第16話「英雄の子」
カーライム東方の地・ルッサム。
広大な貿易港がいくつも点在するこの地は様々な国の商人たちで大いに賑わっている。
だが、初めからこうだったわけではない。
今より約60年ほど前まで、ルッサムは小さな漁村がいくつかあるだけの寂れた土地だった。
頻繁に村々を襲う海賊たちに、高額な税を要求する役人。
村人たちは圧倒的な脅威を前にただ怯えるしかなかった。
だが、そんな絶望的な状況はある男の登場により一変した。
その男の名はマーケイン。
彼はとある村の村長だったが、ルッサム領主の圧政に耐え切れず村人たちとともに蜂起したのだ。
マーケインは天才であった。
奇想天外な策で鎮圧部隊を次々撃破していったのである。
はじめは小規模だったその反乱はやがて周りの村々を巻き込みその規模を大きくしていった。
そして戦を重ね、ついに悪しきその領主を討ち果たすことに成功したのである。
これを聞いた当時の国王は反乱軍に義ありと判断。マーケインに『エイヴァンス』という苗字と『公爵』の位を与え、ルッサムの統治を命じた。
新たな領主となったマーケインは海賊を討伐、そして国王から許可を得て他国との貿易をはじめた。
こうしてルッサムは順調に発展していき、現在に至る。
だが、マーケインはすでにこの世にいない。その子供が跡を継いでいた。
ブッサーナ=エイヴァンス。
それがこの地の今の領主である。
とある日の夜。
エイヴァンス家の寝室に若い女の悲鳴が響き渡った。
「きゃっ!いや、やめて……こないで……!」
声の主はまだ歳20にも満たないであろう美しい少女だった。
着ていた服は破られ、その美しい肌があらわになっている。
頬を羞恥で赤く染め、目には大量の涙が浮かんでいた。
そしてそれに迫る一人の男。
でっぷりと太ったその身体はあまりに醜く、顔もお世辞にも良いとは言えない。
「ふひひひひ……恐がらずとも良い。このブッサーナ=エイヴァンスが貴様を優しく愛でてやろうぞ」
男はそう言うと、娘の手を掴む。
娘は必死にそれを振りほどこうとするが、彼女の力はあまりに非力で簡単に押し倒されてしまった。
「いや……いやぁぁぁぁぁ!誰か……誰か!」
娘は必死に叫び助けを呼ぶ。
だがそこはエイヴァンス家の屋敷。
当然いるのはその配下の者だけ。
彼女のことを助けようとする者などいるはずがない。
「ええい黙れ!たかが町娘が余の相手を出来るのだ!光栄なことだろう!」
乱暴にそう言い、男が娘の胸に触れようとしたその時。
寝室の扉は勢いよく開かれた。
「ブッサーナ様!大変であります!」
扉を開けたのはエイヴァンス家に仕える兵の一人だった。
彼の額には大量の汗が浮かび、さらに息を切らしていることから火急の用件であることがうかがえる。
「ちっ……せっかくいいところだったというに」
ブッサーナはそう呟くと兵のほうを睨みつける。
兵士は一瞬たじろいだが、報告を続けた。
「先ほど王宮より使者が参り、これからのジェルメンテとの戦について話し合うためすぐに王宮へはせ参じろとのこと」
報告を聞いたブッサーナはしばらく娘と兵士を交互に見た後、答えた。
「王宮からの命とあらばしかたあるまい。すぐに支度する」
ブッサーナはそう言うと、落ちていた己の服を拾い羽織る。
そして部屋を出ようとした時、思い出したように兵に言った。
「ああ、そこの女は逃げないように牢にでもぶち込んでおけ」
「ハッ」
やがてブッサーナは数人の供を従え、ルッサムを発った。
ブッサーナ=エイヴァンス。彼が気に入った町娘をさらったのはなにもこの日だけではない。
有能な将の子もまた有能とは限らない。彼はそれの代名詞のような男であった。




