第06話
三日後の実演が決まってから、時間は驚くほど早く過ぎた。
研究棟の一室を借り、私はほとんどユリウス様と二人きりで術式の調整に没頭していた。
朝は講義に出て、終わればすぐ研究棟へ向かう。
昼食も簡単に済ませ、夜は閉棟ぎりぎりまで机に向かう。
それでも足りなくて、寮に戻ってから複写ノートへ修正案を書き足す日が続いた。
なのに、不思議と苦ではなかった。
寧ろ、私は胸の奥でずっと熱を持ち続けていた。
誰にも理解されないまま閉じていた研究が、今は確かに誰かに届こうとしている。
その実感が、眠気も疲れも押し流してしまうのだ。
「また回復核へ魔力を寄せすぎている」
机の向こうから、ユリウスが言った。
「持続を伸ばしたい気持ちは分かるが、それでは外縁の浄化が痩せるぞ」
「分かっています。でも、ここで安定を削りすぎると、運用者の負担が増えませんか」
「だから同期層を先に補強するんだ」
「それだと障壁維持との接続に遅れが」
「遅れではなく、余白だ」
「……あ」
言われて、私は自分のノートへ視線を落とした。
ユリウス様の言う通りだ。
私はどうしても完璧に繋ぐ事ばかり考えてしまう。
けれど複合術式では、すべてを密着させるより、機能同士が干渉しないための遊びを残した方が安定することがある。
私は急いで式を書き直した。
「ここを空ける、んですね」
「そうだ。聖属性は真面目すぎる……詰めすぎると融通が利かなくなるぞ」
「属性にまで性格づけをするのはどうかと思います」
「だが、間違っていない」
「……否定しづらいですね」
思わずそう返すと、ユリウス様は僅かに口元を緩めた。
最初の頃は、その微かな変化を見逃していた気がする。
冷徹で無愛想、近寄りがたい学園主席。
そんな評判を聞いていたせいもあるのだろう。
けれど、こうして同じ机を挟んでいると分かる。
この人は、研究に対して誠実なのだ。
誤りは誤りと切る。
足りない部分は足りないと言う。
曖昧な慰めはしない代わりに、必要な場面では決して手を放さない。
それは私にとって、思っていた以上に心地よかった。
実際、この三日で私の術式は目に見えて変わった。
回復核、障壁維持、そして浄化。
それぞれが独立して動くのではなく、一つの流れとして噛み合い始めている。
まだ理想には届かない。
けれど少なくとも、完成まで来ていたのだ。
「――試すぞ」
ユリウスが立ち上がる。
「今日で最低三回は通したい」
「三回も?」
「なんだ、嫌なのか?」
「嫌ではありません。でも、倒れたら責任を取ってくださいよ」
「ああ、倒れたら運んでやろう」
「そういうことを聞いているのではないんですが……」
そんなやり取りをしながら演習区画へ移動する。
三日目ともなると、研究棟の職員たちも私たちに慣れたらしく、入れ違うたびに視線を向けるだけで余計なことは言わなくなっていた。
ただ、学園全体の空気は明らかに変わっていた。
リリーナの件は、正式な調査に入っている。
詳しい内容は公表されていないものの、暴走事故の原因が彼女の独自ではなかったことは、すでに多くの者が察していた。
そして、その起案者が私だという噂も、もう隠しようがないほど広まっている。
廊下ですれ違った生徒たちの視線は、以前のようにただ素通りするものではなくなった。
好奇心、驚き、探るような色。中には明確な敬意を含むものまである。
けれど、それでもまだ落ち着かなかった。
認められることに慣れていないのだと、自分でも分かる。
「集中しろ」
「え……」
「周囲を見るな」
「……見ていません」
「嘘だな」
「……少しだけです」
「それでも多いぞ」
言い返す余地もなく、私は息を整えた。
床に刻まれた補助展開円へ意識を合わせる。
回復核を厚くしすぎない。同期層を先に流し、障壁を薄く広く、浄化は遅れて重ねる。
何十回と繰り返した構成を、今度は一つも焦らずに組み上げていく。
――淡金色の光が、静かに広がった。
柔らかな膜のような障壁が空気へ溶け、澄んだ浄化の脈が外縁で脈動する。
中心では回復核が安定して熱を持ち、全体を支えていた。
「――持続、十二秒」
ユリウス様が淡々と告げる。
私は静かに息を吐いた。
「前回より二秒伸びた」
「はぁ……まだ足りませんね」
「欲張るな。三日前は七秒だった」
「そうですけど……」
「それに、浄化と障壁の噛み合わせは十分実用域だ」
実用域――その言葉は、私にとって【すごい】よりもずっと嬉しかった。
ただ綺麗なだけではなく、ただ珍しいだけでもなく、実際に使える術だと認められた気がしたからだ。
術式を解きながら、私はふと呟く。
「……怖いです」
ユリウス様がその言葉を聞くと同時、眉を上げる。
「何が?」
「実演です。失敗するかもしれないことも、もちろん怖いです。でもそれ以上に……もし本当に認められたら、って思うと」
そこまで言って、自分でも言葉に詰まった。
認められた先のことを、私はまだうまく想像できていない。
聖女候補としてではなく、研究者として見られること。
王宮魔術局に名を記録されること。
それがどんな重さを持つのか、実感が追いつかないのだ。
ユリウス様は少しだけ考えるように黙ったあと、短く言った。
「認められたら、次を作ればいいんだ」
「……ユリウス様は随分簡単に言いますね」
「実際そうだろう?」
「普通はもう少し、人生が変わるとか、名誉だとか、そういう言い方をしませんか」
「必要か?」
「いえ……あなたには必要ないんでしょうね」
思わず苦笑すると、彼は肩をすくめた。
「名誉でも評価でも好きに受け取ればいい。だが、お前が一番欲しかったのはなんだ?」
「……」
その言葉を聞いて、私は言い返せなかった。
たしかにその通りだった。
私は最初から、称賛だけが欲しかったわけではない。
私の研究を、上辺だけではなく中身ごと見てほしかった。
誰が、何を目指して作った術なのかを、曖昧にせず扱ってほしかった。
私は、褒めてもらいたかったのかもしれない。
その願いが、今ようやく手の届くところまで来ている。
「なら、あとは見せるだけだ……お前の術を」
ユリウス様はそのように言った後、私のノートに指を指した。
その声音はあまりに当然で、胸の奥が少し熱くなるのを感じながら。
▽ ▽ ▽
実演当日の朝、研究棟の特別演習場はいつもとまるで違う空気をまとっていた。
王宮魔術局の紋章をつけた魔術師たち。
立会人として呼ばれた教員陣。記録係。安全管理のための補助班。
しかも、その端には事情聴取の一環なのか、殿下とリリーナ様の姿まである。
リリーナ様は見るからに憔悴していた。
取り巻きの姿はなく、視線は落ち着きなく揺れている。
殿下もまた、数日前までの余裕を失っていた。
私と目が合いかけて、しかし何も言えずに視線を逸らす。
以前なら、その態度ひとつで胸が痛んだかもしれない。
――けれど今は違う。
私はただ、静かに息を吸った。
「緊張しているか」
隣でユリウスが問う。
「していないと言ったら嘘になります」
「そうか」
「あなたはしていないんですか?」
「……少しは」
「え、本当ですか?」
「……疑うなよ」
そんな会話をしていると、緊張がほんの少しだけ和らぐ。
前方では、フェインとミレイアがこちらへ歩いてくるところだった。
「時間です、ルーヴェル嬢。本日の実演は、補助複合術式の安定性、持続性、実用性の三点を確認します。準備は?」
「できています」
フェインの問いに答えた瞬間、自分の声が思った以上に落ち着いていて、少しだけ安心した。
ミレイアが手を叩く。
「よろしい……では、開始してください」
演習場の中央へ進む。
しかし、同時に周囲の気配が遠くなる。
視線も、囁きも、過去の屈辱も、今は全部後ろへ押しやった。
ここにあるのは私の術式だけだ。
何度も書き直し、壊し、組み直し、ようやくここまで辿りついた私自身の答えだけ。
足元の展開円へ手をかざす。
――大丈夫。
もう、誰にも奪わせない。
もう、曖昧にはさせない。
私は静かに魔力を練り上げた。
次の瞬間、淡金色の光が、演習場いっぱいに美しく咲き広がった。
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