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約束  作者: 桂まゆ
4/4

「あの」

 バス停で、高校生ぐらいの女の子が声をかけて来た。

「すみません。この場所に行きたいんですけれど」

 「解りますか?」と、差し出された、ラフ書きの地図。

 「日比野クリニック」の文字に、唇が自然とゆるむ。

「あの?」

「ああ、ごめんごめん。ここね。この地図だと、解りにくいな。この道をまっすぐに行くと、右手に『中央信金』の看板があって……」

 そう言えば、二年前。おれもここで道を聞いて。

 確か、女だった。変な事を言われたような記憶がある。

「ああ、君、気をつけて」

「あそこって、『自殺の名所』って呼ばれているらしいから」

 振り返った、少女。驚いたように目を見開いた後で見せた不機嫌な表情が、印象的だった。

 どこかで見た、顔。



 『自殺の名所』か。自分でも、上手い事を言ったものだと思う。

 そう。おれは、あそこで自分を殺した。

 数日前までの自分を、殺したのだ。

 あの少女は、「日比野クリニック」に行くのだろうか。そして、見るのだろうか。

 あの病院の惨劇を。



 自宅の扉を開けると、饐えたような匂いが鼻についた。

 夏は、ものが腐りやすい。

 ちゃんと、冷蔵庫に入れて置けばよかったと思いながら、匂いの立ち込める部屋を除く。

 そこには、おれの事を一度たりとも愛してくれなかった母親が居た。

 昨日、三か月ぶりに帰って来た母親は、今はその部屋で異臭を放っている。

 きっと、最後の瞬間まで、自分に何が起こったのかを理解していなかったのだろう。最後の台詞は――声にはなっていなかったが――「どうして?」という形に唇が動いた。

 母親のくせに、おれの殺意が解らない。だから、お前は殺されても仕方がないのだ。


 医者のくせに、おれの中の寄生虫を殺す事もできない。

 そんな役立たずなど、消えてしまえば良い。

 消してやる。全て、消してやる。学校も、友人も。

 あの寄生虫に関わったもの、全てだ。

 そうすれば、あの寄生虫は二度と現れないだろう。



 酷く、心が泡立っていた。

 何かを求めて、それが何か解らない。

 何の意味もなく部屋を漁っていると、それが目に入った。

 衣装ケースに丁寧にしまわれた、白いドレス。

 かつて、母親が着たウエディングドレスだ。

 その母親は、もう居ない。自室で饐えた匂いを放っているだけ。

 そっと、衣装ケースを開ける。

 ぷんと、古い防虫剤の匂いがした。

 その中に見つけた、手紙。


 その手紙は、「初めまして」で、始まっていた。



 初めまして、相良俊三さん。

 あなたが、この包みを開ける時は、きっとこの中身を捨てる決意をした時だと思います。

 それとも、開けずに包みごと捨てるかも知れませんね。その時、この手紙はあなたの目に留まることもない筈ですが、なんとなく、あなたなら包みを開けて中身を確認せずに何かを捨てるわけがないと、そう思って、手紙を記しました。


 好きでした。

 あなたの事が好きでした。


 あなたは、そう、言って欲しかったんでしょう? 誰かに、言って欲しかったんでしょう?

 だから、言います。わたしも、あなたも、両親に愛されなくて。

 だから、あなたは愛を求めていましたね。母親を――女を求めていましたね。

 私は、きっとそんなあなたの切望を埋める為に、生まれたのじゃないかなって、そう思います。


 一日中、家の中に閉じこもっているあなた。

 誰の言葉も聞こうとしない、あなた。

 そんなあなたの事が、わたしは好きでした。

 どうしてだと思いますか?

 あなたが、わたしだから、です。

 両親に無視され、鏡の中に母親を求めた、あなた。

 そんなあなたを愛おしいと、私は思いました。


 わたしは、あなたに、恋をしました。


 あなたに恋をして。わたしは、生まれました。

 あなたは、わたしの存在には全く気付いていませんでしたけれど。


 わたしの存在は、あなたには不要でしたか?

 でもね、私を生んだのは、確かにあなたなのです。


 そう。あなたは、確かに女性に――母親に憧れていましたね。

 だから、こんな服をとても大事にしていたんですね。わたしは、知っています。


 わたしが、「あなた」だから。

 きっと、あなたを本当に理解できるのは、わたしだけ。

 だから、あなたの事が大好きでした。


 人間って、きっと自分事が一番大切なんだと思うのです。

 だから、わたしは生まれて来たのでしょう。

 あなたを、守る為に。




 そこには、誰からも告げられた事のない言葉が記されていた。

 そこには、おれがずっと欲しかった言葉が記されていた。


 「好きでした」。「恋をしました」。


 自分の最大の理解者が、自分なのは当たり前だと思っていた。

 そう。「わたし」は、こんなおれの本当を知って、それでも理解してくれた。

 おれよりもおれに優しい存在。


 駄目だ。

 もう、手遅れだ。きっと「彼女」もおれを許すわけがない。

 いや、例え「彼女」がおれを許したとしても、周りの誰も、おれを許さない。


 ならば、どうする? どうすれば良い?


 鏡に映る、おれの顔。

 そっと、手に持っていた母親のドレスをあてがう。

 そこには、確かに「彼女」が居た。


 そうだ。

 逃げよう。逃げるんだ。




 ――そして、おれは何もかもを捨てて、JRに乗っていた。

 海を選んだ理由は、今が夏だから。

 海から遠い場所に住み、しかも引きこもっていたおれにとって、夏の海は「敬遠したい場所」ベスト5に入るだろう。うだるような熱気、海岸にあふれる人の群れの喧騒。売店で売られる、不衛生な食べ物。臭気。ゴミの山。

 五感の全てが「不快」と感じる。


 それでもおれは、地図アプリを頼りに、目指す場所へと向かって行った。

 「西国一」美しい景観だと呼ばれる場所。

 雑木林を抜けた先に、広がる光景。

 そこに在るのは、空の青と海の藍。

 目指す先は、「西国一」と呼ばれるほど美しい景色が広がっている筈だった。

 だが、そこに居たのは……。


 白いドレスをひるがえしながら、振り返ったのは――。



 雑木林をひたすら、走る。

 見なかった。あれは、幻だ。

 母親は、死んだ。あの、うだるような暑さの中で腐敗している筈だ。


 立ち止まるな。走れ。


 捕まるな!!


 そんなおれの脳裏に響く、言葉。


(だから、言ったでしょう?)

(あそこの患者さんって、後になって自殺される方、多いんですよ)

 誰かが、くすくすと笑っている。

 まるで、悪夢のように。


 そうだ。いつもそうだった。

 誰も、おれをまっすぐ見ない。いつもこそこそ、陰口を叩いている。

 おれの事を好きだと言ってくれたのは、誰だった?

 解らない。もう、解らない。


 と、不意に、目の前が開けた。

 あれが、終点だ。ようやっと、雑木林を抜ける事が出来たのだ。

 少しだけほっとして、それでも速度を緩めることなく、光の先に向かう。夏の、目を焼くような陽光が、おれを包み込んだ。

 目を細め、光を全身に浴びる。

 だが、そこに広がっていた光景に、おれの身体は凍りついた。


 荒々しい、波の音。

 そそり立つ、断崖。

 

 それは、つい先刻、地図アプリを片手に到着した場所と同じ景色。母親の亡霊を見て、逃げだした場所。

 大丈夫。何もない。

 在るのは、荒々しくも美しい自然の美。

 

「だいじょうぶ、だよな?」

「大丈夫なわけ、ないじゃない?」

 声は、背後から聞こえた。

 おれの声で、そいつは告げる。

「そう、言って欲しかったんでしょう? わたしに?」


 おれは、彼女を知らなかった。

 でも、彼女はいつもおれの傍に居てくれた。


 振り返ると、真っ青な空の下、白いドレスの裾が翻る。

 顔はよく解らない。何故なら、おれは「わたし」を知らないから。


「どうして、此処に来たの?」

「あんたなら、解る筈だろ?」

 おれの応えに、「わたし」は笑った。

「そうね」


 真っ青な空と、ギラギラと肌を焦がす太陽。

 そして、林を吹き抜ける、気持ちの良い風。

 風に背を押されるように覗き込んだ先には、岩を白く染める、波しぶき。

 遠くを見はるかせば、陽光を浴びてきらきらと輝く、海がどこまでも続いている。

 綺麗だと、おれは思った。多分、「わたし」もそう思うだろう。

 だから、この場所を選んだのだ。


 おれと「わたし」は、碧い海に飲み込まれた。



   <了>

読んでいただき、ありがとうございました。

こちらは、「夏のホラー2013」参加作品となっております。


ホラー?

一応、そのつもりです。(苦笑)

ええ。怖くなくても、ホラーなのでしょう。……多分。


一番怖いのは、推敲前のものを……ああ、怖かった。

手直ししたい部分はまだありますが(ラストエピソード、入らなかったし)それを入れると「序破急」じゃなくなってしまいますので、あえてこのままで。


読んでいただき、本当にありがとうございました。

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