第38話「炎上」
猛将・マルコ=ヘイドリスは王都での激闘の末、果てた。
だが、彼の奮戦の甲斐あり、シアン王女は無事王都を脱出。当初の予定通り、ヘイドリス男爵の領地へと向かった。
その地の名をトリアドールという。
シアンたちは追手に見つからぬよう、険しい山道を進んだ。途中山賊や魔物に襲われることもあったが、ヘイドリスが兵を護衛につけてくれたおかげでシアンは無傷で済んだ。
そして、いよいよトリアドール領内に入ろうとしたその時、彼女らはある異変に気が付いた。
ヘイドリス家の屋敷がある方角から黒い煙が昇っているのである。
一抹の不安を覚えつつ、一行は領内へと入る。そしてその煙のもとにたどり着いた。
そこで彼女らを待ち受けていたのはあまりにも残酷な光景。それはまさに地獄と呼ぶにふさわしいものであった。
「酷い……」
シアンはその光景を見て思わずそう呟いた。
そして込み上げてくる吐き気を抑えるように口に手を当てる。
彼女の目に飛び込んだもの。それはかつて町であったもの。
赤々と燃える民家。地に転がる数多の骸。骸はみな肌が焼けただれ、元の顔が分からぬほどに変形していた。一目見ただけでは男か女かも判別できない。
シアンは急ぎ生存者を捜そうとしたが、すぐに歩みを止めた。
なぜならば、煙の奥から馬の蹄の音が聞こえたからである。それも1頭や2頭ではない。はじめは町にいた馬たちが炎に怯えて暴れているのかと思ったがどうやらそうではないらしい。もしそうならば馬蹄の音の他にけたたましい嘶きなんかも聞こえてくるはずだろう。
(まさか……!)
シアンはこのとき悟った。この大規模な火災は人の手によって起こされたもであるということ。そして、その原因が自分にあるということを。
おそらく、王女逃亡にヘイドリス男爵が加担していることを知った宮廷が、この地にシアンが逃げてくると踏んで兵を差し向けてきたのだろう。
そして、すべてを焼き尽くしたのだ。彼女の助けとなるものが何一つ残らぬように。
そうと分かれば長居は無用であった。シアンはすぐさま踵を返す。
出来ることならばくまなく生存者を捜してあげたかった。もしかしたらあの炎の奥には助けを求める者たちがいたかもしれない。
だが、そんなことをしていれば当然敵兵に見つかってしまうだろう。そうなってしまっては元も子もない。
後ろ髪を引かれる思いでシアンたちは炎上するこの地を後にした。
翌日、シアンが目を覚ましたのはトリアドールの山奥のとある里であった。
この里はなかなか人目につかないところにあり、隠れ場所としては丁度良いということで、護衛の兵士のうちの一人が案内してくれたのだ。
なんでも彼はこの里の出身なのだという。
だが、いくら見つかりにくいとは言っても限度がある。長居をすれば、いつかは敵に発見されてしまうことだろう。
トリアドールの大半を敵に占拠され、ヘイドリス家を頼ることはもはや不可能。こうなれば、シアンたちは新たに支援者を探すほかない。
だが、果たして宮廷がシアンをイーバン王殺害の犯人だと主張している今、彼女の助けになりたいと願う者がいかほどいるだろうか。
下手すれば逆賊扱いされ、すべてを失ってしまう可能性さえある。現に宮廷はこうしてトリアドールに侵攻してきた。
また、シアンの身柄を宮廷に引き渡せば、かなりの恩賞がもらえるはずだ。それを企んで味方を申し出てくるような不埒な輩も少なからずいるだろう。
つまりは支援者は、信用に足る者でなければ意味がないのだ。
シアンは頭を悩ませる。
国王からの信頼厚かったはずの六将の中にも兄の計画に加担した者がいた。もはや誰が信ずるに足る者なのか皆目見当もつかない。
だが、そんなとき、ある物が彼女の視界に入った。
それは王宮を出る時、とっさに荷物の中に入れた彼女にとってとても大切なものであった。
「これは……!そうかあの人ならきっと!」
彼女はそれを手に取ると何かを決意したように立ち上がった。
そしてすぐに出発の準備を開始する。
目指す場所ははるか西の地・モルネス。
彼女の手に握られているそれはかつて、バッハの町でオータスに買ってもらったクマのぬいぐるみであった。




