第26話「吐血」
一国の王女であるシアンと辺境の伯爵家に仕える騎士の家に身を寄せている、すなわちただの居候にすぎないオータス。
身分の差から考えて本来ならば出会うことすら叶わなかったであろうこの二人はいま肩を並べて町中を歩いている。
(はぁ、どうしたものか……)
オータスの心は憂鬱であった。
一国の姫様を連れまわしているのだ。もし、そのことがバレたら当然ただ事ではすまないだろう。
とらえ方によっては姫殿下をオータスが誘拐したともとれる。
もしそう解釈されてしまえば、オータスの首と胴体がおさらばすることになってしまうことは言うまでもない。
「姫殿下、やはり戻りましょう。今ならまだ間に合います」
「嫌です!あと、いまの私は姫殿下ではありません!ごく普通の町娘・シアンです!名前で呼んでください!」
シアンはそう言うと、オータスの服の袖を強引に引っ張った。
どうやら行きたい店を見つけたらしい。
(ごく普通の町娘……か)
オータスはようやくシアンの意図を理解した。
おそらく彼女は普通の女の子に強い憧れを持っている。
普通の女の子がお姫様に憧れるように、お姫様もまた普通の女の子に憧れたのだ。
オータスはそんなシアンの気持ちを考えるとなんだか彼女の言うことを聞いてもいいような気がしてきた。
「痛い痛い!わかったから引っ張らないでくださいよ。えっと、シアン」
オータスは少し躊躇しつつも注文通り名前で呼んでみた。
すると、それに気づいたシアンは満面の笑みを浮かべた。
「わぁ、新鮮!あとその敬語もやめてくれると嬉しいです」
「はいはい、わかったよシアン……」
オータスはもはや抵抗することをあきらめ、重ねてのシアンの注文を受け入れた。
こうしてオータスとシアンの2人はまるで仲の良い友達、あるいはカップルのように町の喧騒の中へと消えていった。
オータスが姫殿下とお忍びデートをしている中、モルネスではユイナが一人黙々と剣を振っていた。
「998、999、1000、と……!」
ちょうど始めてから1000回振ったところでユイナは剣を止め、休憩に入った。
ハンカチで汗を拭きながら近くの石に腰を掛ける。
すると、そんな彼女に一人の男が水を差しだした。
「お疲れ様。剣の稽古とはまた精が出るのぅ」
「は、伯爵様……!」
水を差しだした男はなんとコンドラッド伯爵その人であった。
疲労で一瞬反応が遅れたユイナは慌てて立ち上がり、姿勢を正そうとしたが、それを伯爵は手で止める。
そして、おもむろにユイナに尋ねた。
「しかし、最近いつも剣振るってるけど、もしかしてあれかい?彼がいなくなって、その寂しさを紛らすためかね?」
「ゲホッゲホッ!ちょっとなにいって……ゲホッ!」
予想外の質問にユイナは動揺し、むせてしまった。
彼、とは当然オータスのことである。
「そ、そんなわけないじゃないですか!なに言ってるんですかもう!」
顔を真っ赤にしながらも慌てて否定するユイナ。
そのあまりにわかりやすい反応にシューベルは思わずほほ笑んだ。
「そうかそうか。わしの勘違いか。すまんすまん」
二人はその後話題を変え、しばらく雑談を続けた。
当然その中にはヤンド城砦の話も含まれていた。
そして、そんな二人の会話もそろそろ終わりに差し掛かろうかといった頃、それは起こった。
「すっかり長話になってしまったな。じゃあわしはこのへん……で……うぐっ、ガハッ!」
シューベルは突然苦しんだかと思うと、次の瞬間には口から血を吐き出したのである。
「え、血……?伯爵様!どうされたのです!伯爵様!」
取り乱すユイナ。
だが、当の本人はいたって冷静であった。
「そう騒ぐな。数日前から少し体調が悪くての。なぁに、心配はいらんさ」
「心配いらない……ってでも……」
「大丈夫。わしゃそう簡単にくたばらん。わしの身体の頑丈さはお前さんもよく知っているじゃろう?」
シューベルはそう言ってニッっと笑って見せる。
だが、彼自身はすでにわかっていた。
もう自分の身が長くはもたないことを。
そしてユイナもまた、この笑顔が自分を安心させるための偽りの笑顔であることに薄々気づいていた。




