それから
トウア国政府は国会襲撃テロの関与について、シベリカ国に問い質した。が、シベリカ国は案の定、しらばっくれていた。
テロ実行犯で生き残ったのは、サギー、リサの兄を殺した男、リサに撃たれた少年、そして逃走した少女だけだった。男は黙秘を続け、サギーと少年は入院中で取り調べができる状態ではない。トウア国政府はこれといった証拠もなく、シベリカ国に追及できずにいた。
ただ、トウア国政府も裏ではシベリカ国の内紛工作をしているので、シベリカ国をこれ以上追い込まないほうがいいだろうという判断もあった。
仮に、国会襲撃事件でのシベリカ国の関与の証拠を見つけたとしても、トウア国政府はすぐには表ざたにしないだろう。トウア国がシベリカ国内紛工作をしたことがシベリカ中央政府にばれた時に、裏取引する切り札として使うつもりだからだ。
実のところトウア国としては、シベリカ国を本格的な内戦状態にすることまでは望んでいなかった。
シベリカが分裂してしまえば、世界が不安定になる。シベリカ国を生かさず殺さずの状態に持っていくのが一番国益にかないそうだ。そこのところはクジョウ首相やその周りの者たちが上手く調節するのかもしれない。
そう――トウア国も今、手にしている豊かさ・富を守るため、シベリカに飲み込まれないように生き残りをかけて、えげつない工作をした。シベリカ国も豊かさ・富を求めて、工作を仕掛けた――シベリカもトウアも同じ穴のムジナだ。
だが、そういったことをせず、理想を貫き、善であろうとしたジハーナは、外国に何もかも奪われて消滅した。
現実とはそういうものなのかもしれない。
セイヤはシャワーを浴びながら、ぼんやりと考え込んでいた。
……トウア国は、当初はジハーナのように外国や外国人に対し、警戒感を抱かず信用し、それらを取り締まるための社会システムもなおざりのままだった。だから隙をつかれ、こういう事態を招いたのだ。
他国を中途半端に信じたトウア国の隙が、結局は多くの犠牲者を生んだ。
他国を完全に信じ切ったジハーナの甘さは、国の消滅を招いた。
他国に警戒心を持っていた旧アリア国でさえ、シベリカという大国の策略にはまり、屈する結果となった。
国を護るというのは、それだけ厳しく、大変なことなのかもしれない。
国を失った民は――強者は外国でもそれなりに生活できるが、弱者は民族差別に苦しめられ、悲惨な生活を強いられることも多い。シベリカ内紛工作に加担したことを正当化するつもりはないが、この暮らしを守るために自衛の権利を行使したまでだ――
そう思いながら、セイヤは体を洗い続けた。見えない血が体にまとわりついている気がして、何度も何度も体をこすった。そのうち皮膚はすりむけ、血がにじんできた。
そのヒリヒリした痛みが、セイヤの心をちょっとだけ軽くした。
・・・・・・・・・・・
それから――トウア国内は治安悪化が収まらず、ついに超法規的措置として、トウア国防軍が国内の治安を守るということで動き始めた。一般人はできるだけ外出を控えるようにと戒厳令が敷かれた。
まず、シベリカ人たちの暴動がトウア国防軍によって抑え込まれた。また、あちこちで起きていた犯罪に対し、軍が監視体制を敷き、小銃を持った兵士たちが街の巡回をするようになってからは犯罪件数が劇的に減った。
軍が国内の治安に関わることについて、トウア世論は歓迎ムード一色だった。これに反対する者は皆無といって良かった。クジョウ首相の支持率はグンと伸び、80パーセントを越える勢いとなった。
そして、いつの間にか――ミスズ先生に倣うように、サハー氏もテレビ界から消えた。ルイもフェードアウトしていた。
軍が国内の治安を守る手助けをしてくれるようになってから、激務続きだった治安部隊はようやく一息つけるようになった。
その中でも治安局長直属の特命チームは、ルッカーより「規則正しい生活に戻り、体調を常に整えておき、有事に備えよ」とのお達しがあり、過重労働から解放された。訓練も再開される運びとなった。
それでも、ほかの部署は過重労働が問題になり、退職する隊員も増加し、ますます人員不足になり、残った隊員に負担が増す、という悪循環に陥っていた。
「あ~、仕事が終わらねえ~」
特命チーム専用室では、昼休みになったというのに仕事が遅れているジャンが報告書を書きながら愚痴っていた。ルッカー治安局長からは「小学生が書くような内容だな」と言われ、書き直しをさせられていた。
「それより先輩、腕の怪我、もう大丈夫なんですか?」
リサがお茶を運びながら、声をかけた。今日のお昼もお弁当だ。
「おう、バッチリよ。あの時はオレひとり戦線離脱して悪かったな。国会襲撃事件、大変だったろ」
「ええ、まあ」
「そっちの軍出向組の皆もお疲れさん」
あっけらかんとしたジャンの言葉に軍出向組の4人は顔を上げた。彼らもまだ報告書を書いていた。
セイヤとリサだけが弁当を広げ、昼食タイムに入る。
「ああ、そうそう『メガネ』、仕事が落ち着いたら、約束のリサ漫画、見せろよな」
またジャンの声。あれじゃあ報告書はいつまでたっても仕上がらないだろう……セイヤは生ぬるい視線をジャンに投げかけた
ちなみにジャンは『メガネ』のことを、本人を目の前にしても『メガネ』と呼んでいるが、彼の名前はフィオ・ロボーだ。
「あっ、実は今日、持ってきているんです。まだノートに下書きの段階ですが、読めるようにしてあります」
フィオは机の引き出しから、ゴソゴソとノートを取り出し、目をキラキラ輝かせて、ジャンのほうへ差し向けた。
「うお~、そうだったのか~、じゃあ仕事終わったら、ちょっとつきあえよ。奢るぜ」
治安が最悪だった一時は、居酒屋含め、あらゆるお店が臨時閉店していたけど、ここ最近は再開する店が増えてきた。
「はい、ありがとうございます。じゃ、定時に終われるようにがんばりますっ」
そう言うと、フィオは視線を下に落とし、書類仕事に戻った。
「あ……漫画、オレも見てもいいっていう話でしたよね?」
弁当の卵焼きをつまみながらセイヤは遠慮気に確認する。
「ええ、もちろんです。忌憚なく意見をお聞かせください」
再び顔を上げたフィオはメガネの位置を直しながら、大きく頷く。
「あの~ジャン先輩とセイヤに見せるってことは、当然、私もいいですよね。本人なんだから」
リサも話に乗ってきた。何が描かれているのか、やっぱりすごく興味がある。フィオが言うには、漫画の中の『ヒロイン・リサ』は天才スナイパーで世界を股にかけて活躍する女スパイという設定らしい。
そのフィオはしばしフリーズした後、感動に打ち震えていた。
「…………ああ、リサさんに見てもらえるなんて光栄です」
「おい、オレが奢ってやるのは『メガネ』だけだからな。お前ら二人には奢らないからな」
ジャンがセイヤとリサに釘を刺した。
「分かってますって」
やれやれとばかりにセイヤは苦笑し、弁当の箸を進める。炊き込みご飯が旨かった。一時はレトルト食品しか手に入らなかったが、物流が回復し、値上がりはしたものの、以前と同じように豊富な種類の食料が手に入るようになっていた。
「ま、そっちの皆さんも、そのうち酒でも飲もうぜ」
そんな何気ないジャンの誘いに『ゴリラその1』ことゴンザレ・トマーと、『ゴリラその2』ことアザーラ・キノーは顔を見合わせ、軽く頷いた。
ただ『クール』ことグレド・リネーは相変わらず無視だった。
しかし、特命チーム専用室はかつてのような冷やかな空気はもうなかった。
そう――彼らは過酷な任務を一緒にやり通した仲間である。
・・・・・・・・・・・・
その後、居酒屋で『リサ漫画』がジャン、セイヤ、リサの間でまわし読みされ、大いに涌いた。『リサ漫画』はなかなか面白かった。セイヤが気にしていた『あんなことやこんなこと』もなく健全な漫画で、ヒロイン・リサは勇敢な女戦士として描かれていた。リサが照れてしまうほどカッコいい女だ。
「漫画家になればよかったのに。何で軍に? ま、今は治安部隊特命チームだけどさ」
ジャンは酒を注ぎながらフィオに訊いていた。
するとフィオからは「軍にも憧れていたし、戦う主人公を描くために軍に入ってみた」という答えが返ってきた。
「それに……仕事にすると好きに描けなくなるから、趣味にしているんです」
「へえ、おもしろい理由で軍に入るヤツがいるんだな。ま、今は治安部隊特命チームだけど」
「軍は一番競争率が低かったし、どうせ戦争なんてないって高を括っていて……ほら、軍事演習だって、ちょっと前までは『外国を挑発する反平和的行為だ』と世間が反対していて、表だってやらないようにしていたから、仕事がなさそうな軍はラクで暇そうに見えたんです……でも……」
ここでフィオはいったん口をつぐみ、その後、妙なことを口走った。
「今は漫画を描くことで心が救われているんです。あの辛い経験はいずれ創作の糧になるはずだと自分に言い聞かせてます」
そんなフィオの言葉を、セイヤは横で聞きながら……きっと軍ではいろいろあったのだろう……その『辛い経験』とは、訓練の大変さとか人間関係の厳しさだと、その時はそう思っていた。
飲み会は和気あいあいと続き、フィオとはすっかり親しくなった。鶏のから揚げがジューシーでことのほか旨く、何皿も注文した。
フィオがトイレに席を立った。するとジャンは何気に「ルイさんは最近どうしているか」とリサに訊いてきた。「この頃、ちょっと交流は途絶えているけど元気そうにしている」と答えると、ジャンは「そうか」と短く頷いただけで、それ以上はルイのことに触れなかった。
一瞬、会話が途切れ、座が静まり返るものの、ジャンはすぐに別の話題を振ってきた。そのうち、フィオが戻り、再び『リサ漫画』のことで盛り上がった。
外はまだまだ厳しい冬のさなか――春は遠かった。