本当の敵
――私の父は中学校教師をしていた。
ここトウア国では弱者である子どもの人権をとても大切にしている。もちろん、体罰などは禁止だが、子どもを傷つけるような発言も注意を払う。子どもを叱るという行為に大変気を遣う。
だから、子どもが何をしても見て見ぬふりして放置する教師も多い。口で優しく「いけませんよ」と言うだけだ。例えば、子ども同士でイジメがあっても「仲良くしましょう」「暴力はダメですよ」と呼びかけるだけで、それ以上は踏み込まない。あるいは「これはイジメではない。子ども同士の悪ふざけ」ということにして、あとは何か大きな問題が起きないことを祈るだけだ。
子どもの世界では「イジメ」はよくあること――大人の世界にだってあるのだから当然ね。
この世からイジメはなくならない。犯罪、暴力、戦争がなくならないのと一緒。
ある時、父が担任する教室でそのイジメが起きた。
いえ、前々から父は気づいていて、それとなくいじめっ子たちに注意していたのだけど、いじめっ子たちはどこ吹く風でイジメをやめなかったようだ。
そこで、ついに父はいじめっ子たちを強く叱った。
だけど子どもたちは知っている。教師はこれ以上、何もできないことを。
いじめっ子たちは父をあざ笑うかのように反論した。
「先生、確固たる証拠もなく、オレたちを犯人扱いして、これって人権侵害です」
「オレたち、傷つきました。精神的苦痛を受けました。これって体罰と同じで禁止されてますよね」
そして、いじめた子に向かって問う。
「お前、先生にいじめられているって言ったのかよ?」
当然、いじめられている子は否定する。
「ほら、オレたちイジメてなんていませんよ」
「先生、謝ってください」
父はいじめっ子生徒たちから詰め寄られた。しかし、父は謝らなかった。確信していたからだ、イジメは確実にあると。ここで謝ったら、いじめっ子たちはますます増長して、イジメをやめることはなくなるだろう。
ほかの生徒たちはただただ黙って、ことの成り行きを見ていたという。父の味方をするでもなく、かと言って、いじめっ子たちに同調するでもなく、距離を置いていた。……当然、イジメも見て見ぬふりをしていただろう。ガラの悪いいじめっ子たちが怖くて、関わり合いにならないようにしていたのかもしれない。
謝らない父にイラついたのか、いじめっ子グループのひとりが父に襲ってきた。
父はとっさに、いじめっ子を叩いた。いじめっ子は転び、鼻血を出した。
その後、父はいじめっ子の親から訴えられた。禁止されている体罰を行い、子どもの人権を踏みにじったと騒ぎ立て、学校と父に謝罪と慰謝料を求めてきた。
父は謝罪はしたものの、慰謝料支払は拒否した。
「今の学校教育の在り方は歪んでいる」として「教師にもっと権限を与えるべきだ」と訴えた。このままでは教師は子どもを指導することなんてできない、イジメ問題が起きても、教師は蓋をし、見て見ぬふりをするしかなくなる。
しかし、被害者を装ういじめっ子の親は世間に訴えた。
このいじめっ子の父親は新聞記者だった。『教師の横暴を告発する』という内容の記事を書いて、世に問うたのだ。
当時のトウア世論は『教師=教室内での強者』と捉え、強者から弱者を守るべきという考えに染まっていた。『強者に権限を与える』などとんでもないことだった。
マスメディアは父を悪に仕立て上げた。生徒を叩き、心を傷つけ、自分の指導力不足を棚に上げ、権限が欲しいなどと恐ろしいことを言う横暴教師だと。
また『平和と人権を守る教職員連合会』からも突き上げを食らい、父は学校でも孤立無援の状態だった。
悪いことは重なった。
ある時、父は通勤電車内で、痴漢をしたと訴えられた。通勤電車内は満員で、女性はすぐ後ろにいた父を犯人扱いした。
もちろん、父は「やってない」と否定した。
が、弱者である女性の供述だけが「正しい」とされ、否定し続ける父は「反省していない」ということで、長期間拘留され、起訴され、被告人となった。
当然、このことはマスメディアに取りざたされた。
週刊誌には『横暴教師、痴漢もやっていた』『暴力エロ教師』と騒がれ、テレビのワイドショーでも大きく取り扱われた。
父は『弱者である子どもと女性の人権を踏みにじる恥ずべき悪人』として世間から断罪された。
裁判を待つ身となった父は、保釈請求が通り、家に戻ってきた。そして、母に離婚を申し入れた。現在の姓を捨て、旧姓になり、私を連れて、実家で新しい生活をスタートさせたほうがいい、と説得した。
たしかに、母も周囲から白い目で見られたり、あるいは過度な同情をされたり、精神的に辛い思いをしていた。私も学校で皆から距離を置かれ、仲間外れにされ、イジメにあうようになっていた。誰も助けてくれなかった。
母は父の提案に従った。母としては、私を守るための偽装離婚のつもりだった。
父と母が離婚し、母の実家へ身を寄せてからしばらくたったある日、父は首をつって自殺した。
世間から、マスメディアから、父は虐め抜かれ、ついに命を絶ったのだ。
父と連絡がつかなくなり、様子を見に行った母が、父の首つり死体を見つけた。
今なら、その遺体がどういう状態だったか、想像つく。
首つり死体は、舌が伸び出て、糞尿が垂れ流しとなる。惨めな死にざまだ。
母は精神を病んだ。離婚して父を独りにしたことを悔いた。父を死に追いやったのは自分だと責めた。
その間に、頼りにしていた祖父も祖母も亡くなり、10年後、父の後を追うかのように母も自殺した。
今度は私が母の遺体を確認した。
母は自宅マンションの8階から飛び降り、地面に激突した。
脳漿を地面に散らした母の遺体を、私はずっと凝視していた。この姿を目に焼き付けた。今でも決して忘れない。
当時、私は20歳になっており、トウア国立大学の3年生になっていた。
両親ともに自死で失った私は暗い学生だった。
最初は同情してくれた大学の友人も、私から距離を置くようになった。
ただ、友人たちは私の父が世間で騒がれた『横暴エロ教師』ということも、自殺したことも知らなかった。家族のことは友人にあまり話さなかった。そんな心の許せる友人などいなかった。
そのうち大学に通うのも面倒になった。このまま消えたいと何度も思った。授業やゼミも休んだ。
もう、どうでもいい――虚無感が私の心を覆っていた。自殺する元気さえなかった。そう、自殺するってエネルギーいるものなのね……何もかもが億劫。
そんな私を気にかけ続けてくれたのが、ゼミの研究室の先生だった。
先生は根気よくゼミに出席するよう声をかけてくださった。先生の優しさに救われ、私は自暴自棄から脱することができた。
当時、先生はマスコミについての研究をされており、マスメディアが世論を作り上げていくことに警笛を鳴らしていた。
私の父と母を殺したのは世間という魔物。その世間を作り上げのがマスコミだ。
そう、人々を操ることができるマスメディアこそ真の強者だ。政治家でさえ屈服させることができる真の権力者だ。巧妙に正義を掲げながら、人を社会的に抹殺し、そして時には本当の死に追いやることができる究極のいじめっ子。
――銃で人を殺すこともできるけど、ペンも人を殺すことができるのだ。言論も凶器だ――
私は先生の考えに共感した。
新聞や週刊誌もなかなかの凶器だけど、やっぱりテレビが最大の凶器かしら。
先生のアシスタントとなった私は研究に没頭した。
私の心は先生によって救われたと言っても過言ではない。
――でも、世間=マスメディアは先生をも私から奪った――
もう7年くらい前になるのかしら……。
中央地区の繁華街の一角にある銀行で強盗事件があり、その際、建造物爆破事件が並行して起こった。組織的なテロ事件として世間は騒いだ。
その時、ワイドショーにコメンテータとしてテレビ出演していた先生は「治安部隊だけでは手に余るような場合、軍を出すべきだ」と発言してしまった。
当時のトウア国では平和運動が真っ盛りで、『軍=戦争』というイメージに支配され、軍という存在を嫌っていた。軍は年々予算を削られ、軍人は多くの人から白い目で見られた。治安部隊でさえ、人殺しの道具である銃を携帯し、正当防衛と称して射殺することができる存在として、一部の市民団体から突き上げを食らっていた。
「軍を出せ」と発言してしまった先生は『戦争を肯定する危険人物』に仕立て上げられ、平和主義者たちの敵となった。
平和主義者たちは団体で先生の勤務先であるトウア国立大学にまで押しかけ、抗議の声を上げた。電話、ファックスも凄まじかったという。
先生は大学を辞めざるを得ない状況に追い込まれた。まるで犯罪者のごとく社会的制裁を受けた。
平和主義者たち――特に『平和と人権を守る教職員連合会』は先生をとことん追い詰めた。先生が心痛で倒れるまで。心不全を起こし、亡くなるまで。
こうして私の大切な人たちは、正義を掲げる世間によって、マスメディアによって、平和主義者たちによって、次々に奪われていった。
――私に黒い何かが生まれた。憎悪、怨嗟、憤怒……言葉では言い表せない……それらはみるみる膨らみ、私を支配した。
――ああ、はち切れそう、ぶち壊してやりたい、何もかも――
――あいつらが正義と平和を掲げるのであれば、私はその反対を行く――
それからの私は――
とにかく復讐がしたかった。復讐することが私の生きる糧となった。
――だけど、どうしたら復讐ができるのだろう?
まず敵を知ろうと思い、教員を目指した。『平和と人権を守る教職員連合会』に入るために。
そして、私は教師になった。
呆れたことに……いつの間にか学校教育の空気が変わっていた。体罰は『1発の平手打ちまでなら指導の範囲内』ということになっていたのだ。
かつて、父が「教師にもっと権限を与えてほしい」と訴え、世間から叩かれてからは、公立学校の教師は生徒に一切注意をしなくなり、生徒がどんなに授業中騒ごうが放置するようになった。
そのことを問題視すれば、教師側から「生徒に静かにするよう強制することも、生徒にとって苦痛を与えることになる、体罰に当たる」という言い分が出た。教師は生徒に対し指導することを一切放棄した。
もちろん、イジメ問題にも一切関与しなくなった。いじめられた側に対し、警察に行き、被害届を出すように勧めるだけだった。モノを取られたり隠されたり壊されたりしたら『窃盗罪や器物損害罪』で、悪口を言われたら『名誉棄損』で、暴力を振るわれたら『傷害罪』で告訴するようアドバイスするにとどまった。あとは生徒同士または親同士で話し合い、解決してくれということだ。
教師にはもう生徒を指導する権限すらないのだ。教師と生徒は対等の立場であり、生徒を指導するなどおこがましい、と教師側が手を引いてしまった。
教師の仕事は淡々と授業をするだけである。生徒が聞いているのかいないのかは問題にしなかった。そのほうが教師にとってもラクだった。
やがて公立学校教育が崩壊し、真面目に勉強をしたい者は私立の学校へ行くようになった。私立の学校は公立ほど教師への縛りもなく、停学処分や退学処分という罰を生徒に与えることができたので、生徒もそう自分勝手ができなかった。教師の言うことを聞くという空気が存在していた。親もそう簡単に教師や学校を訴えることができない。「不満があるなら退学して、ほかの学校に行ってください」となるからだ。
しかし、私立へ行けるのは経済的に恵まれた家庭の子だけだ。公立にしか行けない子は、静かに授業を受ける権利を、授業を妨害する子によって奪われるのだ。
子ども同士、どちらも弱者である。――弱者の権利が、弱者に奪われる事態となった――
ここでやっと世間も「授業を妨害する子」「いじめっ子」に対する相応の罰が必要だと気づき、「教師にもう少し権限を与えよう」という空気になっていったようね。
笑っちゃう……。
「教師にもっと権限を」と主張した父を殺しておきながら、ずっとあとになって、父と同じことを世間は主張するようになった。しかも父の存在などなかったかのように世間はふるまった。あれだけ叩いたくせに、父のことなんかとうの昔に忘れていた……。
そして、世間はまた同じことを繰り返す。
7年前「軍を出せ」と言った先生を散々批判したくせに……国会襲撃事件が起こり、シベリカ人の暴動が起き、自分たちの安全が脅かされる事態になると「軍を出せ」と叫び、逆に「軍が国内犯罪問題に手出しすべきではない」と主張する者を叩くようになった。
そう、私こと『ミスズ先生』も叩かれたわ(笑)
――許せない――
本当に恐ろしいのは世間という魔物よ。
その世間を支配するマスメディア。テレビ局は巨悪と言っていいかもしれない。
あいつらは善人面をし、正義を掲げながら、人を虐め抜き、巧妙に人の命を奪う恐ろしい奴らよ。子どものイジメ以上に卑怯で悪どいわ。
平和主義者もそうね。
私が共和党のために働くようになったのは……先生が生前、共和党を応援していたことがきっかけだった。共和党のために働くことが先生への供養になると思った。そして、何と言っても共和党の掲げる公約のひとつに『マスメディアの無力化』があったことが一番大きかった。
今、テレビ局は大きな力を持ち、トウア国には公共放送局のほか民放4局があり、独占状態だ。だから彼らテレビ局の社員の給与は、ほかの民間企業に比べても異常に高い。この独占状態をなくすべきだと訴えていた共和党に、私は大いに共感した。
だけど、ひとつ誤算があった。
党首の第一秘書をやっていたリバー氏と恋仲になってしまった……。
――やっぱり人間、なかなか孤独を貫けないわね――
リバー氏は私の孤独につけこみ、利用しようとしているのかもしれない。けど、ついリバー氏の甘い言葉に酔わせられてしまう。リバー氏の雰囲気が先生に似ているからかしら……。
共和党のために働いていたつもりだったけど、いつの間にかリバー氏のために働くようになってしまった……。
――それでも、私の目標は変わらない。
そう、私の大切な人たちを死へ追いやったトウアの世論を操るマスメディアをつぶすこと。これが私の真の目的。
ただ、共和党がダメになった今、どうしたらいいのかしら。ほかに『マスメディアの無力化』を訴えている党はないし、どちらかというと『マスメディアを利用しよう』と考えている党や政治家が多い。
ちなみに今、マスメディアの標的になっているのは共和党とサマー医師よ。そしてクジョウ首相も、臓器売買が疑われるシベリカで心臓移植を受けたマオー氏とヤハー氏の孫のことを隠そうとしたとして、人気が落ちたわ。
リバー氏も警察で取り調べを受けている……。
大丈夫かしら……けど証拠がないから、なんとか切り抜けられるわね。私とサラが捕まらなければ大丈夫……。
そういえば……サラとキリルはどうしているかしら。今、警察捜査隊が『シベリカ人街』の強制捜査のようなことをしているらしいから、ちょっと心配ね。
サラとキリル――
彼らとは、教師となった私が『平和と人権を守る教職員連合会』に入ってから、知り合った。私たち『平和と人権守を教職員連合会』はシベリカ人学校をよく訪ね、シベリカ人学生らと仲良くしていた。
トウア国において『権利が制限されているシベリカ人をはじめとする外国人』について、『平和と人権を守る教職員団体連合会』は差別だと訴えていたけど、国家というものがある限り、自国民と外国人の間で権利の線引きをされるのは仕方ないことだ、と私個人は思っている。ほかの外国で生活しているトウア人だって、その国では権利の制限を受けている。
国家を維持するために、その線引きは必要悪よ。じゃあ、国家をなくせばいいってことになるけど、理想論ね。
――人間は線引きが好きな生き物なのよ――
その頃、リバー氏は極秘にシベリカ人らを監視、調査を始めていた。ええ、トウア政界の何人かは、シベリカ工作員が潜り込んでいることに感づき、何か仕掛けてくるだろうことをすでに想定していたわ。
そのうち、サラとキリルが工作員である疑いが浮上してきた。
ちょうど『平和と人権を守る教職員連合会』に入っていた私は、リバー氏から「彼らから情報を引き出せ」という命を受け、彼らに近づいた。
キリルはともかく、サラはそっけなく、なかなか心を開いてくれなかった。
けど、サラにはなんとなく私と似たところを感じた。周囲の人たちと一線を引き、決して世間に馴染むことはない、常に疑っている、信用しない。そして憎悪、怨嗟、憤怒……言葉では言い表せない黒い何かに支配されている――サラもそうだったのではないかしら。
ある時、私は自殺した両親の話をし、天涯孤独であることを明かした。世間を恨んでいることも。そして実は――自殺という手段で私を置いて、永遠に離れて行ってしまった両親についても裏切られた思いがある、と。結局、私は捨てられたのかもしれない、と。
そう、両親は私のことよりも、この世から逃げることを選んだ。私は優先されなかった。彼らの優先順位の下位に置かれたのだ。
――私は、両親から捨てられた人間。世間から何もかも奪われた人間。何も持っていない人間――
――持っているのは黒い心だけ――
そんな私の話を、サラは聞いてくれた。その間、サラは無表情だったけど、ずっとお守りのようなものを握りしめていた。
そのうち、サラのほうから私に取引を持ちかけてきた。サラは自分が欲しいものを私に提示した。そして私に「お前の欲しいものは何だ?」と訊いてきた。
恐るべき勘の鋭さ、いえ、観察力の鋭さと言った方がいいのかしら……サラは私の正体、目的を見抜いていた。
私とサラは極秘で取引をした。そして、それぞれの目的のために動いた。
もちろん、心臓移植を受けた子どもたちを殺害するサラに協力したことでは、それなりの罪悪感は持っているわ。殺された子どもたちには悪いことをしたと思う。
けど、そもそもシベリカ人の子どもを犠牲にした上で、その子たちは生きていた……つまり罪悪の上に生きてきたのだから、お互い様だと割り切った。そう、手術を受けられなければ、とっくの昔に死んでいた子どもたちよ。
――その子どもの親からすれば、シベリカの子を犠牲にしてでも生きてほしかったのね――
ああ、そんな親を持った子どもがちょっとうらやましい。親は『悪』になってでも、子どもを助けようとしたのよ――私もそのくらい愛されたかった。だから、サラに殺された子どもをかわいそうだとは、あまり思ってないの。
人間、欲のために他者を犠牲にしてしまう生き物なのかもしれない。私もそのひとりということよ。
そんな私を『悪』と呼ぶなら呼べばいい。
だから『悪人』のミスズ先生は、良識ぶるマスメディアや平和主義者をはじめ『善なるもの』が大っ嫌いだったの(笑)
とことん『悪』になってやるわ。
ああ、そうそう、党首討論会の時、サマー医師を連れて公共放送局のスタジオに乗り込んだ若い男。数年前に週刊誌で話題になった「過去に木刀暴力事件を起こした問題人物、あの『ヒロイン・リサ』の夫だ」と一部の週刊誌が暴いていたわね。
けど、共和党とサマー医師とマオー氏やヤハー氏、そして殺害された3件の被害者のことのほうに世間は注目していたので、すぐに忘れ去られたっけ。
あの『ヒロイン・リサ』もその夫も気をつけてほしいわね。世間の餌食にならないよう祈るわ。
――そう、私にとって真の敵はマスメディアと平和主義者なの――
『平和と人権を守る教職員連合会』はつぶしてやったわ。
『ミスズ先生発言』でも打撃を与えることができたけど、その後、国会襲撃事件の犯人のシベリカ工作員の一人が『平和と人権を守る教職員連合会』に所属していた元教員であったことをネットに流したの。『平和と人権を守る教職員連合会』には多くのシベリカ工作員が紛れ込んでいるってね。その元教員……名前はサギーだったかしら……。
マスコミの連中に一矢報いたい。これが私の人生をかける目標になった。
私の本当の敵は――シベリカではない。