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旧作  作者: hayashi
シーズン1 第5章「誓い」
26/114

食卓

挿絵(By みてみん)


「お帰りなさい」


 仕事を終え、刺すような寒空の中から帰ってきたセイヤが新居のドアを開けた時、リサの声が迎えてくれた。部屋の暖かい空気がセイヤをやさしく包む。


「あ、ああ……ただいま」

 セイヤは玄関に立ち尽くしてしまった。

 お帰りなさい…お帰りなさい…お帰りなさい…リサの声が頭の中でリフレインする。セイヤがずっと長い間、求めていた言葉だ。


「どうしたの? 入らないの?」

 リサが顔を出した。リビングの片隅には段ボール箱が積まれていたが、部屋はだいぶ片付いている。2DKのささやかな住まいだが、夫婦ふたりならこれで充分だ。


「あ、ああ」

 おもむろに部屋に上がって上着を脱ぎ、とりあえず着替えを済ませる。


「食事の用意できてるけど、どうする? 先にシャワー浴びる?」

 キッチンからリサの声が届く。


「じゃあ、お腹空いているし……食事にしようかな」

 ああ、これが夢の『食事にする? お風呂にする?』かあ~と、しばし浸ってしまった。今までずっと殺風景な寮住まいだっただけに、この家庭らしい空気にいちいち感動してしまうセイヤだった。


 キッチンとつながっているダイニングへ入る。夕飯の匂い。リサが用意する食器の音。ホッとする安らぎの空間に身を寄せる。


「あ、これ、運んでくれる?」

「ああ」

 リサからシチューをよそったスープ皿を手渡される。おいしそうだ。立ち上る湯気が鼻をくすぐった。テーブルにはつぎつぎ料理が並べられた。


 ――セイヤが家庭というものから遠ざかってから、だいぶ経つ――


 小さい頃に家族を失い、8歳以降、ずっと未成年養護施設で育った。

 今はもう、両親の顔をうまく思い浮かべることが出来ず……両親の写真を見てこんな顔だったのかと思う程に、失った家族のことは記憶の彼方に行ってしまった。両親の声も忘れてしまった。


 でも、喪失感だけはずっと残っていた。


 両親が交通事故に遭い、病院に担ぎ込まれた時「父さんと母さんを助けてください」と幼いセイヤは一生懸命に祈った。

 けど、神様は頼みを聞いてくれなかった。厳しい現実が待ち受けているだけだった。


 セイヤはもう神頼みなどせず、喪失感だけを抱えながら、淡々と生きた。

 自分は国を失った民の子孫で、両親という保護者まで失ってしまった。

 この社会でやっていくには――感情的にならず、後先を考え、慎重に生きていくしかない。

 だから、計算高く、用心深く、失敗しないよう、あらゆる想定をして準備をするクセもついた。他人と争うこともできるだけ避け、譲れるものは譲るようにした。おとなしく無難に過ごすよう心がけた。


 10歳の時、養護施設で一度だけ派手なケンカをしでかし、先生にも施設の子どもたちにも恐れられたことがあるが、基本的にセイヤは『穏やかで手のかからない良い子』として育った。先生の教えに疑問を持っても、とりあえず従うようにしていた。


 10歳の時のあの一件を除いて、リサと出会うまで、先生にも反発したことがない。従順を装い、自分を押し殺して心を閉じた。


 だから、人とも深くつきあったこともない……つきあいたいとも思わなかった。

 ――でも、なんだか寂しい――

 

心が冷えたような感覚だけが残った。本当に守りたいもの、欲しいものがなかったからかもしれない。そもそも遠い過去に失ってしまった家族以外に守りたいもの、欲しいものなどなかった。


 そんなセイヤの目の前に現れたのがリサだった。

 リサは先生に反抗的態度をとり、怒ったり泣いたり――

 感情に蓋をしていたセイヤにとってそんなリサが気になった。感情を顕わにするリサがうらやましかったのかもしれない。


 気がついた時には、リサは『守ってあげたい友人』になっていた。

 なのに、リサはあえて危ない道へ行こうとし、無茶をし、まるで死に場所を求めているように感じた。


 だから『リサを守ること』が優先順位の上位となっていった。

 自分にとって譲れないもの、守りたいものができた時、セイヤはただただ純粋に嬉しかったのだ。『リサを守る』ことによって自分の欠落感・喪失感が癒される気がした。


 ――セイヤの心の蓋をいつの間にかリサが開けてしまっていた――


 セイヤは席に着き、リサと食卓を共にする。テーブルにはシチューやらサラダやら、いろいろな惣菜、副菜が所狭しに並んでいる。


「今日は一緒に暮らす初めての日だから、がんばって作ったし、材料もちょっとだけ贅沢したけど、明日からはおかずの数は減るからね。ちなみに復職したら手抜き度も高くなるし、大いに手伝ってもらうからね」

 リサは釘を刺しておいた。


「じゃあ、温かいうちに」

「いただきます」


 まずはシチューを口に運んでみた。肉がやわらかく煮込まれていて、口の中でとろけた。玉ねぎの甘さがスープの中に溶け込み、とろけた肉と共に旨みが口全体に広がる。それらが胃の中に落ちると、体中がポカポカしてきた。


 今までセイヤにとって食事といえば、プラスチックかスチール製の食器に盛られ、トレーに乗せられた無味乾燥な給食スタイルだった。それが陶器のお皿に盛られ、テーブルに並べられているだけで、数倍、おいしそうに見えた。料理って味覚や嗅覚だけじゃなくて、視覚でも楽しめるんだな、と気がついた。


 そして何と言っても、この料理は不特定多数への給食ではなく、自分のために作られたものなのだ。

 穴があいたような心に、今、温かいものでどんどん埋まっていく。

 セイヤの心を巣くっていた孤独と警戒心と渇望感が、安らぎと幸福感へと取ってかわる。


 ――オレはリサを救ったつもりでいた……けど救われたのは、オレのほうかもしれない――


 セイヤはリサに視線を向ける。

「え、何?」

 リサは食事する手を止めた。

「いや、何でもない」

「もしかして口に合わなかった?」

「いや、おいしいよ。シチュー好きだし」

「そう、よかった」


 リサは心のノートに、項目『セイヤの好きなもの』として、とりあえず「シチュー」を加えておく。


「シチュー、お代わりしていいかな」

「もちろん。あ、私もお代わりしちゃおうかな」

 何だか食が進む。リサは、セイヤのお皿にシチューをいっぱいによそう。余ったら、明日のお昼にと思ったけど、これは残りそうにない。


 セイヤは家庭料理をお腹いっぱい味わいながら、固く誓う。

 ――この暮らしだけは守りたい……どんなことをしてでも守る――


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