決定的な溝
前回までのお話。
赤ん坊を何とか救ったセイヤとリサ。しかし残りの犯人の少年少女2人を取り逃がし、特戦部隊は罠にはまり、痛手を負った。
「大丈夫か」
ジャンが駆けつけてきた。
セイヤとリサのほか、手榴弾で負傷した2班8名の様子を見てとったジャンは、すぐにファンに連絡を入れ、状況説明し、救護要請をした。そして、負傷した隊員らの応急措置をしたが、そのうち1名はもうすでに息がなかった。
辺りは血に染まり、むせかえるような空気で澱んでいた。
セイヤはリサに赤ん坊を渡すと、足を撃たれ倒れ込んでいる犯人少年2名を確保した。
複数の建造物から立ち登る煙が、埃で霞む黄昏の空へと混ざっていく。爆破は止んだが、人々の喧騒がおさまることはなかった。
それから――数時間経過した。
捜査は不眠不休で続けられていた。
治安部隊は複数の建造物爆破による騒ぎで混乱し、セイヤとリサが取り逃がした少年少女の2人はそれに乗じて警察捜査隊の非常線を突破し、逃走を果たしたようだ。
犯人2人が倉庫敷地を出るまで辿ったであろう逃走経路には、爆破された周囲の建造物から飛び散ったガラス片やコンクリート片などが比較的少なく、逃走経路も、爆破の箇所とタイミングも全て計算されていた様子が伺えた。
負傷した特戦部隊隊員らも次々と病院へ運び込まれていった。
「セイヤの言ったとおり、トラップが仕掛けられていた……しかも地雷だと? その上、手榴弾も使われた……もはや兵器ではないか。そして周囲の建造物の爆破……これはもう戦争だ。あの少年少女のほかにプロの工作員が深く関わっていたということか」
ファン隊長は臍をかんだ。
地雷および手榴弾による死者は2名、負傷者11名のうち重傷8名だった。少年少女の起こした事件で、特戦部隊にこれだけの犠牲が出てしまったとは……ファンは頭を抱えた。
それでも犯人の少年2人を確保し、赤ん坊も多少衰弱していたものの命に別状はなかったのが、せめてもの救いだった。
「逮捕した少年2人はリサとセイヤが確保し、赤ん坊もセイヤが救った……またしても、あいつらが……」
ファンは天を仰いだ。そして、セイヤはもちろんのこと、ついにリサのことも認め――以前、バカにしてしまったことを心の中で詫びた。
中央都市ビルにある中央百貨店おもちゃ売り場で撃たれた子どもたちは……重傷2名、軽傷3名の負傷者を出した。
建造物爆破による負傷者は32名、そのうち重傷者は4名だった。
その後、逮捕した少年2人の治療が済み、取調べが行われた。
銃の入手経路については、逃走した犯人の一人である少女からもらったと供述していた。手榴弾も、逃走した少年と少女がそれぞれ持っていたらしい。どうやって銃や手榴弾を手に入れたのかは聞いておらず、倉庫内に地雷が仕掛けられていることも知らなかったようだ。
また少年ら2人が手にしていたのはモデルガンだった。つまり、この少年らが撃ったのは空砲だった。残りの2人の少年少女が本当の銃弾で子どもを撃ったことにびっくりはしたが、その時は興奮状態となり、無我夢中でこの残り二人の少年少女についていったという。
なお、逃走した少女と少年については名前とメールアドレス以外のことは何も知らず、『トウアの未来を奪う会』で知り合い、意気投合したらしい。逃走した少女と少年の名前は偽名だろうとのことだった。偽造した身分証明書で携帯電話を取得し、架空口座で利用料金の引き落としがされていたようである。今のところメールアドレスから彼らを辿ることはできていなかった。
「工作員と深く関わっていたのは逃げた2人のほうか」
治安局特命チーム専用室では報告書をパソコンで打ち終えたジャンが椅子にもたれかかり、誰に言うでもなく、ひとりごちた。
「関わっていたというよりも、彼らはおそらく特殊訓練を受けた工作員そのものです。もちろん陰ではほかの仲間の工作員も深く関与したと思います。地雷や爆破物を仕掛け、爆破物はタイミングを見計らって起爆させ、彼らの逃走を助けたんでしょう」
セイヤはきっぱり言い放った。
「え? 年端もいかない彼らが工作員?」
ジャンがセイヤに顔を向けた。
「特に少女のほうは確実です。リサに肩を撃たれても銃を手放さず、倒れもしなかった。声もあげなかったし、表情も変わらなかった。そして負傷しているにも関わらず、あっと言う間に走り去りました。それに銃の構えも素人じゃなかった……相当な訓練を受けている」
セイヤは断言した。
捕まったほうの二人の少年は素人――単なる一般シベリカ人だ。逃げ切った工作員の少年少女は、万が一の場合、素人少年らを盾にするつもりで、この犯罪に誘ったのだろうか。素人2人が臆してついてこれなくても、それはそれでかまわない、足手まといになるようであれば、いつでも切り捨てるつもりだったのかもしれない。
「私もそう思います」
リサもセイヤと同じ感触を持っていた。
銃口をセイヤに向けていた少女は淡々としていて、無表情だった……その冷たさにぞっとした。人を殺すのも、おそらく初めてではない。もう何人も殺しているだろう。手馴れたものを感じた。そのように年端もいかない少女を機械的に殺人をこなせるように訓練し、子どもにまで平気で銃撃できる工作員に仕立て上げたシベリカ国の恐ろしさを噛みしめた。
そして、今回の事件と兄が殺された銀行強盗事件との酷似――周囲の建造物を爆破し、パニックを起こさせて、犯人を逃走させるやり方――つまり、あの銀行強盗事件もシベリカ工作員が関わっていた疑いが濃厚となった。
……兄さんを殺したのは、おそらくシベリカ工作員……リサは改めて怒りに震え、シベリカ国を憎んだ。
それからのリサは、射撃訓練にさらに没頭した。銃を持っている時だけ、怒りが鎮まった。憎しみを銃が吸い取ってくれているようだった。
銃――人を殺傷する道具は、リサにとって『心のお守り』になっていった。
リサは人型の的に狙いを絞り、トリガーを引く。怒りと憎しみを乗せた銃弾は、人型の心臓を、眉間を貫通する。
……そう、シベリカ工作員らが仕掛けているのは、犯罪というレベルを越えた戦争なのだ。
……このままではトウアの平和はない、自分たちの未来はない……
……やるか、やられるか、だ……譲歩はない。自分たちはそういう敵を相手にしているのだ。
その思いはルッカーも同じだった。改めて軍へ、治安部隊の隊員らの訓練をお願いし、軍の特殊部隊との合同訓練を要請した。相手は手榴弾や地雷を使ってくるのだ。隊員は兵士並のスキルが必要だ。
そんな治安部隊に対し、サハー氏や『平和と人権を守る教職員連合会』など一部の平和主義者を除き、世間は応援の声をあげた。
そして『トウアの未来を奪う運動』と称して、トウアの子どもたちがシベリカ人らに無差別に銃撃されたというショッキングな事件は、シベリカ人への憎悪を際限なく膨張させ、トウア人とシベリカ人との溝を決定的にした。
もうトウア人のほうから「シベリカ人を移民として受け入れたのだから、共生していこう」という意見は聞かれなくなった。
もし仮に、そんなことを言えば、同じトウア人から反感を持たれ、「シベリカのスパイ」「反トウア」と白い目で見られてしまうだろう。
ルイ・アイーダも当初は「トウア人と一般シベリカ人は反目してはいけない。お互いを反目させることが敵の狙いだ」とテレビで訴えていたが、今は控えるようにしていた。ただでさえ多くのシベリカ人から嫌われているのに、この上、トウア人にまで嫌われることは避けたかった。
一方で、トウアに住む多くの一般シベリカ人は、どうしていいか分からなかった。
もちろん一部の暴走するシベリカ人を止めたかったし、トウア社会へ謝罪したかったが、少しでも目立つことをすると「アンモン教授の二の舞になりたいか」という脅迫状が届き、行動を起こせないでいた。
脅迫状が届いても、警察捜査隊に相談するシベリカ人は皆無だった。「トウアの警察がシベリカ人のために真剣に捜査してくれるはずがない」「こんな事件が続いて、常にシベリカ人を疑っているだろうトウアの警察とは関わりたくない」という思いが、警察への足を遠のかせていた。
一般のシベリカ人たちは黙り込み、ただただ肩身の狭い思いをして、ひっそりとトウアで暮らすしかなかった。
そのうち「トウアから独立すれば、肩身の狭い思いをしなくて済む」といった誘いを受けるようになり、『シベリカ人街の独立』を目指す運動に引き入れられる一般シベリカ人が増えていった。
今回の事件について、当然マスメディアは大騒ぎしていた。コメンテーターたちが犯人らに怒りの声をあげていた。治安部隊は『少年である犯人』を銃撃し、怪我を負わせたが、それについて批判する者はほとんどいなかった。サハー氏でさえ何も言わなかった。
ちょっと前までのトウア世論であれば、いくら犯人であろうと未成年である少年を銃撃するなど許さなかっただろう。
が、あまりに犠牲者が多く、銃のほか手榴弾や地雷が使われたことを思えば、未成年への銃撃はやむを得なかった、と誰しもが思っていた。
そして……犯人の少年を銃撃したのは実はあの『ヒロイン・リサ』だったわけだが、もう『ヒロイン・リサ』の情報がマスコミにリークされることはなかった。
ちなみに公安からの情報では、この件に関してサギーの動きは全くなかったという。この事件についてはシロとのことだった。
公安も人手不足であり、これからはサギーへの監視体制を緩め、さらにこのまま何もなければ、いずれは監視対象から外すということになった。