連治のバイト代が飛ぶ
寝返ってっも効果のない蒸し暑さと一瞬途切れてもすぐに始まる蝉の騒音で目を覚ます。
壁に視線を向けて、時計の針が7時を指しているのを確認した。
食欲ないがとりあえずキッチンに行くか。そう考えて、ベットから抜け出ることにする。
キッチンに行くと久美と姉が朝食をとっており、二人の食べる香ばしいトーストの匂いで食欲が少しわいてきた。
パンをトースターに突っ込むときにカレンダーが目に入る。
7月30日。
そういえば明日が夏祭りだったことに気づく。
トースターのスイッチを入れ久美に声をかけることにした。
「久美、明日夏祭りに行こうか?」
「ふふふ、連ちゃんやさしいのね。
久美ちゃん、私の昔の浴衣着ていっていいわよ。
場所あとで教えるわね」
若いっていいわねと意味不明なことをのたまう姉を無視し、パンが焼きあがる前に我慢できずに目玉焼きを食べていると、姉は言葉をつなげた。
「それとも、やさしい・お・に・い・さ・ん・が可愛い妹に浴衣をプレゼントしてあげる?」
やたらとお兄さんを強調するのは意味があるのだろうか。
久美に視線を移すと、口を開けて何かをしゃべる直前でフリーズしていた。
おそらく、二人の話にどう割り込めばいいのか分からないのだろう。
余りにかわいく感じたので、今月リールを買うのを諦め、浴衣を買うことが脳内会議で決定された。
「じゃあ、バイト代入ったし、これ食べたらいこうか」
久美にそう伝えると、姉は自分が提案したにもかかわらず、なぜか急に拗ねだした。
「あら、やっぱり・お・に・い・さ・ん・は妹にはやさしいのね」
二度目のお兄さんには、やたらとひがみのようなものが入っていた。
突然どうしたんだろう。
姉が不機嫌になるようなことを言っただろうか?
まあ、そのうち機嫌も直るだろうと連治は判断した。
いじける姉を無視することにして再度久美に提案したが、久美は姉の方を見て断ってきた。
さらにもう一度尋ねようかと思ったが、このままではらちが明かないと結論して、一方的に出発時間を通達することにした。
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普段使わない駅のエレベーターでの移動、段差のある場所を避けて遠回り。
予想以上に時間がかかって目的地に着いた。
熱気で充満した外から冷房の利いたデパートに入れて少しほっとする。
金曜日にしては意外と込んでいたな。
とりあえず冷たいジュースでも飲もうか。
連治はそう決めて、久美と休息所と書かれた矢印へと向かった。
「意外と時間がかかったな」
「すいません」
話のきっかけのつもりで切り出した言葉に久美がビクリと反応した。
おそらく批判的に感じたのだろう。
どうも家族に対して遠慮しすぎてるな。
どうすればいいだろうか。
しばらく考えていると、言葉使いから直していけばいいのでは?と思いだす。
よし、家族間丁寧語禁止令を発動しよう。
「家族と話すときはもっとフランクに話してよ」
なんかアメリカ人になった気分だ。
自分で言いながら自分の言葉が少し恥ずかしくなった。
他に言い方なかったかなと思っていると、再度久美がうつむいているのが目に入った。
「すいません。あまり慣れてないから。やはり変ですか」
また批判的に感じてしまったらしい。
そんなことないとまた慌てて誤解を解かなければいけなかった。
血のにじむような努力の末、家族は丁寧すぎない方が多少は自然だとようやく分かってくれたらしく、少しずつ変えていこうということになった。
「ありがとうございます」
少しずつ変えていくことになった。なったはずだが、説得が終わるとそう言われた。
おそらくアドバイスありがとうという意味なのだろうが…。
いきなりそう言われてじっと見つめた俺は悪くないと思う。
「あっ、ありがとう」
俺の視線を感じて慌てて言い直した久美によろしいと返事をして、10階の浴衣売り場へ行くことにした。
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「いらっしゃいませ」
にこやかな笑顔に営業スマイル。目が獲物を見つけたように輝いていたことから、話し好きであることが分かる。
肉食系だろう彼女のそばにいては危険だと判断して、久美を連れて彼女がいる通路とは別の通路から店を眺めることにした。
なぜ浴衣は花柄が多いんだろうか。
赤・白・黄色のチューリップや少女マンガのようにバラの花が咲き乱れている店内を久美と回る。回ったのだが、ほんとに回るだけで終わってしまった。
久美は服の買い物自体が未経験なのか。
これはどうかを何度も尋ねたのだが、浴衣をチラッと見ては俯いて、店員と目を合わすたびに俯いているだけだった。
このままでは何も決まらないので、仕方なく笑顔の貼りついた店員にお勧めを聞くことにした。
[こちらが売れ筋です」
この店で一番人気だという青い浴衣を持ってきてもらい、久美にどうだと尋ねると、ぽつんとチューリップと呟いた。
確かにチューリップの柄だったが気に入らないのかなと思っていたらそういう訳ではなく、孤児院によく届けられていたのを思い出しただけらしい。
「永遠の愛…」
店員はその瞬間獲物を捕らえた獣のように獰猛な笑みを浮かべ、わざとらしく大きく頷くて答えてきた。
「そうなんですチューリップの花言葉は永遠の愛です」
そう言った後に、どれだけ売れているか、通気性がいい、さっきも売れた、夜ではそんなに派手に見えない、このくらいがちょうどいい、よく似合う、等々長い営業トークが開始してしまった。
この店員大丈夫かと思っていると突然爆弾を投下してきた。
「彼女さんに贈られるなら、いいと思いますよ」
「いや、妹です」
即座に否定する。
何を言っているんだこの店員は、空気がびみょーになるだろうが。
話を変えるために、近くのマネキンにかかっている別の浴衣が目に入り、こっちもいいのではないのかと久美に提案する。
「フリージア…。親愛…」
どうも意外と久美は乙女趣味らしく花言葉をいろいろ覚えていることが判明した。
「なんだったら両方を試着してみます?」
店員が初めてまともなことを言ってきたので、それに賛同する。
試着室の前まで付いてきた後、義足のまま着替えるのは狭い更衣室では大変そうだったので、ワンピースの上からそのまま羽織ったらと提案した。
「こちらから試着いたしますか?」
店員がそう言って久美にフリージアの浴衣を渡す。
それを持って更衣室に入る久美に店員が帯を結ぶのを手伝おうかと声をかけたのだが、なぜか一人で着替えたいらしく断っていたのをみて、久美は意外と頑固なのかなと思っていた。
しばらくして更衣室から出てきた久美は、帯がむちゃくちゃだった。
それも含めてかわいかったが。
とりあえず明日は帯くらいきれいに結んでやりたいなと思ったが口には出さずに、似合ってるよと当たり障りのないことを言って終わってしまった。
なんていえば喜ぶのか、姉に聞いておいた方が良かったかな?
なんか珍しく少し機嫌が悪かったので、聞けなかったのだが。
「次は、チューリップの方も試着してみますか?」
店員の言葉で考え事を中断される。
そうだなと思って久美を見ると首を振っていた。
「いいです。これがいいです」
どうも永遠の愛はいらないらしい。
なんか振られた気分だが、これから家族として好きになっていくんだから、親愛のフリージアで問題ないはずだ。
多少残念な気もするが・・・。
丈が長さを久美に会わせてもらっている間、店員は営業トークをやめて自分のことを話しだした。
おそらく、浴衣を買わせたことでもう満足したのだろう。
初めての浴衣の夏祭りやら、浴衣で行った彼氏との海、そういえば去年私も妹から初バイト代でプレゼントをもらった等々止まらなかった。
ちょっと疲れてきたので、しゃべり続ける店員の話を聞き流すことにする。
初バイト代でプレゼントの話を聞いた時、そういえば今年から中華料理屋でバイトを始めたが、バイト代で一度も姉にプレゼントを贈ったことなかったことに、ふと気付く。
姉が不機嫌だった理由が分かった気がしたので、連治は、解決策としてレジ前に並べてあったフリージアのカンザシも一緒に買うことにした。
2011年 07月 28日―投稿
2011年 08月 04日―改定―迷惑かけます