三話
静琉は理解していた。
どれほど本退院が難しいのか。
長い入院生活で、痛いほど理解していた。
「――明日……」
静琉は、壁に掛けてあるカレンダーに一つ×を付けると呟いた。
一週間、待ちに待った仮退院が出来ると思うと、静琉の顔には自然と笑みが浮かんだ。
もう待ち切れないとでもいうように、鞄に必要な物を詰め始めていた。
「気が早いなあ、静琉は」
「だってもう明日だ。ワクワクするじゃない?」
「ワクワク、ねえ」
病室の入り口に体を預け、暁は笑った。
「遠足を楽しみにしてる子供みたい」
それは当たらずとも遠からずだった。
静琉はキョトンとした顔で暁を見、顔一杯に笑みを浮かべた。
「うん、そうかもしれない!」
「あんたねえ……」
呆れたように言う暁に、それでも静琉は笑みを崩さなかった。
静琉は鼻歌を歌いながら、荷物を詰めるのを再開した。
鼻歌――偲ぶ雨という昭和60年代に流行った演歌、それを少し自分風にアレンジしながら静琉は歌っていた。
「……あんた渋すぎ」
暁が言うのも無理はない。
静琉は横目で暁を見て、ニッと笑い今度は口に出して歌い出した。
無駄に効いている小節、ノリノリで静琉は歌っていた。
「病室では静かに、でしょ」
「分かってるけど、嬉しくってつい。……で? 何で、暁がいるの?」
「今更? 手伝いに来たんだけど必要なさそうだねー」
病室に入ってきて暁は言った。
しかし、静琉が詰めていた荷物を見て「それいるの?」と呟きながら、片手にのる大きさのぬいぐるみを手に取った。
「それは昔父さんが買ってくれたんだ。いっつも一緒に寝てたから……」
「もう高校生なのに」
その言葉にはどこか馬鹿にしたような含みを感じ、静琉は目尻を下げて笑った。
つきり、と胸の奥が痛んだ。
――高校生だから。
静琉は暁の手からぬいぐるみを取ると、窓際に置いた。
「うん、荷物になるから」
それはただの言い訳に過ぎなかった。
高校生だからぬいぐるみと寝るのは可笑しいのだろうか。
静琉はぬいぐるみを一撫でして、暁に向き直った。
「そうそう、静琉。あんた、あたしと一緒のクラスだから」
「そうなんだ」
「目が行き届くしね」
「大丈夫なのに……」
「あんたを心配したおじさんの配慮よ」
つい最近顔を見た孝昌を思い浮かべ、笑った。
「まっ、嫌って言ってももう決定事項だから仕方ないけどね」
「別に嫌じゃないよ。どっちかって言うと暁と同じクラスでよかった」
穏やかに笑って言う静琉に、それを目の当たりにした暁はほんの少し頬を染めた。
「あー、もう! さらっとそんなこと言えるあんたって……」
「なに?」
「別に! いい、静琉? もし体調悪くなったらあたし、それか兄貴に言いなよ?」
「うん」
静琉は口ではキツイことを言いながら、気に掛けてくれる暁に胸が熱くなった。
暁の分かりにくい優しさが嬉しい。
そっと暁の手を取って静琉は笑った。
「明後日から同じ学校だね。楽しみだ」
「……あたしは気疲れしそうだけどね」
暁の憎まれ口も何のその。
既に気分は退院な静琉だった。