ダークヒロイン
静寂に包まれ、家々の灯りがまばらになる深夜。
浅い眠りから覚め、そのあとどうしても眠れなくなったルイ・アイーダはベッドから起き上がり、パソコンを起動させた。
トウアの治安はかなり悪くなったが、ここセキュリティが整っているルイの自宅マンション内は安全であった。マンション1階ロビーには24時間、3人の警備員が配置され、監視カメラも死角がないよう、あちこちに取り付けられている。
昼間、外を出歩く時、今も護衛をつけている。テレビ出演は今はもうほとんどしていない。が、それでもまだ一部のシベリカ人に憎まれ、どこかで襲われる心配があった。
今のトウアは嫌悪と憎悪の空気に包まれ、いつどこで犯罪に巻き込まれるか分からない。
ルイは思うところがあって『リサ・シジョウについて書かれた記事』をネットで検索してみた。
リサについて――誰かが撮影していたのか、『シベリカ人街』で例の少年と少女を、リサが警告も威嚇射撃もなく銃撃したところを撮った動画がネット上に流れるようになってから、シベリカ人たちと一部の市民団体の間ではリサに対する嫌悪感が広がっていた。
リサ・シジョウを刑事罰に問うべきだ、との声も上がっている。
たしかに、リサはすでに倒れている少女をさらに撃った――「やりすぎ」「私刑」と言われても仕方なかった。
しかし、トウア市民の多くはリサ・シジョウの味方をした。
リサが撃った少女は、心臓移植を受けた3人の子どもを殺害し、国会襲撃事件でも多数の議員を銃撃し、中央百貨店でも子どもたちを銃撃し、逃走の際に特戦部隊の隊員を手榴弾で死傷させた凶悪犯である。そんな少女に天誅を下したリサに喝采を上げる市民が圧倒的に多かった。
「凶悪犯を逮捕したリサ・シジョウを刑事罰に問えば、そして懲戒免職にすれば、治安部隊の士気が下がり、治安は悪化する一方だろう」ということで、「リサ・シジョウを守ろう」という署名運動やデモが行われた。
ちなみにリサ・シジョウの言い分はこうだった。
「ここで犯人を逃せば、マオー氏とヤハー氏の孫がまた狙われる。確実に犯人の体の自由を奪うべきと判断した」
「警告や威嚇射撃をしていたら、また逃げられていた。犯人の動きを止めることを優先した」
「少女の身体能力の高さは警戒すべきレベルにあった。倒れていても、いつ反撃されるか分からなかった。よって動きを確実に封じるため、両手を撃った」
そして、リサ・シジョウは罪に問われることなく、減給処分だけで済んだ。
そもそもトウア国において『逃走する犯罪者に対する銃の使用』は違法行為ではない。『犯人を撃つ前には必ず警告、威嚇射撃をしなくてはいけない』『倒れた犯人をさらに撃ってはいけない』という規則もない。そういった判断は現場の隊員に任せられている。
だが昔から人権派の市民団体は「治安部隊の銃の使用を法で縛り、規制するべきだ」と訴えていた。そういう連中は鳴りを潜めたとはいえ、今も細々と活動している。今日も一部の『アンチ・リサ派』がネットを使い、リサを痛烈に批判していた。
『あのヒロイン・リサが、少年少女に、警告もなく威嚇射撃もせずに突然銃撃した』
『逃げる少年と少女の後ろからヒロイン・リサは銃撃した。正当防衛は認められない。リサ・シジョウは殺人行為を犯そうとした』
『倒れている少女にさらに銃弾を浴びせた冷酷者リサをクビにするべきだ』
『堕ちた治安部隊のダークヒロイン・リサ』
『リサ・シジョウのような危険人物に殺人訓練をさせ、銃を持たせる治安部隊は反平和の象徴だ』
『リサ・シジョウのような問題人物がいる治安部隊に法的な銃の使用規制を。今度はあなたがリサ・シジョウに撃たれる』
こうしてリサはネットに流された動画をきっかけに、再び世間の注目を浴びることになってしまった。もちろん応援する者も多いが、敵も多いという感じだ。
一部のえげつない週刊誌では『ダークなヒロインの夜の生活もやっぱりダークで暴力的?』と下品な話題を振りまいていた。その夫であるセイヤも、子どもの頃に起こした木刀事件から暴力的な人物とされ、夫婦ともども暴力的ということで、激しい性生活を想像させる記事に仕立て上げられていた。
そんな週刊誌の影響を受けたのか、ネットの世界では、匿名の書き手によるリサとその夫セイヤをネタに創作された小説がアップされていた。
『セイヤがリサの秘部に銃弾を撃ち込み、昇天させる』という吐き気がしてくる内容のもので、リサは血液と愛液にまみれ、悦びに満ちながらも、暴力夫セイヤの放つ銃弾で子宮をめちゃくちゃにされていく様子が描かれていた。
あとがきには「暴力夫婦の末路はこれがお似合い」「暴力夫婦のもとに暴力の血筋を引く子どもが生まれませんように、という願いを込めました(笑)」と作者から悪意ある言葉が吐かれていた。
事実、この物語の感想を述べるコメント欄には「リサたんを犯したくなりました~」「リサたん、夜道には気をつけようね」「子宮をめちゃくちゃにしてあげたい。リサたんに暴力っ子を産ませないようにしましょう」というものがあった。もちろん、多くはこの作者に対する非難、批判コメントが並んでいたが。
このほかには――セイヤとリサの子どもは暴力の血筋を引くモンスターとなり、社会に害を及ぼしていくという話や、暴力夫婦であるセイヤとリサが子どもを虐待する話もあった。
誰が書いたのかは分からないけど、ルイは下劣を通り越した底意地悪い人間の醜悪さを垣間見た。……いや既視感があった。
――そう、なんだか、あの時の養護施設でのイジメを思い出すわ――
ただ、あの時と違うのは……嫌がらせをしているほうは、『悪人リサ・罪人リサ』を懲らしめてやる正義の行いだと思い込める点だ。「これは正義の鉄槌だ」として、罪悪感を抱くことなく『悪人リサ』をいたぶり虐めることができてしまう。
リサがこうした一部の人間たちにつけ狙われるのが心配だったが、セイヤがいるからひとまず大丈夫だろう……通勤など外出時は必ず二人一緒に行動しているという。勤務体制についてセイヤが上司に相談し、仲間からも配慮してもらっているらしい。
――いい上司と仲間に恵まれたようね――
仲間といえば……ルイは思い出し笑いをした。そう、リサやセイヤ以外に、たまにジャンから何気ない様子伺いのメールが来る。いつもの調子でおしゃべりするかのように職場での様子をおもしろおかしく伝えてくれる。
――あの頃は平和で楽しかった……――
ルイはジャンとリサとセイヤの4人で遊んだ時のことを振り返る。セピア色になってしまったかのように遠い昔のことのようだ。
ため息をひとつつき、パソコンを終了した。
ベッドに戻ってからも、ルイの頭の中をいろいろな考えごとが駆け巡る。
リサのことも心配だったが、アリア国のことも気がかりだった。シベリカ国の支配から脱しようとしているものの、政情は不安定だった。
そもそもトウア国籍を持つルイは、アリア国の政治に関与できない。アリアの国籍を取り戻せるのか?
アリア人の中には、戦時中、ルイは母親と共にトウア国に逃れ、帰化し、アリア国を捨てたとして、ルイ・アイーダを非難する者もけっこういるという。
でも、ルイがトウアに疎開したのは赤ちゃんの時だし、子どものルイには何の決定権もなかった。
が、彼らにとってみれば、そんなことは言い訳に過ぎないのだろう。
自分はそう簡単にアリア人に受け入れてもらえないかもしれない――ルイ個人の問題も難関が待ち受けている。
「ひとつひとつクリアーしていくしかないわね」
多くの犠牲を払って、ここまで来たのだ。負けられない。
もう一度、ジャンからのメールを見て、元気をもらう。
空が紺青色へと変わる頃、ルイはようやく眠りについた。