第25話「バッハの町」
スタンドリッジ伯爵家が治めるムーデントは、山岳と農村がほとんどのモルサスとは対照的にいくつかの栄えた都市を持つ。
そして、スタンドリッジ家の屋敷があるバッハの町はその最たるものであり、多くの人たちが行き交い賑わっていた。
「うわ、人多っ!モルサスの田舎町とは違うなやっぱ」
オータスはそのあまりの人ごみに思わずそう呟いてしまった。
だがその呟きも町の喧騒によりかき消される。
もとより人が集まるこの町は騒がしいのだが、遠征軍がヤンド城砦を落としたという情報が今しがた伝わったため、その騒がしさはいつも以上であった。
まちゆく人はみな歓喜に沸き、昼間から酒を飲み陽気に踊っている者などもいる。
その町の様子はさながら祭りの日のようであるが、オータスはすでにこの情報は伯爵から聞いていたのでいたって冷静であった。
(人ごみの中を歩くのは嫌だが、仕方あるまい。俺にはどうしても行かねばならぬ店があるのだ!)
オータスが目指す店。それはバッハの町のはずれにある小さな酒場だ。
だがそこはただの酒場ではない。
店員はみな若く美しい女ばかり。それもかなり露出の多い服を着ていて、客一人一人についてくれる。
そして客の話し相手になってくれるのはもちろんのこと、お金をより多く積めばさらにそれ以上のサービスをしてくれるという男ならば誰もが行きたい素晴らしいお店なのだ。
それだけ聞くとかなり危ないお店のように聞こえるがこれでもスタンドリッジ家公認のちゃんとした酒場である。
また今回、オータスにこの店の存在を教えたのもスタンドリッジ伯爵であり、わざわざ代金までくれた。
そのことからどれだけ伯爵がオータスとその店のことを大切に思っているのかがうかがい知ることができる。
(でもその店開くの夜からなんだよな……)
空を見上げると、太陽はまだ天高く昇っている。
そこで、オータスはテキトーに町を歩いて時間をつぶすことにした。
ムーデントに来てからいままでほとんど屋敷の外には出ていなかったので、少し町を散策したい気持ちもあった。
「ほんじゃ行きますかっと……ん?」
出発しようと大きく伸びをしたその時。
ちょんちょん、と軽く袖を引っ張られた気がした。
後ろを振り返る。
するとそこにはフードを目深にかぶった一人の少女の姿があった。
「えっと……どちら様で?」
「私です」
「いや、私って言われてもな」
「……シアンです」
少女は小声でそう呟くとオータスにだけ顔が見えるように少しだけフードを上げた。
「え?ええええ!ひ、姫殿下!?」
オータスは驚きのあまり思わず大声で叫んでしまった。
シアンは慌ててしーっと人差し指を立てる。
彼女の存在が周りにばれてしまえば、町中がパニックになることが目に見えているからだ。
だが、幸いなことにオータスの声に気づくものはいなかった。
「す、すいません。しかし、護衛の兵とかお付きの女官さんは?」
「いません。私一人です」
オータスは困惑した。
一国の皇女であるシアンが誰も供をつけずに町を歩くことなど許されるはずがない。
おそらくは彼女の独断だろう。
「一人で町に出歩くおつもりですか?さすがにそれは……」
「わかっています」
シアンはそう言うと姿勢を正す。そしてオータスの目をまっすぐに見つめた。
彼女の意図がイマイチわからず首をかしげるオータス。
そんな彼に対し、シアンはゆっくりとその小さな口を開いた。
「オータスさん、お願いがあります!町を歩くのなら、今日一日どうか私も連れていってください!」
深々と頭を下げるシアン。
その予想外の行動にオータスはさらに困惑してしまった。




