新しい生活
セイヤとリサの新しい生活が始まってからまもなく、新居にルイが訪ねてきた。
セイヤは仕事に出ていたので、停職中のリサはルイと女同士二人で盛り上がった。
「結婚おめでとう」「ありがとう」と、ありきたりな挨拶もそこそこに、ルイはしげしげとリサを見つめてしまった。
「リサ……雰囲気変わったね~」
学生時代はいつも黒っぽい服を着ていたリサが、明るい淡いピンク色のワンピース姿になっていたのと、何といっても長かった髪をバッサリ切って、顎のラインに沿って切り揃えたショートになっていたからだ。
「髪、ずいぶん思い切ったんだね」
「私もこんなに短くされちゃうとは思わなかった」
リサはお茶の用意をし、ルイが持ってきてくれたクッキーをテーブルに並べる。。
「え?」
ルイは怪訝な顔をした。
「セイヤもこんなに短くするつもりはなかったって言ってたし」
「まさか、それセイヤが切ったの?」
「だって、今月はもうお金かけられないもの」
「……」
「ま、セイヤは器用だし、揃えるくらいならできるって言うから」
「……チャレンジャーだね……」
目を白黒させつつ、ルイはリサが淹れてくれた紅茶を口にした。
そんなルイを尻目に、リサはこぼした。
「でも、わりと難しかったみたい。切っているうちに、いつの間にか短くなっちゃったって。時間もすごくかかっちゃって、けっこう大変だったんだから」
「何というか……二人ともお疲れ様……」
「おまけに、ずっとハサミを使い続けていたせいか腱鞘炎になりかかっちゃったようで、右手がしばらく使えず、射撃訓練も休むはめになっちゃって」
「新妻の髪を散切り頭にしたままにはできず、キレイに仕上げたかったんじゃない」
ルイは席を立ち、リサの後ろにまわってチェックした。
「うん……やっぱ器用なんだね、セイヤって」
「ま、髪が短いほうが、洗うのに水道代やシャンプー代も多少、節約できるかなって」
「……大変そうだね……生活」
ルイは、リサとセイヤがそれぞれ無給処分・減給処分になった話はいちおう聞いていたが、新婚早々のケチ生活が想像つかなかった。女の子ならもうちょっと華やかで甘い新婚生活を夢見るだろうに、現実はかなり厳しそうだ。
なのに、何でもないことのようにリサは穏やかな顔をして笑っていた。
「もとはと言えば、減給処分は私のせいだから」
「減給処分受けている間は結婚を延期すれば良かったのに」
恋愛を思いっきり楽しむという発想はなかったのかしら、とルイはクッキーをつまむ。
ま、あの『堅実』『着実』という言葉が服着て歩いているようなセイヤにとって、恋愛という不安定な関係を楽しむ余裕などないのかもしれないけど――と思っていたら、案の定、リサはこう応えた。
「早く落ち着きたいって、セイヤが駄々こねるから」
「へえ……あのセイヤが駄々をこねる姿なんて想像つかないけど」
「意外と面倒な男よ」
「筋金入りの安定志向だからね」
二人は声を出して笑い合った。
お茶を飲み、クッキーをつまみながら、ふたりの他愛もないおしゃべりが続く。
クッキーのおいしさは格別だった。細かく砕いたナッツが練りこまれていて、香ばしさが鼻腔に伝わる。太るかなと思いながらもついつい手が出てしまう。
その時、ふと時計を見たリサが――
「そうそう、今日もルイ、テレビに出るよね。ちょうど今その時間じゃない」
とテレビを点けて、ルイが出演する番組にチャンネルを合わせた。
「ああこれ、この間収録した分ね」
ルイもテレビに目をやる。
それは、国際情勢を議論するちょっと硬派な番組で、テレビの中のルイはシべリカ国に対して警戒を促すようなコメントを出していた。
ここでほかのコメンテーターが発言する。
「でも、あなたが言っていることは全て憶測ですよね。あなたの立場から見れば、お祖父様を戦犯として処刑したシべリカ国は憎いでしょう。中立の立場ではありませんね。だから、あなたの発言をそのまま鵜呑みにはできませんよ」
それに対し、ルイは堂々と応えていた。
「はい、それは当然です。私は旧アリア国の立場で発言してます。でも今、世界に喧伝されている『アリアは戦犯国家だ』という見方は、戦勝国のシべリカ国の視点で語られてますよね。中立の意見ではありません。戦勝国の意見だけを聞くのも偏っていると思いませんか?」
「そういえば、そうですね。たしかに旧アリア側の事情はあまり聞こえてこない」
別のコメンテーターが頷いていた。
ちょっと前まで、ルイは世間から「戦犯の子孫が反省をせず、証拠もないのにシべリカ国を貶めている」と批判に晒されていた。リサはそれを心配していたが、今はルイの話を聞こうという者も現れ、仲間もできたようだ。世論の風向きはちょっとだけ変わりつつある。
楽しい時間はあっという間に過ぎた。
「さて、そろそろお暇するね」
ルイは名残惜しそうにしつつも立ち上がる。
「え、もうすぐセイヤも帰ってくるよ」
リサは慌てて引き留めたが、ルイは首を横に振った。
「またの機会にする。今日はリサの顔を見に来たの。入院しているときも、面会謝絶が続いていたし、お見舞いがなかなかできなくて、気になっていたから」
ほかにも、お見舞いに行けなかった理由があった。テレビに出るようになったルイはちょっとした有名人になっており、そしてリサもまた『特戦部隊のヒロイン』としてマスメディアに祭り上げられていた。ルイがリサを見舞ったことが世間に知れ、二人が友人同士だと知られたら……面倒なことになる気がした。もしかしたらリサに迷惑がかかるかもしれない。だから病院には行けなかった。今日だって周囲に人がいないことを確認し、警戒しながらここに来たのだ。
けど、そんなことはおくびにも出さず、ルイは二コーッと笑った。
「元気そうで良かった」
「じゃあ、また今度」
「うん、また」
リサと別れ、アパートの外に出たルイの足取りは軽かった。
海風がルイのもとを通り過ぎる。セイヤへの想いはふっ切れた気がした。いや、本当はまだちょっと心残りはあるけれど、時間が解決してくれるはずだ。
眼下に、家々の間から覗く海を眺め、ルイは昔を振り返る。そういえば養護施設と学校は海のすぐ近くだった、と。
そして思う。学生時代のセイヤは淡々としていて『情熱』『執着』から遠くかけ離れた生き方をしてきた人だけど、本当は違うと。
かつて一度だけ、セイヤはそれを見せた。けど、それ以降――自分の心を閉じてしまった。
でも今やっと、セイヤは本当の自分を心置きなく出せるようになったのかもしれない。
もちろん、リサも変わった。学生時代は家族の死を引きずり、何かに縛られ、重い荷物を背負っているような感じだった。けどその荷物を下ろしてあげたのがセイヤなのだろう。
――リサとセイヤはお互いにかけがえのない伴侶を得たのだ――
ルイはリサのいる部屋に向かって、改めて「おめでとう」と小さくつぶやく。そうだ、これで良かったのだ……。
その時、夕暮れの空に照らされながらも、影になり色を落としていく家々と海を背に、緩やかな坂道を上ってくるセイヤの姿が見えた。
「あれ、来ていたのか……もう帰るのか?」
ルイに気づいたセイヤは、声をかけてきた。
「あ、うん……久しぶりだね」
ちょっと照れくさい。セイヤと会うのは養護施設を出て以来だった。けど、電話やメールでは話したりしていたので、久しぶりという感じはそれほどなかった。それでも見ないうちに、ずいぶん逞しくなったように思う。体もひとまわり大きくなった。
「今まで、大変だったね」
「まあな……ルイも大変そうだな」
「うん、でも負けるわけにはいかないから」
「オレに協力できることがあれば、言ってくれよな」
「ありがとう」
ルイはサギー先生のことを伝えようかと思ったが、やめた。証拠もない。でも警戒すべき相手だ。だから、こういう言い方をした。
「……戦うべき相手の姿が見えてきた気がする。だから、これからも戦うよ」
「……オレもだ」
セイヤはそう言っただけで、思わせぶりなことを言ったルイに何も訊かなかった。
――おそらくセイヤも何か感じるものがあるのかもしれない。敵は、すでにこの国を侵食している。放っておけば、この生活は壊されるかもしれない――
ルイの心は祝福の気持ちから警戒心へと変わった。実は、テレビでいろいろ発言するようになってから、嫌がらせや脅迫めいた声も届くようになった。
「ルイ、気をつけろよ」
「セイヤ、あなたもね……じゃあ、また」
ルイはセイヤとは反対方向に、緩やかな坂を下りていく。家々に灯りが燈り始め、その隙間から見えていた海と空の境目が分からなくなっていた。
陽が沈んだ薄暮の空はあっという間に夜の帳を下す。ルイは家路を急いだ。私にはやるべきことがたくさんある――すでに戦闘態勢に入っていた。ほのかな恋心は消えた。
夜の色へ塗り替えられていく空の下、セイヤはルイの姿が見えなくなるまで見送った。
ルイにも絶対的な味方が必要だな――そう思った時、ふとジャンの顔が思い浮かんだ。
「いやいやいや、あんな肉食野獣系、お嬢様のルイに合うはずがない……かな?」
考え込みながら、5階へ上り、我が家のドアを開ける。
「お帰りなさい」
夕餉の匂いと共にリサの声がセイヤを迎えた。