お守り
シベリカ人労働者らが人質をとって立てこもっている水力ダム発電所内地下室では、治安部隊が取り囲んでからも、こう着状態が続いていた。
決まったパートナーがおらず一人で配置されているリサは、「長丁場になりそうなので適度に休みをとっていい」とファン隊長から言われていた。つまり、それくらいリサの持ち場はどうでもいい場所ということだった。
そこは、犯人らが立てこもっている地下部屋から遠く離れており、外出口に一番近く、建屋から脱出しなければならなくなった時、出やすい場所でもあった。
建屋外の駐車場にも隊員が2名配置されていた。が、駐車場はコンクリートで四方を囲まれているものの、車の出入り口側に仕切りはなく、外と直に通じている。そのためかなり冷え込み、持ち場としては悪条件だ。
「結局、私は一番ラクで安全なところに配置されているってことか……」
ため息まじりにひとりごちる。
犯人は凶悪犯ではなく、ダム建設時の報酬や待遇に不満がある外国人労働者であり、主に交渉班の仕事になると上官らは見込んでいた。特戦部隊は念のために配置に付くということで、リサには即席パートナーもつかなかった。
ただし、自身または隊員や人質の命に危険が及ぶと判断された場合の犯人射殺命令は出ている。
「今回、犯人確保には立ちあえないんだろうな。もしかしたらこの先もずっと……女の私は特戦部隊のオマケ扱いかも」
リサは唇をかみ締める。犯人らは全員、目出し帽を被っていると聞いていた。その姿を思い浮かべると兄を殺した犯人と重なった。
・・・
ジャンとセイヤは、犯人らが立てこもっている地下部屋の天井にある通気口から中を観察していた。すでに『人質の位置』は携帯画像通信機でファン隊長と各隊員らに知らせてあった。
交渉班のほうは手をこまねいており――犯人らは取引にはさほど積極的ではなく、こちらから働きかけても暖簾に腕押し状態で、彼らが何を求め、何が目的なのか、いまひとつ分からずにいた。
しばらくすると――犯人の一人が小型通信機のようなものを取り出し連絡をとっていることにジャンとセイヤは気づく。
「仲間と連絡をとっているのか……彼がリーダーか」
連絡を終えたらしく、そのリーダーらしき犯人は手に持っていた小型通信機をしまった。
すると、いきなり銃を構え、銃口を人質に向けた。引き金に指をかけ、今まさに人質を撃とうとしている。手足を縛られて地べたに座らされている人質らは顔面を引きつらせた。
ジャンは慌てた。通気口には細かい目の金網が取り付けられているので銃は使えない。
セイヤはすぐに『人質危険』の信号をファン隊長および各隊員らに送る。
しかし、仲間の犯人らが騒ぎ始め、リーダーを止めた。
「話が違う」「人質に危害を与えるとは聞いてない」「重犯罪を行う気はない」「パフォーマンスではなかったのか」「トウアの治安部隊が取り囲んでいる。人質に危害を加えれば突入され銃撃戦になるかもしれない」「我々の命が危なくなる」「あれぽっちの報酬で我々を危険な目に合わそうというのか」とシベリカ語でまくし立てていた。
仲間割れか?――セイヤは少しならシべリカ語が理解できた。
どうやら、あのリーダー格がダムの建設に関わったシべリカ人らを誘い、この立てこもり事件を主導したようだ。
ならばリーダーのみターゲットにすればいい、残りは雑魚というか、もともと大それたことをしようという気もなく、金に釣られただけのことだ。そして強制送還を目論み、無料でシベリカ国に帰るのが目的かもしれない。
だが犯人らは皆、同じ機種の銃を持ち、同じ目だし帽を被り、服はもちろん靴に至るまで全て同じ格好をしているので、混戦になった時にリーダーを見分けるのが難しい。
リーダーは先ほどの通信機をズボンの後ろ側ポケットにしまいこんでいたが、その膨らみはわずかなもので遠目では分かりづらく、そもそも犯人の正面からでは見えようがなかった。
とりあえずセイヤは、犯人らが仲間割れしていること、リーダーのみターゲットにすべきだということを手話でジャンに伝えた。
その時、一瞬、リーダーがこちらに顔を向けた。
――リーダーは天井裏に治安部隊の隊員が潜んでいることをとっくに知っている――セイヤは嫌な予感がした。
そもそも彼らはここを造った外国人労働者であり、自分たちが立てこもっている地下部屋の天井裏がどのようになっているか、構造も分かっているはずだ。治安部隊が通気口から観察していることは、彼らには織り込み済みなのかもしれない。
しかしそれは『この人質立てこもり事件が世間の話題になるためのパフォーマンスである』ということが前提だろう。人質に危害を加えるマネをすれば、天井裏の通気口から観察している隊員は、当然そのことを連絡し、治安部隊は人質救出のために突入することになり、銃撃戦になる可能性が高くなる。
それなのにリーダーは、ほかの仲間たちとは違い、妙に落ち着き払っている――そのことにセイヤは違和感を持った。こういったことは何度も経験しているかのようだ。
そして犯人らが皆、靴に至るまで同じ格好ということにもひっかかりを覚えた。リーダーとほかの犯人らの見分けがつかないように、あえてそのようにしたのではないか?
セイヤのこめかみから冷や汗が流れる。
――リーダーはただの外国人労働者ではない? こういうことに手馴れている?
――まさか、人質を撃とうとしたのは天井裏に潜んでいるオレたちに見せるため?
――なぜだ? 人質に危害を加えるマネをすれば、特戦部隊が突入して銃撃戦になるかもしれないのに。
――いや、もしかしてそれが目的なのか? 銃撃戦に持ち込みたいのか?
――オレたちは罠にかかった? だとすると突入に待ったをかけるべきか?
――でも、オレの憶測に過ぎない。その間に本当に人質が殺されるかもしれない。
セイヤの脳はめまぐるしく動いたが、どうするべきか判断できなかった。
ジャンも、犯人らのリーダーのみをターゲットにするように各隊員らへ伝えようとしたが、リーダーの特徴をつかみきれないでいた。
「皆同じ格好しやがって……どう伝えればいいんだ?」
そうこうしているうちにファン隊長から各隊員に『突入サイン』が送られてきた。
『人質救出を最優先』
『次に犯人確保。人質および隊員らに危険が及ぶようであれば射殺せよ』
ジャンは突入に待ったをかけようとしたが、その時、リーダーは仲間たちを振り切り、再び銃口を人質に向けていた。
人質救出が優先だ。今すぐ突入すべき――ジャンはそう判断した。
と同時にファン隊長から突入命令が下された。
犯人らが立てこもっている部屋のドアが爆破され、外で待機していた突入班が動いた。
突入班の隊員らが部屋になだれ込むのを牽制するように犯人側が発砲する。
ついに銃撃戦が始まった。
・・・
突入命令を聞いたリサはファン隊長に指示を仰いだが『そのまま待機。次の指示を待て』という命令が来たきりだった。この場を動けないことにヤキモキしつつ、セイヤのことが気になっていた。新人に無茶はさせないだろう、と思いつつ、首にかけたお守りに触れる。それはセイヤからもらったものだった。
――立てこもり事件が発生して出動要請がきた時――
現場へ飛ぶヘリを待っている間、セイヤが近づいてきた。
セイヤとはずっと気まずいままだったので、リサは視線を避けた。
が、セイヤは意に返さず、目の前にやってくると「これ、もらってくれるかな」と胸ポケットからロケットペンダントのようなものを取り出した。ありふれたデザインだったものの、海を思わせる碧色が印象的だった。
「何?」
「その……お守りとして身につけてほしい」
「どうして?」
「お守りだから」
「……」
「頼む」
セイヤは頭を垂れた。
そのままセイヤは顔を上げようとせず、お守りをリサに差し出していた。リサが受け取らなければ、ずっとその姿勢を貫くつもりのようだ。
「……どうも……」
ためらいながらもリサはお守りを受け取った。セイヤと距離が縮まなくてもいいと思っていたけど……やっぱり仲直りしたい……せめて挨拶が交せる程度に。
孤独を貫けない自分の弱さを呪いながらも……お守りを身につけるくらいであれば、セイヤに迷惑をかけることはないだろう……と心の中で言い訳をする。
どっちかというと論理的で現実的な思考をするセイヤが『神頼みのお守り』とは……ちょっと意外だなと思いつつ、リサはぎこちなくお守りを首にかけた。お礼を言おうと思ったものの言葉を探している間に、セイヤはジャンのもとへ戻ってしまっていた。
この任務を終えたら、お礼だけはちゃんとしよう――リサはお守りを握った。