とりあえずの収束
それからしばらくして、週刊誌で騒がれたセイヤとリサの暴行事件の動画がインターネットで出回った。
その動画は、リサが3人の男達に囲まれたところから一部始終が撮られており、セイヤとリサの誤解は晴れた。
そう――どう見ても、男3人は握手を求めているのではなく、嫌がるリサの手を無理やりにつかもうとしていた。セイヤが駆けつけ、リサの手から男を引き離そうとしているところも撮られており、その直後、男が派手に転んだ様子も、第三者の目からも「わざとらしい」と感じられるものだった。
この動画が、セイヤが一方的に暴行を働いたのではないことの証拠となり、ここで一気にセイヤとリサへの同情論が広まり、いい加減な記事を書いた週刊誌が叩かれ始めた。
そして、この動画について「最初から狙って撮っていたとしか考えられない」「週刊誌側が最初からこの二人を狙い、事件をでっちあげたのでは」と大問題となり、週刊誌は廃刊の危機に瀕した。多くの人も「二人は週刊誌にはめられた」と感じたようだ。
特戦部隊不要論を展開していたテレビと新聞は鳴りを潜めた。
「こんな動画を撮っていた人がいたなんて……だったら、もっと早くネットに流すか、あるいは治安局のほうに証拠として届けてくれればよかったのにな。そうすればこんな騒ぎにならずにすんだのに」
休日、食卓テーブルの上に置いたパソコンで改めてこの動画を見たリサは椅子にもたれかかり、ひとりごちた。
セイヤはセイヤで、この動画が出回った件を不思議に思っていた。
……なぜ、事件の一部始終が撮れたのか。これは皆が騒いでいるように、最初からリサを尾行していて、狙って撮っていたとしか思えない。だとするとオレたちをはめた週刊誌側がこれを撮っていたのか? 編集し加工すれば、オレが暴行したような画像を作れる。ただ、オレが一方的に暴行していないことの証拠となる一部始終を撮った動画を、なぜネットに流したんだ? 圧倒的に週刊誌側が不利になる動画なのに……
「週刊誌側がこういった動画を撮っていたことを知っていた誰かが、週刊誌に何らかの恨みを抱き、動画をこっそり持ち出してネットに流した、と考えるのが妥当か……」
リサの後ろから動画を眺めていたセイヤは思考を打ち止めると、大きく伸びをした。
ただ……例の3人の男たちがシベリカ人だったということはずっと気になっていた。彼らはトウアに来て、1年程度と聞いた。それにしてはトウア語になまりもなく完璧に発音していた。そして、証言者もシベリカ人だったという。
「ま、トウア国の総人口の1割弱が外国人で、その9割がシベリカ人だからな……しかも多くは貧しい。金のために週刊誌のやらせに加担したんだろう……」
なんとなく違和感を持ちつつも、セイヤはそう結論付けた。
半分ほど開けた窓から忍び込む生ぬるい風がカーテンを揺らしていた。
・・・・・・・・・・・・
ちょうど同じ頃――旧市街の一角にある、くすんだ白壁にツタの葉が茂っている古びたアパートの一室。
海が近く、生臭い潮の匂いが忍び込んでくる部屋の中で、リサと同じようにパソコンの動画を見ながら、シベリカ工作員サギーは臍をかんでいた。机の上に置いた拳を固く握る。
島国トウアから西の広い海を隔てた大陸にあるシベリカ国は、トウア国の海洋権益を狙い、トウア国を支配下に入れようとしていた。
その工作に関わっているのがサギーである。
――工作員サギーは、まず偽装結婚をしてトウア国籍を取得し、未成年養護施設付設学校の教員となった。セイヤとリサは教え子だった。今は教員をやめ、本格的な工作活動に入っている――
シベリカ本国から指示されている現段階の工作活動とは――トウアの治安を悪化させ、経済を停滞させ、国力を弱らせることだった。
その一環として、トウア国の治安部隊や軍への予算増額を食い止め、予算減額を推進させて治安部隊と軍を弱体化させる――これがサギー工作員に与えられた任務だ。そのためサギーは、マスメディアを利用し、治安部隊や軍について悪いイメージを植え付け、トウア世論を操ろうと動いていた。
そう、セイヤとリサをはめて暴行事件を仕組み、週刊誌で叩いた件にはサギーが関わっていた。というか、サギーが首謀者であった。リサによって世間での『特戦部隊の株』が上がったことへの牽制として行ったのだ。
が、工作としては『ちょっとした軽いゲーム』のようなものだった。シベリカ国から送り込まれた『Cクラス』の新人工作員らを教育しなくてはいけないので、その実践訓練として仕組んだのだ。
ちなみに、シベリカ工作員はランク付けされており、『Cクラス』は本国シベリカでさほど特殊訓練を受けていない、工作員というよりも一般協力者と言ったほうがいい一番下のレベルの者たちだ。
その後のアントン・ダラーによる『セイヤの過去の暴力事件』については、その頃のサギーの作戦の中にはなかった。セイヤが過去にそんな事件を起していたことを、サギーは知らなかった。
たまたまアントン・ダラーなる人物が週刊誌にネタを持ち込んできて、それがあまりにも打ってつけの内容だったので、即採用するよう週刊誌側に働きかけたのだ。そして、これを利用し、特戦部隊を陥れる策を考えた。
ちなみに、この週刊誌にはシベリカ系企業数社がよく広告を出していた。広告収入で何とかやっていけている週刊誌にとっては、このシベリカ系企業がスポンサーのようなものだ。
当然、そのシベリカ系企業は、本国より秘密裏に工作活動を助けるようにと指示されており、またサギーはこの週刊誌の編集長と愛人関係にあったため、思うままに週刊誌を操ることができていた。
途中までは上手くいっていた。『特戦部隊』のことを話題にし、「特戦部隊にはセイヤのような暴力的な人間が多いのでは」と疑問を呈し、「それは特戦部隊が犯人射殺に動く殺人部隊だからだ」とし、批判の矛先をセイヤ個人ではなく特戦部隊に向けて、特戦部隊の危険性について言及した。
そこにテレビと新聞が同調し始めた。世間の風は『特戦部隊含む治安部隊批判』へ吹き始めていた。
サギーはテレビ局や新聞社の重鎮とも付き合いがあったので、そう仕向けるのは容易かった。このままマスメディアを操作し、『トウア国政府が治安部隊の権限を強化しようとする動きを批判』し、『治安部隊への予算は削減すべきである。増額などとんでもない』という世論を作っていくはずだった。
それなのに……事件の一部始終を撮っていたらしいこの動画のおかげで、全てが不意に終わった。
「一体、誰がこれを撮ったのかしら、一般の素人とは思えない……」
サギーは疑問に思った。
週刊誌側はあくまでも持ち込まれたネタと写真を採用しただけで、事件そのものには関わっていない。事件は、サギーが新人工作員らを使って仕組んだのだ。目撃したという証言者もすべて工作員である。
なのに、このような証拠動画を第三者に撮られていたとは……新人工作員らの失態である。あれだけ第三者には気をつけろと注意をしたのに。
それなりに警戒していたはずの工作員らの目をかいくぐり、誰かほかにもセイヤとリサを見張っているものがいた……そうとしか考えられない。そして、彼らに何かあった時、常にその証拠を押さえておけるような体制を敷いていたのだ。
……こんなことができるのは……公安?
いえ、まさか、セイヤやリサのような端っこの隊員に目をかけているはずがないし、そもそもこんな小さなことで公安が動くはずがない。これはセイヤとリサを心配するごくごく個人的な……
そこまで考えたサギーの口元が歪む。
――脳裏に、ある人物が浮かんだ――