくら待っても誰も来ない。ただ時だけがいたずらに過ぎていく。そして、彼らが違和感に気が付いた時にはもうすでにオータスたちの準備は完成しているのだ。
案の定、ブッサーナはシャッカポル平原でひたすら来るはずのない者たちを待ち続けていた。そして己が騙されていたことに気が付いた時、顔を真っ赤にして激怒したのは言うまでもない。




