第04話
「術式を扱っていたのは……リリーナ・ベルナール様です!」
職員の叫びに近い声が、夜の渡り廊下に響いた。
私の足が止まる。
やはり、と思うより先に全身が強ばった。
ついさっき耳にしたばかりの言葉が、頭の中で鋭く反響する。
形だけなら整えられる。
完成形でなければ、少し整えるだけで別物と言える。
その少し整えた結果が、魔力暴走になった。
「規模はどうなんですか?」
「大講堂の補助演習区画です!負傷者は数名、重傷者は出ていませんが、展開した術式が消えず、浄化と障壁が干渉して……!」
「術者本人は?」
「軽い魔力酔いです。ですが、制御できる者がいなくて――」
そこでユリウスが私を見る。
その視線だけで分かった。
行けるか、と問われているのだ。
「行けますユリウス様!」
「なら急ぐぞ」
次の瞬間、私たちは大講堂へ向かって駆け出していた。
走りながら、私は頭の中で状況を組み立てる。
浄化と障壁の干渉。
補助術の崩壊。
術者はリリーナーー彼女が私の術式を断片的に真似たのなら、失敗の形は限られている。
見た目だけを整えて起動した場合、最も危険なのは回復核や同期層の理解不足によって、補助式同士が食い合うことだ。
つい先ほど、私自身がそれを体験したばかりだった。
違うのは、私は失敗の理由を理解していた事。
そして彼女は、理解しないまま上辺だけをなぞったということだ。
「セリア」
前を走るユリウスが言う。
「現場を見たらまず核を特定しろ。無理に全体を消そうとするな」
「はい」
「俺が周囲を押さえるから」
「……すみません、ありがとうございます」
少し照れくさそうに挨拶をするが、ユリウスの表情は変わらない。
大講堂の入口に着いた瞬間、空気の異常さが肌に刺さった。
聖属性の残滓がざらつき、焦りと不安の熱気が満ちている。
扉が開き、私は目を見開いた。
補助演習区画の中央に、淡金色の術式光が歪んだ形で広がっている。
本来なら柔らかく安定するはずの光が何層にも裂け、空中に浮かんでは軋み、白い火花まで散らしている。
ひどい。
ひと目で分かる。
これは、いやこんなものは術式ではなく、構造物の残骸だ。
「下がってください!」
教員が叫ぶ。
演習区画の手前には軽傷の生徒たちが座り込み、治療班が対応していた。
その少し離れた場所に、顔色をなくしたリリーナと険しい表情の殿下がいる。
「グランヴァリウス様、ルーヴェル様!助かりました、構造が複雑で……」
「負傷者の移動は?」
「近傍は終わっています。ただ、これ以上近づけなくて」
「十分だ……以後、半径十メートル以内は立ち入りを止めろ」
ユリウスの声が空気を引き締める。
そして、そのまま私を見た。
「出来るか?」
「……はい、やってみます」
ユリウス様の言葉と同時に、私は一歩前に出た。
胸は速く打っているのに、術式へ視線を据えた瞬間、頭だけが静かになる。
外側に障壁補助。
その内側で浄化が暴走。
中心核は薄い。
同期層が――ない。
壊れているのではない。
最初から存在していないのだ。
見た目だけを真似て、もっとも重要な【接続】が抜け落ちている。
これでは各機能が勝手に拡張し合い、反発を起こすのも当然だった。
「原因が分かるのか?」
年配の教員が問いかけられたので、私は頷いた。
「……分かります。これは補助術に見えて、実際は各層が独立したまま重なっています。同期層がないので、浄化と障壁が互いを異物と認識して押し合っているんです。このまま放置すれば外縁から裂けて近くの人の魔力回路を傷めます」
周囲がざわついた。
対し、リリーナが震えた声で答える。
「そ、そんな……わたくし、ちゃんと起動しましたのよ……?少し形を整えただけで……」
「形だけを整えたからです」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
リリーナが目を見開き、隣の殿下も、初めて私を見るような顔をする。
「補助術は、見た目が整っていれば成立するものではありません。魔力の流れを繋ぎ、各機能が互いを阻害しないよう調整して、初めて術式になるんです。核も接続も理解しないまま上辺だけを重ねれば、こうなります」
しん、と場が静まる。
でも、今は引けなかった。
ここで曖昧にすれば、この術の本質まで曖昧にされる。
「止められるのか?」
「核を落とします。ただし一気に消すと反発が広がるので、浄化から先に剥がします」
「必要な補助は?」
「外側だけで十分です。障壁の散りを押さえてもらえれば……頼んでも大丈夫ですか、ユリウス様?」
「――ああ、分かった」
それだけで、背中に支えが生まれた。
ユリウスは周囲に告げる。
「ルーヴェル嬢が術式を解体する。全員、彼女の指示に従え」
「しかし、候補生に――」
「今この場で構造を正確に読めているのは彼女だけだ。異論があるなら代案を出せ」
その言葉に対し、誰も何も言わなかった。
私は演習区画の縁に立ち、そっと手をかざす。
歪んだ聖属性の波は、触れる前からざわついており、私の目指した術式の欠片を無理やり繋いだせいで、本来なら穏やかに響き合うはずの魔力が、ひどく不機嫌な雑音になっている。
――うん、大丈夫。
私は自分の魔力を細く長く伸ばし、術式の外縁へ滑り込ませた。
今必要なのは大規模な回復ではない。
暴走しかけた浄化層を、一枚ずつ丁寧に剥がすことだ。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
裂けかけた層を辿り、結び目を探す。
――あった。
浄化層が障壁補助へ食い込んでいる一点。
そこへ意識を集中させ、余計な流れだけを切り離す。
ぱち、と小さな火花が散った。
そのまま構わず続ける。
浄化を剥がす。
反発を逃がす。
外縁を均す。
そして最後に、痩せた中心核を静かに落とす。
工程を進めるごとに、歪んだ光が少しずつ穏やかになっていった。
荒れた水面が静まるように、軋んでいた術式の音が遠のいていく。
「……すごい」
誰かが呟く。
「ユリウス様、右側の外縁がまだ不安定です」
「任せろ」
すぐに彼の魔力が外から重なる。
鋭いのに私の流れを邪魔しない、驚くほど精密な補助だった。
――これならいける。
私は最後の層へ意識を向ける。
中心核は最初から未熟で、無理に膨らませたせいで空洞化している。
見栄えのためだけに厚くした膜を剥ぎ、本来あるべき最小構造へ戻す。
そして、息を吐くように魔力を引いた。
ふわり、と。
歪んだ淡金色の光が、本来の柔らかさを取り戻したかと思うとそのまま静かな粒子となって空気へ溶けた。
講堂を満たしていた圧迫感が消える。
「収まった……!」
「暴走が止まったぞ!」
周囲が一斉に動き出す。
私は小さく息を吐いた後、手に視線を向けてみると指先が少し震えている。
けれど、まだ立てる。
「――見事だ」
隣でユリウスが言った。
短い言葉なのに、それがいちばん胸に響く。
長椅子に座らされてようやく気づく。
教員も生徒も、治療を受けていた負傷者たちまで、皆が驚いた目で私を見ていた。
その中には殿下もいる。
何か言いたげだったが、結局何も言えないまま視線を揺らしていた。
もう、その目に価値を預けるつもりはなかった。
「セリア様……わ、わたくし、そんなつもりでは……」
「何のつもりではなかったのですか?」
リリーナの言葉に対し、静かな声で彼女が息を詰める。
「術式を理解しないまま扱えば危険だとあなたも今、分かったはずです。見栄えだけ整えて、人前で使えるようなものではありません」
その横で年配の教員が厳しく言った。
「ベルナール嬢。この術式についてあとで詳しく説明してもらいます。誰の指導で、何を参考に、どう組んだのか。曖昧なままにはできません」
講堂にまた別の緊張が走る。
負傷者が出た以上、正式な調査は避けられない。
そして調べれば、表面だけを継ぎ接ぎした不自然さはすぐ露見するだろう。
「ルーヴェル嬢」
教員が今度は私を見る。
「君はこの術式について、正式に報告書を書けるか。起案者として」
「……はい」
その言葉に、胸の奥が小さく震えた。
否定され、軽んじられ、奪われかけた一日の終わりに、初めて公の場で触れられた自分の立場。
「わかりました、精一杯書かせていただきます」
「では明日、朝一番で研究棟へ来なさい。詳しく話を聞く」
「承知しました」
講堂を出るころには、もう誰も私をただの地味な女としては見ていないはずだった。
冷たい夜風が頬を撫でる。
終わりではない。
多分、私はここからだ。
私の研究も、私の評価も、そして私を見下していた人たちへの反撃も。
その時、ユリウスが足を止めた。
「明日の事情聴取、たぶんそれだけでは終わらない」
「……どういう意味ですか」
「王宮魔術局の人間が来るかもしれないぞ?」
思わず立ち止まる。
王宮魔術局――学園内の小さな問題では済まない場合に関わる、王国でもっとも厳格な魔術管理機関だ。
鼓動がまた速くなる。
「備えておけ……明日、お前の研究は学園の外にも知られることになる」
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