肉
「私の仕掛けた工作が裏目に出たというわけね……」
サギーは、ルイ・アイーダ拉致監禁事件で騒いでいるテレビを尻目にひとりごちた。これでルイ・アイーダを拉致してシベリカへ送る計画は当分、見送るしかなかった。
「セイヤ……たぶん、あなたが私の作戦を見通し、裏をかいたのね……あなたにはしてやられてばかりね」
自嘲しつつテレビを消した。相変わらず部屋に流れ込む潮の匂いが鬱陶しい。
……できるなら、ルイは始末しておいた方がいい……セイヤよりもルイのほうが今後の工作活動の障害になる可能性が高い。
挽回しなければと、サギーは焦りの感情に支配されていた。いつの間にか、手を口元にやり、親指の爪を噛んでいた。
トウアの世論は今「治安部隊を強化せよ」という論調一色に染まりつつあった。また、一部のトウア人がシベリカ人を毛嫌いするようになり、一般シベリカ人への嫌がらせや暴力沙汰事件も起こるようになった。
「……そうだわ、今の状況ならば……」
ある考えが思い浮かび、噛んでいた爪を口元から離した。サギーはまだ、ルイの始末にこだわっていた。
――その時ふと、かつて未成年養護施設付設学校で教員をしていた頃、学生だったセイヤに「あなたは血に染まった手でご飯を食べることができますか」と問うたことを思い出した。
……私たちは、動物を殺して、その肉を食べている……
……生きるために、すでにその手は血に染まっている……
……その血が動物か人間かの違い……ただ、それだけのことよ。
サギーの手はすでにたくさんの人の血で染まっていた。そして――いつか自分の血を捧げることになることを覚悟していた。
「さてと……今夜も夕食はレアステーキにしようかしら」
気を取り直したサギーはキッチンへ立ち、冷蔵庫から血がにじみ出ている肉の塊を取り出した。
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一方、リサは未だに肉が食べられなかった。爆破事件で見た四肢がバラバラな焦げた死体のことが忘れられなかった。
セイヤも当初はリサ同様に肉を食べられなかったが、今は吐き気を堪えながらも肉を口にするようにしていた。肉が食べられなければ、なぜか負ける気がした。リサとの食卓をこんな気分で囲みたくなかったけど、食事も今のセイヤにとっては戦いだった。
今晩は豚のヒレ肉を焼いた。セイヤは義務のように肉を口に押し込み、飲み込む。
――自分達が治安部隊に入ってから関わった大きな事件――発電所立てこもり事件、地下鉄中央駅爆破事件、爆破予告およびマハート暗殺未遂事件、ルイ拉致事件――おそらく、これらは全てシベリカ工作員が関与したと考えられる。
「次は何を仕掛けてくる?」
セイヤは犯人への怒りを感じると共に、漠然とした不安にとりつかれていた。そして、近頃の『反シベリカ』に偏ったトウア世論や、多発する一般シベリカ人への差別や嫌がらせ問題で、あることを懸念していた。