ルイの涙―サハーとの対話
トウアでは今、シベリカ内紛問題が一番旬な話題となっている。
その時流にのって、アントン・ダラーは度々アリア国に取材に行き記事にし、ライターからジャーナリストへと変貌を遂げ、活躍していた。ルイは、シベリカ支配からの脱却を目指すアリア国の現状を世界へ発信してもらうことを条件に、アントンを裏で支援した。
そんなルイは今、トウア国立中央病院へ天敵アサト・サハーのお見舞に来ていた。
「まさか、あなたが訪ねてくれるとはね……あ、そこのイスにどうぞ」
サハーはルイの姿を見て苦笑した。頭に包帯を巻いていたものの元気そうで、ベッドに座って新聞を読んでいた。
「また愛国市民グループの暴行を受けて、入院したと聞いたので……」
ルイは勧められたイスに腰掛けた。
「いや、たいした傷じゃないが、病院の方が安全だからね。もう怖くてトウアにはいられないね」
サハーは新聞を畳んでベッドの脇に置くと、ルイから視線を外した。
「真面目な話、私はゴルディアに移住しようと思います」
「ええ、サハーさんのブログにもそう書いてありましたね。それで、お会いできるうちに挨拶をと思って、今日お伺いしました」
ここで言葉を切った後、ルイは、皮肉でも何でもなくこう訊いていた。
「ところでなぜゴルディアに? あそこは永世中立国ですが、徴兵制もあるし、軍隊の強い国です。そういう国はお嫌いだったのでは?」
「ま、あそこは10年以上住めば永住権がもらえるし、永住権をとれば、外国人にも自国民と同等の権利を与えてくれる国だからね……」
サハーはそう答えたが、ルイは納得いかなかった。
「でも貧乏な外国人には手が届きません。5000万ゴールド資産を持ち、かつ毎年100万ゴールド以上納税したうえで、10年以上経てば永住権がもらえるという条件つきの国です。永住権をとっていない外国人への監視や規制が厳しく、決して外国人に対して優しい国ではありません。
むしろトウア国のほうが優しいのではないでしょうか。貧乏人であろうと違法行為をせずに10年住み続けた外国人には永住権を与えてます。その上、収入のなくなった外国人に人道的理由から生活保護まで与えてます。トウア国は決して余裕があるわけではなく、社会保障費が膨れ上がり、破綻寸前だというのにです。
ま、外国人に優しいというよりも、トウアは自国民を優先しないヘンな国だとアリア人の私には思えますが……」
「よく知っているね」
「国のシステムに関心があるのです。私はアリア人ですから……やっぱりアリアを何とかしたいんです。今、アリアとシベリカとの間で起きていることはご存知ですよね」
「結局、戦うことでしか、自分たちの権利は得られないのかね……」
「……」
ルイは同胞アリア人の権利を得るために、シベリカ国に牛耳られているアリア人らの革命に手を貸し、率先して支援した。トウア国とも利害が一致し、トウア国の協力を取り付けた。セイヤがその仲介に動いてくれた。
まずは、シベリカ国寄りだったアリア国大統領を引きずり下ろすため、クーデターを起こさせた。結果、今現在アリア国は不安定となり、シベリカ軍も介入し、内紛が始まっている。これからも多くの血が流れるかもしれない。
以前、サギーはルイを暗殺しようとしたが、もし、ルイ・アイーダの暗殺に成功していれば、アリア国がシベリカ国にたて突くことはなかっただろう。アリア国が動かなければ、マハート氏率いる地方独立運動も動かなかっただろう。さすれば、シベリカ軍は心おきなくトウア国へ侵攻し、トウア国はサギーの望み通り、つぶれたかもしれない。
つまり、ルイはサギーの望みを打ち砕いたのだ。
……サギー、私はあなたを追い詰めてやった……
ルイは、今、意識不明で入院しているというサギーのことを思った。
……私は、お祖父様とお父様の無念を晴らし、アリア国をシベリカから取り戻したかった……
……後悔はしていない。これしか道がなかった。やるしかなかった……
そう、どう転ぼうと、誰かの血は流れることになっていた。その血がトウア人なのか、シベリカ人なのか、アリア人なのか、の違いである。
だが、戦争に加担した者は、平和主義者から見れば『極悪人』なのだろう。そう『戦犯』だ。
……ええ、私は戦犯の孫娘ではなく、本物の戦犯になった……
ルイが物思いにふけっていると、サハーが独り言のようにつぶやいていた。
「トウアなら……理想の国になれると思ったが、現実はそうはならなかった……」
それを聞き、ルイは思わず問うた。
「サハーさんにとって理想の国とは?」
「国家が国民の自由を奪ったりせず、社会保障が充実し、外国人含め皆が安心して平和に暮らせる国……とでも言っておこうか。そう単純ではないがな。たぶん、あなたは、現実はそう甘くない、きれいごとだとバカにするだろうね」
サハーは覚めた目をルイに向けた。
「……結局、何を優先したいか、ではないでしょうか」
ルイはサハーを見返した。
「自由を掲げたユーア国をご存知ですよね。銃の保持も自由で、警察権力が弱い国。外国人に対してもこれといった制限はありません。だけど、国に頼らず自分自身を守らないといけない自己責任の国です。国家は国民を支配しないかわりに、あまり守ろうともしない……ですから低福祉でもあります。税金も安いので、海外から移住してくる資産家も多いですよね。そういう人は護衛を雇い、セキュリティのしっかりした家に住み、自衛しているので治安が悪いことも気にしてません」
ルイが何を言いたいのか、サハーも分かっていた。何かに力を入れれば、その分、何かがおざなりになる。何かを選べば、何かを捨てることになる。全てを選ぶことはできない。そして、中庸であることは難しい。
しばし黙っていたが、サハーは口を開いた。
「反対に国家権力が強い国もある。私の祖父はノースリア国の出身だ。そういう国は結局、国民を監視し、やがて国益のために国民を利用するようになり、国民の人権を踏みにじり、弾圧するようになる。私の祖父は命からがら亡命した。私の父がトウアに帰化し、私はトウア国民として生きてきたが、ルーツはノースリア国だ。国家権力の恐ろしさは祖父と父に教え込まれてきた」
「そうでしたか……」
ルイはポツリと相槌を打った。
「現に今、シベリカ国は、地方独立運動に参加している国民に向けて、軍を差し向け、自国民へ銃口を突き付けている。警察は国民を取り締まり、監視体制を敷き始めた。政府にたて突く人間を弾圧している……軍や警察を操る国家は国民をどうにでもできる強い権力を持っている。国を信用しすぎると必ず痛い目にあう……」
「……」
「これからトウアはどういう国になっていくんだろうね」
そう言うと、サハーは窓の外の遠くの空を見つめた。もう陽が傾きつつあった。
それからルイはサハーに別れの挨拶し、部屋をあとにした。その時、なぜか動物園に行きたくなった。そう、リサとセイヤとジャンとで遊びに行ったトウア市立中央動物園だ。あと2時間で閉園なので急いで向かった。
……あの時が一番、心穏やかでいられて幸せだった……
サハーを見舞っていた時にも部屋の外ではルイの護衛2名が待機していた。今もルイの周りを護衛が張り付いている。ほんとうは一人で気ままに動物園を見たかったが、警戒を解くわけにはいかない。動物園に到着すると、ルイは護衛を引き連れたまま、小走りに動物園を見てまわった。
そして――ゴリラの檻の前に来た。
「カワイイ……」
しばらくの間、ルイはゴリラの檻の前で佇み――目深に帽子を被り直し、護衛に気づかれないように少し泣いた。
――が、その涙は冬の冷たい空風ですぐに乾いてしまった。